震えるユーコ
レバーが食べたいというユニくんのため、いつものスーパーでまた馬レバーと睨めっこ。
馬レバー。今日はちょっと安くて1パック1,180円。これならユニくんの望む生食で与えてやれる……。
どうしよう……。
さんざん悩んだ末、今日もあたしはそれを売場に戻す。失業中なのだ。こんな高いもの、やっぱりとても買えない。
食べさせてあげたらどんな顔するのかな。
喜ぶとは限らない。口に合わなくて、ほとんどあたしとちろくんが食べることになるかもしれない。
牛レバー1パック278円のを買い物かごに入れ、他にもやしと発泡酒だけ買って、スーパーを出た。
ユニくんはちろくんと一緒にお留守番中だ。最近は勝手に外出することもなくなって、一安心。だけど気を抜くわけにはいかない。警察は連続殺人事件の犯人を捜している。あたしは彼を守り通さないといけない。
でも、疲れた。
誰かに守ってほしい。
そんなことを思いながら車で信号待ちをしていると、奇妙な女性を見た。
明らかにウィッグだった。前髪ぱっつんストレートが歩くたびにずれている。顔はよく見えないが、皮膚がなんだかヌメヌメと濡れているようにも見える。ピンク色のブラウスのボタンの留め方はいい加減で、いくつか飛んでいる。黒いスカートはどう見ても後ろ前が逆だ。
横断歩道を渡ってすぐ前を横切った時、その人の横顔が見えた。
蛇に見えた。
口からチロチロと赤い舌が見え隠れしている。
面白いものを見た。帰ったらユニくんに話してあげよう。
「ただいまー」
玄関の扉を開けてそう言うよりも先に、ユニくんとちろくんが大喜びで迎えてくれていた。
「ママ! レバー、あるの?」
「あるよ~」
買い物袋を揺らし、中からパックのレバーを取り出し、見せてやると、かわいい2匹が並んでぴょんぴょん飛び跳ねる。
「まだ晩ご飯には早いから、後でね~」
あたしがそう言うと、ユニくんは「うんっ」と素直に、笑顔で言った。
「後でのお楽しみだねっ!」
物わかりがよくなった。助かる。
っていうか、少しだけだけど、大人っぽくなったように見える。
やっぱりたまにゼンゾーさんにキスをしてもらうだけでは、いくらか歳の取り方が緩やかになる程度で、もしかしたらもう14歳になっているのだろうか。
「それまで、あやとり、しとくねっ!」
そう言うとユニオはソファーにばすんと勢いよく座り、そこに投げてある毛糸を輪に結んでやったものを手にとった。
「今日こそ『とうきょうたわー』、作るぞっ!」
東京タワーの実物も見たことないくせに。あたしはくすっと笑う。
なんか話したいことがあったような気がするけど、忘れた。一人であやとりに夢中になっているユニくんを見ながら、買って来た発泡酒を一缶開けて、流し込んだ。
やっぱりこの部屋には、何かが足りない。とても重要な、何かが。
ユニくんから箪笥の上に置いたビニール袋に目を移す。その中にはユニくんが入っていたたまごの殻が、そのままの形でとってある。
それをじっと見つめていると、急に身体が震えはじめた。
止まらなくなる。止めようとすると、余計に震えが大きくなる。
会いたくて震えてしまうことって、本当にあるんだ。初めて知った。
口から奇妙な声が漏れ出してしまう。
「どうしたの、ママっ?」
血相を変えてユニくんが毛糸を放り出し、ソファーの上から飛んで来た。
「おなか、いたいのっ!?」
心配そうに顔を覗き込んで来るユニオの身体を強く抱いた。助けを求めてしがみつくように。口からは言葉を出すことが能わず、ただ音痴な笛の音のようなものが漏れ出るばかりだった。
涙が止まらなくなると、涙が苦しみを多少でも外へ排出してくれたのか、言葉が戻って来る。あたしは言った。
「ユニくんが……、いなくなったら……、あたし……、生きて行けない……!」
「それは僕のほうだよ、ママ」
安心させるように、ユニオがあたしの身体を抱いて、背中をぽんぽんと叩いてくれる。
「ママがいなくなったら、ユニオ、生きて行けないよ」
かわいい。
この子は本当にかわいい。
でも、あたしの『すべて』ではない。
あたしと、あの人を、唯一繋ぐものだ。
アーミティアス。アーミ。アーミパパ。ダーリン。なんて呼べばいいのか、まだわからない。
「ずっと……、一緒にいようね?」
あたしが顔を離すと、ユニオは真剣な顔であたしを見た。
「あたしと……、ユニくんと……、……パパも」
「うん!」
ユニくんは真面目な顔を笑わせると、涙に濡れた頬にキスをしてくれた。
「ママ、大好き! ……あっ!」
ユニくんの銀色の髪が二束、動物の耳のようにぴょこんと立った。
「ゼンゾー! 来た!」
ユニオが急いで窓のほうへ駆けて行った。あたしもそれを追って、窓から外を見下ろす。駐車場に紺のデミオが停まったところだった。あたしはそれを見ながらチッ!と舌打ちをした。ユニくんとの幸せな一時を邪魔しやがって。
ややあってドアホンが鳴る。出ようかどうしようかと迷っていると、外からの彼の声が聞こえた。
『優子さん! 大事な話があるんだ! 入れてくれ!』
なんだろう。蛇みたいな女の人が歩いているのを見かけてびっくりしたとかだろうか。あたしが返事もせずにいると、ユニオが嬉しそうに駆けて行ってドアを開けてしまった。
「優子さん! ロ……ユニオを貸してくれ!」
は? ユニくんは物じゃねーよ。貸してくれとか言うな。
「例の連続殺人事件……」
彼は声を潜めて、言った。
「犯人はユニオじゃないかもしれないんだ」
「……え?」
「おい、ロ……ユニオ!」
ゼンゾーさんがユニくんに聞く。
「おまえ、かわいいおねえさんを食べたと言ってたが、ツノで胸を突き刺したのもおまえか?」
するとユニくんが首を横に振った。
「ううん。僕、食べただけだよ」
「刺したのは誰だ!?」
ユニくんは困ったような顔をすると、ゼンゾーさんの耳に口を近づけ、ヒソヒソと何かを言った。
「やはりそうか!」
そう叫ぶなり、彼はユニオの腕を掴んだ。
「優子さん! コイツの力が必要なんだ! 借りて行きます!」
「あ……!」
止めることは出来なかった。この人もユニくんの保護者ではあるのだ。
「もうすぐ夜だから……。ジャンパー着せて……」
あたしのベージュのジャンパーを着せてやると、ユニくんは楽しそうな笑顔で、言った。
「じゃ、僕、ゼンゾーとお出かけして来る!」
「あっ……! あたしも……」
ついて行こうとするあたしをゼンゾーさんが止める。
「危険かもしれない。優子さんはここにいてください」
どうしてだろう。この人はダメ刑事のはずなのに、ユニくんと並ぶと、急に頼もしく見える。
「女性の一人暮らしは危険だ。チェーンロックも掛けておいてください」
そう言うと、2人はあたしに背を向けて、そろそろ日の暮れかけている外へ出て行った。




