きざし
あたしは次の日、会社に出勤した。
これ以上休んではいられない。
ユニくんの言ったことは信じないことにした。
昨日、あたしの留守中に、外へ出てたのは事実だが、
その間に近所の女性の部屋に押し入って、立派に育ったそのツノで彼女を刺し殺し、肝臓を抜き出して食べただなんて……
そんな恐ろしいことを、このかわいいユニオがするわけがない。
そう頭では思いながらも、あたしはなんとかユニくんが外に出られない方法はないか、探した。
外に出てからチェーンロックが出来ないものか試したが、無理だ。そんな造りになっていたらチェーンロックの意味がない。
ただ、チェーンが短かすぎて無理なので、これをもっと長いチェーンに改造できればいけるかも? 外からの侵入を防ぐ本来の用途ではなく、中から子供が出ないようにするために、作り変えるのだ。
それでもユニくんは出るかな? もう立派に13歳ぐらいの少年のからだになっている。
とりあえず口で言い聞かせるしか、今はなかった。
「いい? 今日はお外に出ちゃダメよ? こわいひとがお外にはいっぱいいるんだから」
ユニくんは昨日からはまったく成長していなかった。
少年の体格にそぐわない、幼児のような瞳を潤ませて、あたしをまっすぐ見つめて、言った。
「やだ。ぼく、お外に出るもん」
「ダメっ! またお外に出てたのわかったらママ、お尻ペンペンするよ!?」
「だって、お外出ないと、ぼく、どんどん歳をとっちゃうよ?」
「え?」
意味がわからず、あたしは聞いた。
「どういうこと?」
「だって、ふつうのごはんだけじゃなくて、ツノのごはんも食べとかないと、ぼく、どんどん歳をとって、死んじゃう」
やっぱり意味がわからなかった。
幼児との会話は要領を得ず、時にイライラしてしまう。
出勤前で気持ちが焦っていた。
早く出発しなければ、走るか車で行かなければいけない。車で行っても、会社の駐車場に自分のスペースがないので、路駐しないといけない。
「とにかく! お外出たらお尻ペンペンだからね! わかった!?」
厳しくそう言うと、ユニオはただうなだれた。
銀色の髪のてっぺんが二束、動物の耳みたいにぺこりと垂れ下がった。
◆ ◆ ◆ ◆
会社に着くと、下の駐車場に7人ほど集まって、何か話をしている。
社長も、部長もいて、他には営業課長や警備員さん、掃除のおばさん、うちの課の課長もいた。
そんな人たちを前にして、見たことのないひとが手帳を手に、何かをみんなに聞いている。
あ……、これって……
あたしはテレビドラマなんかで見たことのあるシチュエーションを頭の中から引っ張り出した。
……刑事さんかな?
話が少しだけ聞こえてきた。
「そんな知らない人間が歩いてたら、みんなすぐわかりますよ」
「あたしは不審なひととか、見てないよ」
刑事さんらしきひとが言った、「事件の起こった時刻に会社におられなかった方はいますか? あ、別に疑いをかけるわけではなく、参考のためです」
「あー、そういえば」
課長が言った。
「うちの課の桐谷くんが……あっ、桐谷くん」
ちょうど出勤してきたあたしを見つけ、呼び止める。
そして刑事さんに、言った。
「この桐谷くんが、病気で調子が悪く、ちょうどそのぐらいの時間に早退しました」
刑事さんがあたしのほうを向いた。
ちょっと笑ってしまいそうになるぐらい、アゴがしゃくれている、30歳ぐらいの、ユーモラスな顔のひとだ。着ているスーツがよれよれで、だらしない印象をあたしは受けた。
でも目が少年みたいに綺麗で、優しそうだ。
あたしはまるで犯人にされたみたいな格好で、緊張しないといけないのに、そのひとの容姿にすっかりリラックスしていた。
そのひとは警察手帳(本物初めて見た!)を取り出すと、あたしに見せながら、言った。
