愛田谷家
「今日はお仕事、お休みなんですか?」
そう聞いてから、気づいた。今日は土曜日だ。
「私服、可愛いですね。よく似合ってます」
アホな発言を取り繕おうと、さらにアホな発言をしてしまう。
そんなおれを桐谷さんは心配そうな顔で見つめると、手にしていた馬のレバー刺しをそっと売場に戻し、ぺこりと頭を下げて行ってしまおうとする。
「あっ……、あのっ!」
呼び止めると立ち止まり、恥ずかしそうな目をして振り向いた。かわいい。
「……なんでしょう」
「ニュースで見てご存じだとは思いますが……、気をつけてください。例の事件、連続しています。狙われているのはあなたのようなチャーミングな若い女性ばかりだ。しかも独身の女性ばかり……。あの……その……。ご結婚は、されてます?」
「……関係ないと思います」
そう言ってまた逃げて行こうとする。
おかしい。
何か……変だ。彼女は……。
彼女は明らかに、おれに恋をしている。
それなのに、なぜ自分が独身であることを明らかにしない?
普通なら『独身ですよー』とかわいく言って、おれをウェルカムするはずじゃないか?
もしかして……
悪い男に引っかかっているのか?
その男絡みで何か嫌な目に遭っていて、この態度はおれにそれに気づいて助けて欲しがっている……かわいい乙女心の発しているSOSではないのか?
「桐谷さん!」
おれは再び呼び止めた。
彼女は振り向いてくれた。泣くような顔をして。やはりこれは助けを求めている!
おれは真剣な顔をして、彼女に言った。
「困っていることがあったら相談してください。力になりますよ」
彼女は何かに怯えているような目をして、勢いよくおれを振り切った。
「なんにもありませんっ!」
行ってしまった……。
振り返りもせずに……。
参ったな……。
あれが『ツンデレ』というやつか……。
おれのカンは鋭い。
おれは桐谷さんと、そのうち、結婚するだろう。
ぼちぼち結婚すべきだと思っていたのだ。
あんな広い屋敷におれと居候の2人だけでは寂しすぎる。
仕事を終え、家に帰る。
おれの家はこの辺りどころか県内でも有数の大きな屋敷だ。
建てられたのはなんと江戸時代。税金が払えんので実は大部分は差し押さえられている。
大昔は個人邸宅とは思えないような広大な敷地と城のような建物だったらしいが、おれの祖父、愛田谷希郎が代々受け継いで来た土地と建物の大部分を明治の頃に売却して、今の2階建て洋館の形に改装したらしい。
つまりじーちゃんとおれはご先祖さまから見ればとんでもない穀潰しってことだな。
玄関を入ると、今日も居候のエレキギターを練習している音が聞こえていた。
長い廊下を歩き、大広間を通り抜け、また長い廊下を歩いてやっと自分の部屋だ。いつもながらめんどくせえ。
向かいの居候の部屋のギターの音がちょっと大きすぎる。
おれは文句を言うためにそいつの部屋のドアを叩いた。
「おい、うるせーぞスティーブ。音量絞れ」
心なしかギターのボリュームが大きくなった。
「うるせーつってんだ! 下げろ! あるいはやめろ!」
おれは部屋の扉をズンズンダンダン蹴った。
ぴたっとギターの音がやんだ。
ブゥーン……とノイズの音が大きくなった。
嫌な予感がした。
次の瞬間、ドアが破れておれごと吹っ飛ぶかと思うほどの爆音が鳴り響いた。
間違いない、フルボリュームだ。野外ライブほどの音量だ。
ひっくり返ってるおれの目の前でドアが開き、居候のスティーブが顔を出した。
「お帰りー、アイタガヤ」
チリチリ長髪に細面、口の下にへんなちょび髭を生やした長身のロック野郎。こいつの名前はスティーブ・スーパーライト。44歳にして、ここ日本で人気ロック・ギタリストになることを夢見ているアメリカ人だ。
第2のマーティー・フリードマンを目指しているらしいがアメリカで伝説的なバンドに所属していたとかの肩書はまったくない。
夢を叶えるまでおれの屋敷に居候するつもりらしいが、親がアメリカで大会社の社長をやっているので44歳にして親のスネを齧り、金は持っている。
たとえ仕事をしなくても、たとえ一生夢を叶えられなくても、おれの要求した月1万円の家賃はいつまででも払い続けられるだろう。たぶんこいつはおれがその死を見届けるまでここにいる。
「どうしたの、アイタガヤ? 元気ないよね」
スティーブが言った。
「なんかあったの? ボクでよければ力になるよ」
「……そうだな」
おれは藁にもすがるつもりで、言った。
「銀色の髪に銀色がかった碧色の目の少年を探している。たぶん、この町にいるはずなんだ。頼めるか?」
「ボクを誰だと思っていますか?」
スティーブは小馬鹿にされて心外がるようなオーバーリアクションで言った。
その通りだった。藁にもすがるつもりなんてさっきは言ったが、こいつは藁どころじゃない。社会を動かす大きな力、つまりはカネを持っている。そんなものに頼りたくはなかったが、一刻も早くロイを見つけたい。
「裏の情報屋をカネで買います」
スティーブは自慢そうに言った。
「きっとすぐに見つけることでしょう。いいですか?」
「ああ」
おれは悔しかったが、うなずくしかなかった。
「頼む。おれの鼻では探せない相手なんだ」
「わかりました。銀色の髪に、銀色がかった碧色の目の少年ですね? 名前はわかりますか?」
「ロイだが……もしかしたら違う名前をつけられてるかもしれない。ロイはおれがつけた名前だ。社会的に通用してる名前じゃない」
「ふぅん……」
スティーブは興味をそそられたように、おれに聞いた。
「その少年は、アイタガヤの何です?」
おれは答えた。
「息子だ」




