アーミティアス
あの匂いは追えない。
この町には雑多で強烈な匂いが溢れすぎている。
こんな中で、あの汚れのない泉のような匂いを探し出すなんて、困難にもほどがある。
おれはそれでも探すしかなかった。
自分の思い違いとしか考えられない、その匂いを。
人間の町にいるはずがないのだ。
おれがユニコーンの島で生きられないように、あいつも人間の町で生きられるはずがないのだ。
しかし、あの美しい死体からは、確かにユニコーンの匂いがした。
おれのよく知る、あいつの匂いがした。
ロイとおれが名づけた、あのユニコーンの匂いだった。
しかし、そんなわけがない!
肥溜めの中に一滴の真水を探すように、おれは犬のごとく鼻をヒクヒク動かしながら、町を歩き回る。
無駄なことをしていると思いながら、歩き回っていると、まるでおれを呼ぶように、その匂いはこちらへ向かって糸を伸ばしてきた。
繁華街の外れに建つ、観葉植物に覆われたお洒落なカフェだった。そこから匂いの糸はおれを導いている。
ユニコーンの匂いだ。
しかし、ロイではない。
澄み切った泉のような、ロイの、無臭と言ってもいい、あの匂いでは、そもそもおれに勘づかせて誘うなどというこんな芸当は不可能だ。
これは言わばユニコーンのションベンの匂いだ。
ユニコーンはマーキングなどしないが、彼らがトイレに使っている草むらを何度か嗅いでしまったことがあるのでよく知っている。
彼らは体臭はまるで架空の生き物のように極度に少ないながら、肉食なので、体の中の排泄物は結構臭う。猫の排泄物によく似ている。あそこまで強烈ではないので砂に埋めて隠す必要はないのだが。
しかしお漏らしをしながらカフェに入ったのでもなければ、こんな風にカフェの外にまで匂いが漏れ出すなんてことはないはずだ。
おれは見当がついていた。カフェの中にいるユニコーンが誰なのか。何より匂いの糸の中には人間の血の匂いが混じっている。
おれが確信しながらカフェの扉を開けると、思った通りの姿がそこにあり、おれが入って来るのを知っていたように、カウンター席からこちらに向けた掌を振っていた。
グレーのスーツに身を包んだ背の高いイケメン野郎が、銀色の長髪を後ろで結び、キザなサングラスをかけて、おれとまるで待ち合わせをしていたように、いけ好かねぇ笑みを浮かべていた。その額からは天井を突き刺さんばかりの長いツノが屹立している。
「アーミ!」
おれはそいつの名を略称で呼んだ。
「やあ、ゼンゾー」
やつは爽やかに、優しげな声で言った。
「『兄さん』と呼んでくれないかな」
「いらっしゃいませー」
遅れて店員の女の人の声が言った。
おれは警察手帳を店員に見せると、署のツケでアイスコーヒーを注文し、やつの隣のカウンター席に座る。
「なぜお前がここにいる? アーミティアス」
おれはやつをフルネームで呼んだ。
「お前はあの島にいたはずだろう?」
「冷たい言い方だな。兄弟だろ」
アーミティアスはまるで人間のように、流暢な日本語で言った。ほとんど西洋人……というより妖精のその見た目に日本語がミスマッチだ。
「いつ、人間の世界に来た? 何しに来た?」
「お前に会いに来たに決まってるじゃないか、弟よ」
アーミティアスはそう言って、おれの背中を叩き、冗談のように笑う。
おれは警戒した。
こいつは確かにおれの兄だが、おれとは違う生き物だ。
おれもアーミティアスも人間とユニコーンのハーフだが、おれは人間の血を濃く受け継いだ。というかほとんど完全に人間だと自分では思っている。人間らしくないところといえば、せいぜい鼻が動物並みに利くことぐらいだ。
アーミティアスはおれとは逆に、ユニコーンの血を濃く受け継いでいる。人間の姿をした動物だ。しかも厄介なことに、ユニコーンらしくなく、まるで人間のように悪知恵が働く。
こいつが何を考えているのか、おれは昔からさっぱりわからない。言葉を喋るくせに、言葉とはまったく違うことを考えているとしか思えない。親父があの崖から飛んで自殺した時にもこいつは笑っていた。親父にさんざんなついていたくせに。
おれの前にアイスコーヒーが置かれると、アーミティアスは紅茶を片手にようやく話しはじめた。
「ロイをゼンゾーに会わせたくてね、連れて来たよ」
「ロイを?」
おれは喉が乾いていたのでアイスコーヒーをストローでずびずば吸いながら、そのありえない話に答えた。
「冗談言うな。ユニコーンは人間の国では生きられん」
「それがね、方法があったんだよ」
「どんな?」
「たまごにして連れて来たのさ」
「たまごだと?」
おれは馬鹿な冗談に笑いもせずに、やつの澄ました横顔を睨んだ。
「ユニコーンは胎性だ。こどもを産む。たまごは産まん」
カウンターの中、おれ達のすぐ目の前にマスターがいて、食器を拭いていたが、おれは構わずユニコーンの話をした。マスターは訝しむ様子もなく仕事をしている。おれ達が創作物の話でもしていると思っているのだろう。
「もちろんユニコーンはたまごを産まない」
アーミティアスは言った。何やら楽しそうだ。
「だけどね、私の体内に小さくして取り込み、それを人間の女性に移せば、たまごとして産ませることが出来るんだよ」
「アホなことを言うな」
おれはやつの与太話に呆れた。
「ロイはおれより4歳下……だから、もう27歳だぞ? そんな大きなもんをお前の中なんかに入れられるわけないだろ」
「出来るんだよ」
やつの顔が不気味に笑った。
「私が発明したんだ。ユニコーンをたまごにして、人間の世界へ連れて来る方法をね」
「たとえそんなことが出来たとしても……」
おれは当然のことを言った。
「生きられない。おれが20歳を過ぎたらあの島では生きられなかったように。ユニコーンも人間の国では、20歳を過ぎたら死んでしまうはずだ」
「私はこうして平気で生きているじゃないか?」
アーミティアスは鼻で笑うように紅茶を啜った。
「知らん。お前は半分人間の血が混じってるからだろ」
「とにかく、私はこれの見える人間の女性を探していた」
そう言って自分の額の長いツノを指す。
「そして見つけたんだ。一週間ほど前にね」
「なんのことだ……」
おれは嫌な予感が止まらなかった。
「その女性にユニコーンのたまごを産ませたとでもいうのか」
「これは一種の托卵だと言ってもいい。その女性は産んだたまごを自分の子供だと思って、今頃、愛情を注いで育てていることだろう。自分の中の母性とやらに騙されて、ね。バカみたいだよね」
そう言ってアーミティアスは笑った。声を出して、ククク、と。
「貴様……さすがは人間でない物だな」
おれはやつの話を聞いていて吐き気がしはじめた。
「ロイをどうするつもりだ? その女性も含めて。何をしようとしているんだ、お前は」
「ゼンゾーに会わせたいだけだよ」
アーミティアスはそう言うと、紅茶を飲み干した。
「君達は親子のような関係で結ばれていたろ。ロイが君に会いたがっていたので、連れて来た。それだけだよ」
「貴様……」
やはりやつが何を考えているのか、おれにはわからない。
「ただ、ちょっと問題があるんだ」
やつはそう言いながら、長いツノをゆっくりとカウンターの中のマスターのほうへ、向けた。
「ユニコーンが人間の世界で生きて行くには、エサがいるんだ。通常の食べ物とは別に、特別なエサが、ね」




