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 振り払われた私の手が机の上に虚しく取り残された。

 そんなに嫌がることないじゃんか……。ちょっと心配しただけなのに。


「……あ、……えと」


 藍色の瞳が左右に忙しなく動いている。

 体調が悪いわけではないのかな? それならまぁいいか。


「置いておきますね」


 メル君のペンを彼のノートの隣に置く。


「……ありがとうございます」


 もしかして、その言葉を探していたわけではないよね?

 変なの。変だけど、みるみる赤くなるメル君がかわいくて、おかしくて。

 今までと違う面を見せてくれたことが嬉しくて。


「はい」


 だらしないほど顔が緩んでいたと思う。メル君は見てて飽きないな。ほんとかわいい。

 あ、そうだ。このかわいいメル君をモナにも見せないと。

 ほらほら、ウチの子かわいいでしょってドヤ顔でアピールしようと振り返ったら、モナはなぜかニヤニヤしている。

 あれ? なんでそんな生暖かい視線かな?

 逆だよ、逆。私がメル君とモナのやり取りをニヤニヤ見守りたいんだって。

 なんでうまくいかないのかな……。



 2週間の強化週間はあっという間に終わり、4日間のテスト期間は瞬く間に終わった。テスト結果もまずまずで上から4番目。鬼王子の地獄行切符は無事にキャンセルとなった。

 長期休暇前の1週間は身も心も軽くなり、ひたすら図書棟に入り浸る。

 欠点だった学生のための補講と各クラブの活動があるくらいの、私にとっては別に学院に通わなくてもいい日だけど、図書棟が開いているのだから仕方がない。

 朝からフリータイムで読み放題だ。

 休暇期間は開いていないのと聞いたので、今のうちに読み溜めしとかないとね。


 昼食はパティオのベンチで食べて、腹ごなしに学院内を散歩。かなり広い敷地だけど、必要最小限しか知らなかったから、新たな発見もある。温室はいつものところだけでなく、別のところにもあったし、薬草園もあった。あとは馬場。学院の施設にしてはずいぶん規模が大きい気がしていたけど、隣接の騎士訓練校と共有施設らしい。


 午後は「薬用植物図録」なるカラーで描かれたぶ厚い本をめくっていた。

 意外と身近な植物にも薬効があって非常に興味をそそられる。だけど、薬草学は残念ながら高等部の授業だ。そして、このようにカラーで描かれた図録は学院ならではとも言える本で、書店に行けば手に入るという物ではない。持出禁止の貴重品だ。今しか読めないと言っても過言ではない。

 王都近郊はオールーズとは植生も違うと思うし、長期休暇中に少し散策に行ってみたい。


「やあ、レスティア君」


 どのくらい経ったのか、そう声をかけられた。

 声の主は予想と違わぬアッシュピンクの頭髪の持ち主だった。


「先生、お久しぶりです」


 同じ学院内にいても、そうそう会えるものでもないんだなぁ……と時々寂しくも思ってたけど。

 膝を曲げて挨拶をする私に、先生はポンポンと頭を撫でてくれる。

 この人にとって私ははずっと小さな子供の認識なのかもしれない。


「おや、薬用植物に興味があるのかい?」

「先程、薬草園を見つけたので、なんとなくです」

「相変わらずだなぁ」


 目尻を下げて笑う。


「そういえば、薬用ではなないけれど、私の研究室に面白い植物の種子があるんだ。見に来るかい?」


 先生はお菓子をあげるからおいで、という人攫いのようなセリフを吐きながらにこにこと笑ってる。

 面白い種子? ……先生は私の好奇心のくすぐり方をよく知ってるなぁ。


「ぜひ拝見したいです」


 そんなことを言われたら人攫いにだってついて行っちゃうよ。




 研究室という言葉の響きに期待感と不安感が湧き上がる。

 研究室っていろんな標本とか試薬とかがずらーっと並んでたり、魔術とか錬金術とかの怪しい雰囲気が漂っていそうで。ああ、でもなんかグロテスクなものとかあったらちょと嫌だな。カエルやフナのホルマリン漬けなら我慢できるけど。それ以上だったらどうしよう。

