EX1 侍女エリーの回顧録
私が侯爵邸にお仕えするようになって半年ほどたった冬の日、侯爵家には4人目のお子様がお生まれになった。
とはいえ、下級侍女である私には直接的には関係がない。奥様やお子様の周りに人手が必要になるから、その補充人員として新たに雇い入れてもらったのだから、無関係とも言い難いけど。
新しいお子様の誕生にお屋敷の中はとても暖かい雰囲気で、上のお子様や奥様・旦那様の明るい声も良く聞いた。
何でもお生まれになったお嬢様はお美しい奥様譲りの真珠色の髪と黄金の目をお持ちだとかで、将来は奥様のように美しく成長されるだろうと使用人の間でも評判だった。
レスティア様と名付けられたそのお嬢様が、あまりお身体の状態が良くないといわれるようになったのは生後2・3ヶ月のころだったように思う。
朝も晩も関係なく突然火が点いたように泣き出すことが多く、それが疲れて寝てしまうまで続くのだとか。
奥様も乳母も、お世話をする侍女たちもひどく疲れていると聞いていた。
だからといって、私の仕事に何か変化があることはなく、日々は過ぎていった。
レスティアお嬢様が1歳を過ぎる頃には、奥様はお嬢様の育児から手を引いてしまったと聞いた。
なんでも、お嬢様の癇癪があまりにひどくて見限ったという噂だった。
旦那様やご兄弟たちも距離を取り、侍女も本当に最低限のお世話だけをしていると聞いた。
そんな話を聞いた数日後、私は初めてお嬢様の姿を垣間見た。
白い髪に金色の瞳の、小さな子供。子供というより赤ん坊の方が近い。よちよちと歩く割に
「いや、来ないで」
とはっきりと言っていた。その上、泣きながら嫌がるというよりは恐怖を感じている表情で、侍女から逃げようとしていた。
その幼さと感情がちぐはぐに見えた。
癇癪が酷いとはこういうものなのかと思った。
レスティアお嬢様の歩みがお上手になるに連れて、お屋敷内のあちこちで騒ぎを起こすようになった。
突然悲鳴を上げて走り出したり、誰彼構わず誰にもわからない言葉でまくし立てたりしている姿も見た。
私たちのような下働きはなるべくお嬢様に近づかないよう言い渡され、掃除もお嬢様の目につかないようにしていた。
特にお嬢様が癇癪を起こしているときは皆息を潜めていた。
その頃になると、皆がレスティアお嬢様の心は病に冒されていると言うことを憚らなくなっていた。
お嬢様の2歳の誕生日が近づいていた秋の初めごろだった。
この頃のお嬢様は非常に落差が激しく、癇癪が起きるとひたすら泣いて叫んで、収まれば糸の切れた操り人形のようにぐったりとしているかのどちらかだったと思う。
お嬢様が休まれている間にお部屋の片付けをすることになり、お嬢様の部屋に入った。
カーテンの締め切られた薄暗い部屋だった。
部屋の中はひどく荒れていて、こぼした食事も片付けられていないほどの汚れようだった。
とりあえず窓を開けようと、カーテンを引くと、部屋の隅で何かがビクリと動いた。
よく見たら、二つの金色の目がシーツの塊の隙間から見えていた。
「……お嬢様、……申し訳ありません」
私はもちろん、片付けに入った下級侍女全員がお嬢様は別の部屋で休んでいるものと思っていたので、皆が息を呑んだ。
お嬢様の癇癪が始まるのではないかと恐ろしかった。
お嬢様はシーツをズルズル引きずりながら動き出し、やがてそのシーツから抜け出して私のところへやってきた。
白く細い腕を伸ばしながら、何かを言っておられたけど、私にはお嬢様の言葉は何も分からなかった。
小さな手で私のスカートを握って、必死に何かを訴えていらっしゃるのに、私は何ひとつ理解して差し上げられなかった。
ただ膝を付き、お嬢様の細く小さな体をそっと抱きしめることしかできなかった。
大きな金色の瞳から涙を溢れさせながら、お嬢様はようやく私にも分かる言葉で話された。
「助けて」と。
そこからは、私の仕事は一変した。
お嬢様の専属侍女になり、身の回りのお世話の一切を任されることになった。
だけど私は商家に生まれた平民の娘で、お屋敷でもお掃除ばかりの下級侍女で、お嬢様のお世話ができるような知識も技術もなかった。
お嬢様が初めて受け入れた侍女ということで、侯爵様も私の不足しているところはこれから勉強していけばいいと仰ってくれた。まずはそばに居てやってほしいと頼まれた。まさか貴族の旦那様からお願いされるとは思わなかった。
お嬢様は私のことを「エリ」と呼び、とても懐いてくれた。お嬢様は少しずつ癇癪を起こす回数も減り、食事も召し上がれるようになった。表情も豊かになり、子供らしい面も増えた。
私の失敗を慰めてくださったり、ときには一緒に笑ったり。
とてもおしゃべりが上手で、2歳の子供と居るようには思えなかった。
少しずつお嬢様が明色の髪を持つ方が苦手としていることもわかった。
私は、外国生まれの祖母の血を強く受け継いでいて、黒髪黒目で肌の色も濃く、他の方と比べると、顔の凹凸もなだらかだ。