「県警刑事部の愛田谷と言います。失礼ですが、早退された時、何か気になる悲鳴を聞いたとか、見かけない人物を見かけたとか、ありませんでしたか?」
「さぁ……」
あたしは首を横に振った。
ユニオの顔が少し浮かんだのをかき消すように。
刑事さんがそんなあたしの顔をじっと見つめてくる。
あたしは心の中を押し隠すように、目をそらした。
「あの……えっと」
刑事さんは急にしどろもどろになると、ボールペンを持ち、
「念のためです。あなたのお名前とご住所、電話番号を教えていただいてもよろしいですか?」
そう言って、頬を赤らめた。
あたしが教えると、それを手帳にメモし、
「何かあったら僕に教えてください。力になりますので」
必死な感じのまなざしであたしの顔を強く覗き込んできた。
「何かって……何ですか?」
「ニュースを見てご存じでしょうが、若い女性がこの付近で殺害される事件がありました。被害者はチャーミングな女性でした。あなたもとってもチャーミングだ。僕のカンというか、嗅覚に過ぎませんが、あなたも狙われるおそれがある。あ、びびることはないですよ。ちゃんと戸締まりをして、知らない人間は中に入れないようにしておけば大丈夫です」
「はあ……」
「でも、僕の嗅覚は鋭敏なんです。あなたは危ない。守ってあげないといけない。そう僕の嗅覚が告げています」
「こ……、怖がらせないでください!」
「とりあえず何か、少しでも気になることがあったら、僕にお知らせください。名刺をお渡ししておきますので」
そう言って刑事さんが渡してきた名刺を受け取ると、あたしはそれを読んだ。
○○県 ○○警察署
刑事第一課
刑事 愛田谷 善三
へぇ……。
ゼンゾーさんなんだ?
よくある名前なのかなぁ……。最近で二回も聞いてしまった。
あたしはそれだけ思うと名刺を胸ポケットにしまい、ぺこり一礼すると、そそくさと職場に向かって歩きだした。
◆ ◆ ◆ ◆
今日は早退させられなかった。
スーパーでまた馬レバー刺しとにらめっこして、戻し、豚バラ肉を買った。
ユニくんのことが気がかりで、買い物をすませるとすぐに、早足でアパートに戻る。
「おかえりー!」
玄関のドアを開けると、ユニくんが足元にマルチーズ犬のちろくんを侍らせて、奥の部屋から走ってきた。
あたしはほっとして、笑顔がこぼれる。
「えらいね。今日はちゃんとおうちにいたね」
「ううん。ぼく、お外、出たんだよ」
「え……?」
「今日もかわいいおねえさんとこ行って、ごはん食べてきた」
見ると、ユニオのツノがまた、ほんのりとピンク色に染まっている。
◆ ◆ ◆ ◆
夜になっても電気をつけなかった。
それはまるで外界から身を隠すように。
テレビのニュースが語っていた。
今日の昼、またこの近くで、19歳の女子大生が、殺害されていた。
手口は前とまったく同じ。1人で部屋にいるところに犯人は押し入り、太い錐のようなもので胸を一突きにし、肝臓を抜き取って、持ち去っていた。
「ユニくん……」
あたしは虚ろな目をして、ソファーの隣に座るかわいい少年に、聞いた。
「これ……、あなたが、やったの?」
テレビ画面に映った被害者女性の顔を見て、ユニくんは無邪気に笑い、
「うん! このおねえさん、ぼくが食べたんだよ」
まるで自慢するようにそう言った。
あたしは制服の胸ポケットの名刺を思い出した。
電話をするべきだろうか。
犯人に心当たりがあると。
犯人?
犯人だって?
違う。
これはあたしの息子だ!
あたしは隣に座るユニオの細いからだをぎゅっと抱きしめた。
不思議そうな、あどけない声が頭の上から返ってくる。
「どうしたの? ママ……」
あたしは彼には答えずに、ただ、自分の心の中で、強く思った。
この子はあたしが守る。
守らなければ!
暗い部屋に、テレビの明かりが白や赤や緑をまるでパトカーのランプのように、めまぐるしく走り回らせていた。