 先生って一般人の感覚とは違うところに住んでる人だからな。


「失礼します」


 ドキドキしながら扉をくぐると、心の準備を全力で裏切ってくれた。

 紙と本と紙と紙と本とと……机の上や床の上には地層のように紙と本が腰の高さまで幾重にも重なった山があちらこちらに存在し、壁は壁紙のごとく紙が折り重なるようにピンでとめられている。棚も横に積まれた本と紙が横縞の層を形成している。

 机が3つあるということは複数人でこの壮大な地層のジオラマを作ったのか。

 いくらずぼらな先生でもこれを一人で作るのは至難の技だろう。


 言葉がでない。

 絶句するという現象を体感しながらも視線を先生に向けると、先生はけもの道のようにわずかに残った床の上を器用に歩いて行く。

 一歩も踏み込めない。入った途端にスカートのすそが山に引っかかって土砂崩れを引き起こしかねない。


「ちょっと散らかってるけど、気にせず入って」


 山脈の向こうから先生の声がするけど、既に姿は見えない。

 ちょっと? 散らかっている?

 いや、散らかっているという言葉は既に凌駕しているだろう。絶妙なバランスを保っている紙柱の間ををゆっくり進む。スカートはギュッと縮めるように掴んだ。スカートのボリュームの少ない制服だったのが救いだ。


 蛇行するように続くけもの道をたどっていくと、窓のそばに小さなカウンターがあった。

 水差しとコップが3つに木箱が1つ。唯一といっても過言ではないほど、紙に汚染されてない場所だった。

 先生が木箱を開けると香ばしい匂いが漂ってくる。

 よく知ってる、どこか懐かしい香りだ。

 木箱からかちゃかちゃと音を立てながら取り出されたのは、どこかで見たことがあるガラスのフラスコのような器具、ハンドルのついた器具、それから油紙の包み。

 これってもしかして……。

 ガサガサと音のする油紙が開かれると、黒い豆と香ばしい香りが溢れ出す。

 これって、これって……。


「『コーヒー』じゃないですか!」


 お茶といえば紅茶が当たり前で、コーヒーは今まで話題に上ることさえなかった。


「やっぱりこれって『サイフォン』ですよね? すごく『レトロ』なやつですか?」


 面白い種子ってコーヒー豆の事だったの!? 確かに種っていえば種だけど。

 勝手に希少植物の種子かと思ってた。

 ああ、いやコーヒーが一般的な飲み物でないから希少ではあるのかな?


「驚きました。『まさかここでコーヒーに出会うなんて。しかもサイフォンなんて』」


 これは嬉しい予想外だ。


「『私、サイフォンのアンティークな感じが好きで、前はよくサイフォン使ってたんですよ。でも子供がいるとなかなかそうもいかなくて……』」


 バラバラになっていたサイフォンを組み立て、もう一つの器具を見る。


「『こっちはミルですか? これまたレトロ感満載ですね。こんな丸ハンドルがついたタイプ初めて触ります。コレって……ああ、なるほどここに豆を入れて挽くと。手挽きの豆をサイフォンで淹れるなんて、贅沢時間ですね』先生」


 隣で無言のままの先生を見れば、先生は穏やかに笑っている。


「先生が『コーヒー党』だなんて思いませんでした。なんでもっと早く言って下さらなかったんですか」


 紅茶も嫌いじゃないけど、私だってコーヒーの方が昔から好きなのに。


「『はー、いい匂い。このコーヒー飲んでもいいんですか? っていうか、飲みたいです。飲ませてください。お願いします』」


 ずいと先生に詰め寄ると、一層笑みを深めた。


「うん、きみがこれが何か知っていることは良くわかったよ。」


 あ……あれ? 私、今、何言った?


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