虹色
「はい。すみません、急に体調が悪くなって……。暫く休ませてください。はい、病院には行きます。また報告します。すみません」
会社にスマホで電話をすると、あたしはまたたまごを抱いた。
これだから女は、とか言われてるだろうか。
気にしない、気にしない。仕事どころではないのだ。
このたまごを、あたためなければ……。
マルチーズ犬のちろくんが爪でたまごを引っかこうとするのをやめさせながら、あたしはベッドにじっと横たわり、それをあたため続けた。
◆ ◆ ◆ ◆
抱きしめながら見つめているうちに、どんどんそのたまごがかわいくなっていった。
白いつるつるした表面に、洗剤を塗りつけたみたいに虹色がくるくると動き、あたしを微笑ませる。
撫でてやると中で声がするのが聞こえた。天使のような声が、あたしの愛撫に応えてくれる。
「早く産まれておいで」そう言うと、中からたまごの殻を弱々しく蹴る足が感じられた。
ちろくんも協力してくれた。ベッドの上で寄り添い、あたしより高い体温をたまごにひっつけて、早く孵りなさいというよりは、早く孵ってくれないと僕が構ってもらえないだろ、というように。
ぴしり、とたまごに罅が入る音がした。
その音で目が覚めた。いつの間に眠っていたのだろう。
あたためはじめてから15時間。朝の9時過ぎだった。
すっかり強くなっている朝日がレースのカーテン越しに射し込み、真っ白に輝くたまごを包んでいた。
あたしはたまごを手で支え、見守った。
がんばって
がんばれ
出ておいで
この世に産まれておいで
たまごの殻が中から大きく割れ、中から顔を覗かせたのは、真っ白な光のような肌をもつ、人間の男の子だった。
銀色のちりちりの髪の毛がしろみのような液体に濡れ、額からはかわいいツノが一本、生えていた。
「おんあ……!」
ベビーが泣いた、人間の赤ん坊と同じ泣き声で。
「おんあああああ~!」
抱き上げて、抱きしめると、すぐに目を開き、あたしの顔をびっくりしたように見た。
青い瞳に銀色が混じっていて、とても綺麗だ。
「おはよう、赤ちゃん」
あたしは疲れがいっぺんに吹っ飛んで、微笑んだ。
「あたしがママだよ」
「おんあ!」
再び泣き出すかわいいあたしのベビー。
「おわんあんあああ~~!!」
あたしは昨日帰ったままの会社の制服を脱ぐと、おっぱいをあげた。
ベビーは力強く初乳を舌でしごき出し、元気に飲んだ。
短いツノがたまにコツコツと当たって来て、痛かったけど、それよりもいっぱい飲ませてあげたくて、そのまま飲ませ続けた。
しばらく自分の名前を忘れていた。
あのひとにキスをされてから、これまで。
ほんとうに魔法にかけられていたのかもしれなかった。
今ではしっかり思い出せる。
あたしの名前は桐谷優子。24歳、硝子瓶製造会社の総務課で事務をやっている。四年生大学を出たのでまだ入社1年目。血液型はA型。容姿は人並み。背の高さも何もかもが人並みの平均的女子だ。
よし。理性が戻ってる。
あたしがこの子を育てるのは、しっかりとした自分の意思だ。