花のような死体
ねむ……
ねむねむ……
「愛田谷くん」
誰かが夢の中でおれの名を呼んでいる……
「愛田谷くんっ」
きっったねぇオッサンの声だ……
せめてかわいい女の子の声で名前呼んでくれ……
「おい愛田谷……」
おい、じゃねぇだろ。せっかく夢の楽園にいるんだ。ゆっくり、まったり、させてくれ。あぁ……、シルクの草原に今、おれは寝ころび、たくさんの女の子の姿をした馬に囲まれて……
「愛田谷善三くんっ!!」
特別大きな声で名前を呼ばれ、おれはようやく返事をした。
「はっ……はいっ! 先生すみません!」
目を覚まし、がばっと立ち上がると、広い会議室だった。先輩刑事たちがギロリと一斉にこっちを睨んでいる。
声の主は刑事部長だった。
「先生じゃねーだろ……。中学生の修学旅行か!」
「あっ……。会議中だった。そうだった」
おれは眠い目をこすると、キリッと表情を引き締める。
「聞いてませんでした!」
「ドヤ顔で言うことじゃねーだろ」
「すいません。ドヤ顔じゃないです、これ。一応、ただの真面目な顔をしたつもりで」
「……ったく! やる気がないなら帰れ」
「え。帰ってもいいんすか!?」
おれは喜んだ。
「……と、言いたいところだが、悔しいことに捜査にお前の鼻は絶対に必要だ。帰んな」
「え~……?」
おれはしょんぼりした。
「ったく……。てめぇ、歳はいくつだったっけか?」
「はっ! 31であります!」
「31にもなってガキみてーな中身してんじゃねぇよ。お前なんか警察犬以上のその嗅覚持ってなかったらとっくにクビになってんぞ。……あー。時間を無駄にしたな。会議を続ける」
退屈な会議がまた始まった。
同じようなどうでもいいことを繰り返し、細かく話しているので、眠たくなってしょうがない。
議題は最近、ある町で起こった連続殺人事件についてだ。
若い女性が胸を太い錐のような凶器で刺し殺され、肝臓を抜き去られるという猟奇的な殺人事件が、2日連続で起こっていた。おれも現場へ、ガイシャの遺体が既に運び出されて鑑識も引き上げた後に入ったが、そこに犯人らしきやつの匂いは残されていなかった。おせーんだよ。ガイシャの遺体があるうちにおれを呼びやがれ。ま、死体なんか見たらおれはその場で気を失ってしまうかもしれないけどな!
とか思いながら退屈な会議を聞いていると、婦警さんの制服を着た塩田さんが部屋に入って来た。
かわいいんだよな、塩田さん。俺よりちょっと年上には見えねぇ。堅苦しい制服にキュートな顔がよく似合う。
ギャップ効果っていうの? アイドルが詰襟の黒い学生服着てるみたいなかわいさだ。
でもこの間、聞き込みに入ったガラス会社で会ったあの人……。桐谷さん。桐谷優子さん。あの人はさらにチャーミングだったな。世間的には激カワではないんだろうが、まさにおれの好みだ。
職権濫用して個人情報ゲットしちゃった(テへ!)。
電話してみようかなぁ。『異状ありませんか?』とか聞けば、不自然じゃないよね?
おれが塩田さんに見とれながら桐谷さんのことを思い出していると、部長が重々しい口調で、みんなに言った。
「3件目発生だ! またあの町で、若い女性が殺害された。手口は前の2件同様だ。行くぞ」
ガタガタと椅子の音を鳴らし、みんなが立ち上がる。
おれが面倒臭そうに立ち上がらずにいると、部長がおれを睨みつけ、言った。
「愛田谷! おまえも来るんだ」
「うぇっ!? おれ、現場行くんすか!?」
「うるさい黙ってついて来い。てめーの鼻が必要なんだよ!」
□ □ □ □
現場はマンションの5階だった。
被害者は秋山聡美25歳。なかなかのお年頃だ。美人だったら実にもったいない。
既に大勢の刑事たちが部屋に入っていた。
それをかき分けて、先輩刑事の後をついて俺は中へ入って行く。
「はいはい、失礼しますよ」
そう言いながら先輩がずんずん先へ進んで行く。
「嫌だなぁ……。死体、見たくねーなぁ……」
おれは泣き言を漏らしながら、その後をついて行く。
被害者はリビングルームのセンターラグの上で仰向けになって息絶えていた。その姿を見るなり、先輩が言った。
「うん。間違いねぇな。やつの仕業だ。遺体の特徴が前の2件とまったく同じだ」
「嫌だなぁ……。見たくねぇなぁ……」
おれは顔を背けた。
「どうせグロいやつでしょ? 今夜の飯が食えなくなりそう……」
「まぁ、いいから嗅げや」
そう言って先輩がおれの背中をぐいと押したので、死体を間近で直視してしまった。
見とれた。
「何だ、これは……」
俺は思わず愕然とした。
目の前にあるのはあまりにも美しい死体だった。
被害者の25歳女性は胸の前で腕を組み、花のように穏やかな笑顔を浮かべて死んでいた。
長い軽やかな色の髪がラグの上に広がり、胸に開けられた一つの穴からも花のように血が、白いワンピースの上に広がっていた。
右上腹部は獣によって食いちぎられたようにぐっちゃりとなっており、肝臓が抜き取られている。その部分だけが醜さを加えていたが、そこから流れ出した血がまた赤い花のように、ラグを越えて床まで美しい模様を描いている。
しかし、なんだか……これは記憶にある匂いだ。
おれは女性の顔に顔を近づけ、綺麗だなと思いながら、その匂いを嗅いだ。
とても懐かしい匂いがする。
この匂いは……
この匂いは……!
おれが記憶の中にそれを探していると、先輩が邪魔をした。
「何かわかったか? 愛田谷」
「先輩……」
おれは匂いのことは言わず、別の気になったことを口にした。
「この女性……。なぜワンピースを着てるんでしょうね?」
「あん? お洒落なひとだからじゃねーのか?」
「普通、こんなお洒落な、ふわふわした綿の白いワンピース、部屋に1人でいる時に、着ます?」
「着るよ! てめー、女性に縁がなさすぎるくせに知った風な口聞くな!」
「いや、これは……。どう見ても、誰かに自分を魅力的に見せたくて着た、お洒落着ですよ。部屋では普通、着ません」
「何言ってんだてめーは! いいからてめーは警察犬の仕事しろ! それだけだ、おまえに期待してんのは!」
「犯人の匂い、覚えました」
「うん、それでいい。あとはそれを辿れ」
「犯人は玄関から入っています」
「玄関から? 正解だ。発見当時、玄関のドアが開いていたらしい」
「ドアが? 開きっぱなしだったんですか?」
「それで早期に発見されたんだ。前の2件もな。殺してからドアを開けっぱなしにして出て行くなんて、子供みたいなやつだよな」
子供……。
嫌な予感がした。
おれの嗅いだ匂いと、それは繋がる。
「とりあえず今回も目撃者がいない。指紋も検出されん。頼りはてめーのその鼻だ。外へ出て、嗅ぎ回れ」
そう言うと先輩は、おれをどんと部屋の外へ突き出した。
「行って来い! 犬のように嗅ぎ回るんだぞ!」




