不意の帰宅
帰りにスーパーに寄り、それを探すと、あった。
馬レバー刺し。これなら生でも食べられるとネットで見て知っていた。
うーん。でも高い……。
1パック1380円もする。
とりあえず今日は鶏ムネ肉を買って帰った。100グラム75円。
卵を絡めて焼いて、ケチャップをかけたらとても美味しい。
アパートに帰ると、なるべく音を立てないように鍵を開けようとした。
しかしドアには鍵がかかっていなかった。あれ? 出かける時、締め忘れたかな?
そっとドアを開いた。
まだ昼の三時前。
早く帰って来たらユニくん、びっくりするかな。
マルチーズ犬のちろくんがいち早く気づいて走って迎えに出て来た。
あたしは口に人差し指を当てて、しーっ。ユニくんは? 何してるかな? あたしが帰ったことに気づいてるかな?
いなかった。
キッチンを通って奥の六畳間を見渡しても、どこにもいない。
カーテンの陰に隠れて悪戯小僧の笑みを浮かべている彼を想像して見てみたが、いない。ベッドの下を見ても、クローゼットを開けてみても、いなかった。
玄関の鍵がかかってなかったのは、それか。
外へ出たのか。
まだ生後5日なのに。
帰って来たらお尻ペンペンしてやろう。
あたしは憤慨しながら夕食の下ごしらえをはじめる。包丁の背で鶏ムネ肉をバンバン叩いた。
ユニくんが、帰って来ない。
窓から外を見下ろす。
住宅地を歩く人は少ない。たまに自動車が30km/h制限の道路をぶーんと速度超過して通って行く。
車に轢かれてないだろうか。
悪いひとに連れて行かれたりしてないだろうか。
あたしはたまらず外に飛び出して、小走りで探し回った。
昨日遊んだ公園に行ってみたが、平日の午後に人はまばらで、そこにいないことはすぐにわかった。
スーパーにいるのなら、帰りにあたしが寄った時、大騒ぎになってたはずだ。精肉コーナーに整然と並んでいた牛レバーのパックたちが、何事もなかったことを語っていた。
「ユニくーん!」
あたしは迷い犬を探すように、彼の名前を叫んで歩き回った。
「ユニくーん! どこ!?」
交番にも立ち寄った。迷子の特徴を、銀色の髪に銀青の目の少年だと伝えたら、そんな目立つ子が迷っていたらすぐに見つかりますよ、と気休めを言われた。
考えたらユニオはものすごい速さで歳をとっている。今はもうあたしの年齢も追い越しておじさんになっているかもしれないと思うと、少しぞっとした。
日が暮れはじめた。
あたしはアパートの部屋で電気もつけずに、食卓の椅子に座り、待った。
何も手につかない。
ちろくんが奥の部屋のソファーとあたしの足元をせわしなく往復していた。
どこへ行ったの?
もしかして……もう、帰って来ないの?
まさか……ゼンゾーさんというひとのところへ帰って行ったの?
あたしの息子ではなくて、ゼンゾーさんの恋人だったの?
