ゼンゾーの予感
早速、ファミリーレストランを出るとすぐ、おれはデミオに優子を乗せて、彼女のアパートへ向かった。
彼女が初めて助手席に乗ってくれた。距離が急速に縮まっているのを感じ、嬉しくなる。
彼女の部屋は当然、まだ立入禁止になっていたが、鑑識に謝って中へ入れてもらう。警察手帳を見せるまでもなく、顔パスだ。
ネアの匂いは消えていた。まぁ、臆病なあいつがいつまでもこんな、隅々まで調べら回られているような部屋に留まっているわけがない。
優子も一緒に入らせて貰い、荷物を少し持って行くと言うと、現場保存を厳しく言われ、制止された。しかし日頃スティーブのカネを使ってさんざんいい思いをさせてやっているやつだったので、それが効いた。やはり大事なのは日頃の根回しというやつだ。
今夜から彼女はおれの家の居候になるのだ。そこには何の問題もない、すぐにおれの妻となるのだから、おれの所有物のようなものだ。所有物の所有物はおれの物のようなものだ。
署のほうへ、彼女をホテルではなくおれの家に泊めると報告しても、当然のようにスムーズに話が通じた。しかし婚前というのは何かと忙しくバタバタするものだと知った。おれは引っ越しなどしたことがないので、そのぶん余計に忙しく思ってしまうのかもしれない。
着るものや貴重品を取ると、優子は箪笥の上のビニール袋を指して、言った。
「あれも持って行きたい」
ビニール袋に包まれているものは、何やら壊れたプラモデルか何かにしか見えなかった。
「あれ、何ですか?」
おれが聞くと、彼女は答えた。
「ユニくんが入ってた、たまごの殻です。大事なものだから……」
「あんなもの、邪魔になるだけでしょう。置いて行ったほうが……」
すると優子はおれをキッと睨みつけ、唇を固く結んだ。そんな顔もかわいい。
「仕方ないな。じゃ、おれが取りますよ」
そう言ってそれを抱えようとした。
しかし思った以上にそれは脆かった。
「あっ!」
おれは抱え損ねると、そのまま床に落としてしまった。
まるで断末魔みたいな優子の声が、部屋に響いた。
ビニールの中でバラバラどころか粉々になったそれを見ながら、おれは彼女に言った。
「こうなったらただのゴミですよ。ちょうどビニール袋に入ってる。このまま捨てちまいましょう」
優子はショックを受けてわなわなと体を震わせながら、呆然とそれを見つめているだけだった。悪いことをしたが、これでよかったようにも思える。女性らしくてかわいいとも思えるが、くだらない感傷でこんなゴミを記念品として取っておくのは感心しない。これで彼女も諦めてくれるだろう。
ビニール袋をそっと開け、大きな欠片を一つだけ、優子は取った。それを大事そうに、無念そうに胸に抱えている彼女の肩を軽く抱きながら、おれは顔なじみの鑑識課員にそれを渡した。
「これ、ゴミだから。処分しといてくれ」
「なんでビニールの部分を持たなかったんですか?」
車の中で優子がしつこく聞いて来た。
「ビニール袋の口を持てば落とすことなんてなかったでしょう?」
「ごめん、ごめん」
笑顔を見せてそう言いながら、
「君の言う通りだ」
心の中では『知らねーよ』と思っていた。
でも女性って、こういうところがかわいいんだよな。許してやんなきゃな。
車を走らせながら、窓を少し開けて、おれは4種類の匂いを探っていた。
ネアの粘着性の匂い。これは強いから近づけばすぐにわかる。
ゴゴの男臭い匂い。これはちょっと厄介だ。不潔な人間男性と非常によく似た匂いなので、紛らわしい。
ユニオの匂い。透明すぎて、探るのは一番難しい。
アーミティアスの匂い。かなりの距離まで近づけばわかるが、遠くからではわからない。何よりやつは気配を消すのが得意だ。おれの接近に気づいたら消しやがるかもしれない。
「ユニオはどうしているだろう」
おれは優子に言った。
「戻って来るんだろうか」
「アーミはすぐに返すと言っていました」
優子は何かを固く信じるように言った。
「あたしとあの人の、息子だからって」
そしてなぜか幸せそうに微笑んだ。
意味がわからない。
ユニオは優子の息子でも、ましてやアーミティアスの息子なんかではない。
あいつの両親は、ライオンのアーニマンに2人とも、あの島で食われた。
そう、今、この町に来ているゴゴに。
「アーミティアスのそんな言葉を信用してはいけません」
おれは彼女に言い聞かせるように、言った。
「あいつは何を考えているかわからない。それに、見たでしょう? あいつは人殺しだ」
優子は何も答えなかった。
「一刻も早くアーミティアスを逮捕し、ユニオを保護しないと大変なことになる。今のところ新たな肝臓を抜き取られた被害者は発見されていないが……。そんな予感がする」
優子が何も喋らなくなった。
やがて賑やかな通りを抜け、前に大きな洋館が見えて来る。
「あれです」
おれは1キロぐらい近づいたところで優子に言った。
「あれがおれの家です」
予想よりも立派すぎたのだろう、優子がぽかんと口を開けておれの家を見た。