もしかしたら、その、ほかの人とは違うところをお嬢様は気に入ってくださったのかもしれない。
お嬢様の周囲には私の他にもお世話ができる侍女が二人。一人は奥様付きから移動してきたベテランの方で、私の教育係でもあった。奥様へお嬢様の生活を綿密に報告もしていた。もう一人は私といくらも変わらない歳の侍女だった。
お嬢様が一番なついてくださったのは私だけど、私一人ではとても十分なお世話ができなかったから、お嬢様がこの二人を受け入れてくださったことは本当に感謝しかない。
主治医の先生はお嬢様の健康状態を見てくださったけど、お嬢様の癇癪に関しては首を横に振るばかりだった。
機嫌よく遊んでいたかと思っても、何かのきっかけで癇癪が起こる。そのきっかけが何かはその時々で、癇癪のきっかけになったものは徹底的にお嬢様の周囲から排除された。
ある日、灰桃色の髪の学者様がいらっしゃった。フォルテア様はお嬢様にごあいさつされたものの、お嬢様は私のスカートの陰に隠れて震えながらうずくまってしまった。
それからフォルテア様はお嬢様から見えないところでお嬢様を観察されていた。時間があるときは一日中でもお嬢様を観察されていて、お嬢様の行動、喋ったこと、興味を示されたもの、召し上がられたもの、なんでも記録されていた。
物陰に潜むように観察されているその姿は侍女たちには非常に気味悪がられて、至極評判が悪かった。
冬の半ば、2歳のお誕生日にと旦那様と奥様から素敵なお洋服が贈られた。
噂ではご夫婦はお嬢様を見限った、などと言われていたけど本当は違った。旦那様も奥様もそれはそれはお嬢様を思われていた。
だけど、お嬢様は奥様を殊の外苦手としている。赤ん坊の頃は奥様が抱くとひどく泣いて手がつけられなくなったという。だから、お嬢様のために奥様はお嬢様と直に接触することを止められた。毎日毎日私たちの書いた育児日誌を熱心に読んでおられた。
お嬢様のお誕生日には少し伸びてきた白い髪に青いリボンを飾り、たくさんのレースが使われた青いワンピースをお召しになった。
その姿は、お人形のように愛らしくて、みんなでため息をついた。
その後、なぜあんなことをしてしまったのか、今になっても分からない。
お嬢様がとてもかわいらしかったから。
癇癪を起されることも少なくなって落ち着いておられたから。
私たちもお誕生日という特別感に浮かれてしまっていたから。
お嬢様を喜ばせたかった。その気持ちに嘘偽りはない。
大きな鏡の前にお嬢様を立たせてしまった。
お嬢様はパッと笑顔になられ、それからご自分の姿を確かめるように鏡に触れられる時にはひどく緊張した様子だった。
ポツリと一言何かを仰った。
それは私たちにはわからない言葉で、3人で顔を見合わせた次の瞬間には、お嬢様は悲鳴を上げながらご自分の髪を引きちぎろうとなさっていた。
嘔吐を繰り返しながら泣き叫ばれて、やがて糸が切れたように眠りにつかれた。
旦那様と奥様には酷く叱られたけれど、それ以上に配慮が足りなかったことをお嬢様にお詫びしたかった。
まだお休みになっていると思っていたお嬢様のお部屋の前まで来ると、室内から物音がして、ひどく嫌な予感がして私は部屋に飛び込んだ。
暗い部屋の中で、お嬢様は小さな手で鋏をにぎり、ご自分の髪を切落していた。
あのときは本当に驚いた。お嬢様の手の届くところに置くはずのない鋏を持っていたことも。その鋏でご自分の髪を切られていたことも。
生きた心地がしなかった。
大きなけがに至らなかったのは不幸中の幸いだった。
今日、ご自分から髪を下ろしてほしいと仰られた時はあの時のことを思い出してぞっとした。
そのあと鏡を見たいなどと言われた時は、絶対にダメだと思った。
少しずついろんなものを受け入れて成長されている様子を間近で見てきたからこそ、ご自分自身を受け入れられるようになってほしいという気持ちもあって、結局は手鏡を渡してしまったけど。
倒れられた姿を見て、やはりいけなかったのだと後悔した。
真夜中、お嬢様のお部屋の様子を見に行くのは久しぶりだ。
幼いころは日課だったのに。
ドアの前立って中の様子を窺うが、物音は無い。
そっとドアを開けると、お嬢様はベッドの上で膝を抱えて座っておられた。
「エリー?」
ドアの開く音に気が付かれたのか、お嬢様は顔を上げずに私の名前を呼ばれた。
「はい。起きておられたんですね」
「うん、目が覚めちゃった」
泣いておられるのだろうか?
「ご気分はどうですか?」
ベッドに寝かせるときはきっちりと被せたはずのナイトキャップはお嬢様の手に握られている。
「……大丈夫。心配してくれてありがとう」
流れる白い髪が細く差し込む月の光に溶けているように見える。
「大丈夫」
涙をにじませた声でもう一度そう仰られてから、お嬢様は顔を上げて私に微笑みを見せてくださった。
ブクマ&評価ありがとうございます。
そのひと手間をいただけることが
とても光栄なことだと思ってます。
本当にありがとうございます。