涙は出なかった。
きっと結末がどうなるのかを知ってから、とめどなく溢れ出すのだろう。
階段を昇って来る足音が聞こえた。
あたしはバネのように立ち上がり、耳を澄ませた。
足音はこの階で落ち着き、まっすぐこの部屋に向かって歩いて来る。
玄関に向かって走り、ドアを勢いよく開けて、見た。
「あれっ?」
夕日に染まったオレンジ色の廊下の景色を背にして、今朝着せた服のまま、ユニオがびっくりした顔をあたしに向けた。
「ママ、帰ってたの?」
「ユニくんっ!!」
あたしは自分の顔が怒っているのか笑っているのかわからなかった。
ひょろりと長いからだに白い長Tシャツとグレーのジャージパンツ、足にはサンダル。見た目は何も今朝と何も変わらなかった。歳もとっていない。
銀色の髪を揺らし、嬉しそうな笑顔で両手を広げて駆け寄って来るユニくんを、ツノが刺さらないよう身をかわしながら抱きとめると、あたしは般若の顔をしてみせた。
「どこ行ってたのっ!? 勝手に出ちゃダメでしょっ!」
そう言ってから、そういえば外出したらダメとは言ってなかったことに気づく。
「心配するでしょ!」
「ごはん、食べて来たよ」
ユニくんはあたしの般若の面をちっとも怖がらず、にこにこ笑って言った。
「でもママのごはんも食べる!」
「ごはん?」
何かへんなものでも拾い食いして来たのかと思って、あたしは心配した。
「何を食べて来たの?」
「かわいいおねえさん」
「バカか!!」
あたしはツノにチョップを喰らわせてツッコんだ。
鶏と卵のケチャップ焼きをユニくんは喜んで食べてくれた。デザートにバニラアイスをあげると、珍しそうにカップとスプーンを交互につぶらな瞳で見つめながら、感動しているようだった。
見た目は13歳ぐらい、中身は三歳ぐらい。今朝と何も変わらない。
変わったところといえば、ツノが少しだけピンクがかっていた。
真っ白だから汚れが目立つのだろうかと思い、濡れ布巾で拭いてやると、また真っ白なツノに戻った。
中身が三歳児だから、お風呂には1人で入れない。
あたしは彼の下着まですべて脱がすと、ちょっとワクワクしながら浴室に手を引いて入った。いや、これ、私の息子ですよ。
銀色の髪をシャンプーで洗ってやると、明らかに輝きが増した。
よく見ると細い肩にも銀色の短い毛が薄く生え揃っている。
もしかして、と思って、顔をこちらに向かせて確認すると、鼻と口のあいだにもヒゲみたいに、薄い銀色の産毛が生えていた。
「ユニくん、おヒゲあるね」
あたしが笑いながらそれを指で軽く撫でると、
「おヒゲっていったらやだ! おじさんみたいじゃん」
唇を尖らせてすねる。
ボディーソープの泡をそこにつけてやった。
「あはは! 白いおヒゲだ」
ユニくんは鏡で自分の顔を映して見ると、おもしろいものを見るように、少年の顔で無邪気に笑った。
お風呂を上がり、ユニオとちろくんと3人でソファーに並んで座り、牛乳をみんなで飲みながらテレビを観た。
お笑い番組を観ながらあたしはアハハハと笑ったが、ユニくんはちっとも笑わない。社会経験がないと、何がおもしろいのかさっぱりわからないようだ。
チャンネルを換えるとアニメの映画がやっていたので、見せたが、興味を示さなかった。「なんか色が動いてて、からだがウズウズしちゃう。やだ、気持ち悪い、これやだ」と意味不明な感想を言われ、あれこれチャンネルを換えた。
テーブルの上には今朝置いて出たカップラーメンがそのままあった。ポットのお湯を入れて3分待つだけだと教えたのだが、難しかったのだろうか。明日出勤するまでにちゃんと実演で教えておこう。
明日は仕事で失敗しないよう、気をつけないと。クビにでもなったらユニくんを養えない。
田舎の両親に相談するわけにもいかないだろう。2人ともまだ孫が誕生したことも知らず、何といって報告したらいいのかもまだ考え中だ。
チャンネルを換えていると、ニュース番組が映った。
聞き慣れた町の名前が聞こえて、あたしはそこでリモコンの操作を止めた。
このアパートの結構近くだ。
22歳の独り暮らしの女性が、今日の昼、何者かに押し入られ、殺害されたらしい。
胸に1カ所、太い錐のような凶器で穴を開けられ、肝臓が抜き取られていて、なかったそうだ。
こんな恐ろしい事件が近所で起こっていたなんて……。あたしは牛乳を飲む喉がごくりと鳴った。
被害者の女性の顔写真がテレビ画面に映し出されると、ユニくんが言った。
「あー、かわいいおねえさん!」
「そんなかわいくもないでしょ」
あたしは率直な感想を述べた。
「昼間のおねえさんだよ、ぼく、会った」
「え?」
あたしは思わずユニくんの横顔を見つめた。
「知ってるひとなの?」
ユニくんはにっこりうなずくと、言った。
「うん。ぼくが食べたんだよ、このおねえさん」




