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いや、しかし、帰るにしてもなんにしてもこの人垣をかき分けて行くの? ちょっと考えただけでもげんなりする。
どうしたらいいのさ!
王子のお取巻きの二人が懸命にギャラリーを誘導してサンルームから離れるように促してるようだったけど、なかなかうまく行かない。
王子は溜め息をついて諦めているようだったけど、こんな事態に慣れていない私は恐怖すら覚える。
騒ぎの中サンルームの扉をノックする人物がいた。ピンク色がかった灰色の髪が見える。
私と視線が合うと先生はサンルームに入ってきて、いつもののんびりとした口調で言った。
「やあ、ノルベルト君、レスティア君」
そして私においでおいでと手招きをする。
先生の前に行き膝を曲げる。
「先生、どうしてこちらに?」
先生は高等部の受け持ちなので中等部の建物にいるのが少し不思議だった。
「うん、きみを探していてね。何か騒がしかったから、きっときみがいると思ってね」
さらっと失礼なこと言ってますよね?
「ノルベルト君、そういうわけでレスティア君は連れて行くよ」
「いえ、レスティアは僕が送ります」
近づいてくる王子に先生は大きなため息をついて首を横に振る。
「この騒ぎの中できみが彼女と歩けばどうなるかぐらいは、いくら考えと我慢の足りないきみでもわかるんじゃないのかい?」
先生、穏やかな口調で王子にも失礼発言してますよ。
「やれやれ、きみをこんなガラスケースに入れるなんて困った王子様だね?」
先生に同意を求められたけど私はそれには頷けない。
「先生、それはノルベルト様のせいではありませんし、わたくしも了承いたしましたので」
王子は私の病を知らないのだから。
「そうなのかい? きみがそう言うなら、そういうことにしておこうか」
なんか、先生、こんなだっけ?
先生は大きなガラスの入った扉を開け、そのガラスを背中に隠すように立ってくれる。
「ありがとうございます」
「うん」
そう言って目尻を下げた笑顔はよく知ってる顔だった。
「ノルベルト様、ノートお借りいたします。ありがとうございました」
「ああ、また明日」
膝を曲げてあいさつすると、王子は困ったような顔をしていた。
親鳥を追いかける雛のように先生の後を追う。
さすがに先生の前で大騒ぎするのは憚られるのか、自然と人の波が開けていく。
人の輪を抜けてしまうとすぐに人はまばらになり、喧騒は消え去った。
静かな廊下を歩きながら、私は前を歩く先生に声をかけた。
「先生。ご用は何だったでしょうか?」
私が十分に追いかけられるのだから、先生は私の歩調に合わせてくれているのだろう。そういえば、オールーズではマナーの授業にもお付き合いいただいていた。
「ああ、そうだったね」
先生は顔だけ振り返りながら困ったように笑った。
「何にしたらいいかな?」
あれ? 用があって探してたって言わなかったっけ?
「……髪は下ろしても平気になったのかい?」
「はい。……正直に言うと、少し気持ち悪いですけど」
先生はあえて隣ではなく数歩先を歩いているようだった。
「でも、先生の髪色も、きれいな色だなって思えるので、そのうち慣れるのではないかと思ってます」
「何かあった?」
「少し、思うところがあって。……それに先生が『普通』のヒントをくれたんじゃないですか」
先生が振り返って驚いたような、困ったような顔を見せた。
「きみに会わなかったのは1年だった気がするけど、ずいぶん大人になった気がするぁ」
いろいろ思い出したことはある。でも、先生に言うにはまだ心の整理がついてない。
突然、先生がぴたりと立ち止まった。
「レスティア君」
それに合わせて立ち止まると、先生はくるりと振り向いた。
「きみは、ここがどこだか分かるかい?」
はい?
「私は中等部の建物に来ることほとんどなくてさ。適当に歩いてたら、どこだか分からなくなっちゃったんだよね」
「……先生、学院に来たばかりのわたくしにそれを聞いて、分かると思いますか?」
そもそもついて行けばいいと思っていたから道順を覚えようとかも考えてなかったのに。どこかで階段を上ったことだけは確かだ。
「だよねぇ」
二人で顔を見合わせて、大きくため息をついた。
まさか迷子になるとは思ってなかった。
えーと、確か図書棟が全体の中心付近だったはず。図書棟が見えれば……。
外を覗いてみると眼下に温室見えたから、図書棟は逆サイドだなと思って視線を移そうとした。
それなのに、温室の中の人影が見えて、一目でそれが誰か分かってしまったら、目が離せなかった。
ガラス張りの温室の天井から見えた二人の人物。
普段何も見えてないくせに、こんな時だけ見えてしまうとは……。
盗み見ているようで申し訳ない。己の間の悪さが恨めしい。
たまたまだから。たまたま見えちゃっただけだから!
手前に立つ女の子が何かを目の前に立つ男の子へ差し出している。
女の子の顔は見えないけど、相手は黒い髪の男の子だ。よく知る顔の。少し顔を赤らめた。
これは……アレか。
「レスティア君」
先生の声が聞こえるけど、頭の中のがついていかない。
「気分が悪いのかい? 大丈夫かい?」
「え、と……いいえ。問題、ないです」
アレか。意地悪令嬢として相手をいびり倒す私の計画が発動するときか。
ああ、でも相手の顔がわからんな。
もう一度温室の天井から覗いたけど、そこにはもう誰もいなかった。
ダークブロンドのように見えたけど、誰だったんだろう?
同学年の子かな? 可能性とすればそれが一番高いと思うけど……。
……そっか。……ああいう表情もするんだな。
「レスティア君?」
「先生、大丈夫です。図書棟はこちら側になるはずなので」
顔を赤くして、ちょっと困ったような……。
「だいぶ奥の方まで来てしまいましたけど、生きて帰れますよ」
でも、照れくさそうな……。
「いや、私も遭難したつもりはないけどね?」
そっか。……そっかぁ。なんか、淋しい感じがするけど。
「先生、そのセリフは野外観察に連れ出された挙げ句、敷地内での迷子に付き合わされたわたくしには信憑性がありません」
でも、いいことだよね。うんうん。
「きみはそんな昔のことをよく覚えているなぁ」
「2年前の話ですからね」
「えぇ? そうだったかなぁ?」
相変わらずこの人は自分の興味の無いことは秒で忘れるスタイルか。
「わたくしは図書棟へ参ります。先生はどうなさいますか?」
「では、私も行こう」
来た道をたどるのを基本に図書棟をめざす。
今日こそ、図書棟を堪能する! そのつもりだったのに……。
「ねぇ、先生」
「なんだい?」
「ハンカチを渡すって、どういう意味ですかね?」
あの子が渡していた物はそれだった。……絶対に見間違いじゃないとは言いきれないけど、多分そう。
みんなやたらハンカチに拘ってるから、何か意味があるんだよね?
「うーん? 確かだけど、学生の間で流行っていたのは、自分の名前を書いて相手に渡すと恋人の成約になるんじゃなかったかな?」
ああ、先生には興味無かったヤツですね。名前を書いてどうするんですか。
「先生、多分それ、名前を刺繍するんですよ」
「ああ、うん。そうだったか。レスティア君は物知りだな」
いえ、私が聞く相手を間違えただけですよね。




