19
ローテーブルを挟んで目の前に両親が座っている。
この距離は、これまでに比べればかなり近い。
先ほどの一件を除けば。
「それで、お願いってなんだい?」
二人の暴走が収まらないので、父付きのベテラン執事の勧めで食事の前に用件を済ましてしまうことになった。
正直、それさえすめば部屋に帰りたいですが。
なんで二人の距離感がおかしいのか意味がわからない。
意味は分からないが、父は気持ちが悪いほどの上機嫌だ。
上機嫌ついでに「うん、いいよ」ってあっさり言ってはくれないもんかね。
「学院の、選択科目についてです」
父も母も兄姉も学院の出身だから説明は端折る。
「わたくしは学術系の科目を選択したいと思っています」
「……なるほど」
特に説明はなくとも理解してくれたのだろう。父は難しい顔をして目を瞑って何かを考えている。
先程までの満開の笑顔がなくなったことを考えると、やはり難しいことかもしれない。
「これが貴族の娘らしからぬ行動であるの分かっているつもりです」
「ふむ」
「ですが、わたくしはこの機会を逃したくないのです」
私が言い終わると、父は目を開けた。
瑠璃色の瞳に映るランプの灯りが揺れている。
真っ直ぐに私を見て、ゆっくりと口を開いた。
「その選択は、苦労が多く伴うよ?」
それは少し挑発的な音を含んでいたように思う。私にそれが耐えられるのか、と。
「それは、少しだけ理解したつもりです」
きっとヴァネッサだけじゃない。大抵の人に思われるんだ。普通じゃないと。
それに、きっと他にもあるのだろう。
それを全部理解してるとは思わないけど。
「覚悟だけはしているつもりです」
父の小さなため息が聞こえた。
「うん、いいよ。ティアの好きに選ぶといい」
え? あれ? ある程度は制限されるつもりでいたんだけどな。
「私が送った教師たちからは、ティアがとても優秀な生徒であったと報告を受けているし、私自身もそう思っているよ」
父がそう言うと隣の母も大きく頷く。
「例えばティアが刺繍が苦手で、そこから逃げ出すための選択なら反対したかもしれないけどね」
ぐふぉ。それを言われると、社交とかマジめんどくさい。やりたくないって思っているんだけど。
言わなくてもいいかな……? 大丈夫かな?
「もぅ、嘘ばっかり。ティアのお願いなら何でも聞いてあげるくせに」
「シアのお願いも全部聞いてるよ」
はい、そこ。娘をダシにイチャつかないこと。
見てるこっちが恥ずかしいわ。
「しかし、学術を修めてどうしたいんだい?」
父が何か思いついたように問うてくる。
「知識を得るチャンスを得られたので、それを有効利用したいと思っています」
こないだもどっかで同じようなことを聞かれたな。
「それ以上は特になにも」
この4年を余すことなく使い切りたい。
「ティア、隣りに座ってもいいかしら?」
是認すると母はゆっくりと私の隣に座った。
「あのね、わたくしたちの一番の願いはあなたがわたくしたちのところへ帰って来てくれることだったの」
母の手が伸ばされ私の髪を撫でていく。
「あなたがたくさんの辛いことや苦しいことを乗り越えてくれたから、わたくしたちの願いが叶ったと思っているわ」
母の顔を半分覆うベールの向こうで光が揺れているように見える。
「これからはあなたに、あなた自身の願いを叶えて欲しいの」
私の願いは普通の生活だ。普通の貴族の娘らしくあることができればそれでいいと思っていた。……けど、私の考える普通は世間の普通ではなくて、それは「私の普通」ではないと先生に指摘されたところだ。
「お母様、お顔を見せていただいてもよろしいですか?」
母が顔を隠すのは、きっと私のせいだろう。自分の顔が見れないように、母の顔もまた嫌がったに違いない。
私の言葉に母は随分戸惑って、それから頷いた。
母の細い指でゆっくりと上げられたベール下から現れたのは、美しい顔だった。口元だけでもきれいな人なのだろうと思っていたけれど。
確か40は過ぎていたはず。確かに年齢よりも若く見えるが、それ以上に単なる若々しさではない、美しさがある。完成した美術品のような。
そして、印象的な黄金の瞳。ランプの灯りでさえも明るく輝いて見える。
「怖く、ないかしら?」
視線を外してそう言う母の方が怖がっているように見える。
「いいえ、大丈夫です」
そう答えると母は安心したように息を付き、真っ直ぐにこちらを見る。
「わたくしの願いがまた叶ったわ。ベール越しじゃなくあなたの顔が見たかったの。真っ直ぐにあなたと向き合いたかったの。……ありがとう」
金色の目に涙を浮かべて微笑むその表情が、別の誰かに重なった。
白髪交じりの黒い髪で。美人でもなんでもない、どこにでもいそうな普通の中年女性で。だけど鏡を見たら、私は間違いなくこの人の娘だと実感した、あの人は……。
『幸せになってね。……ありがとう』
そう言って送り出してくれた。
「……『お母さん』」
母が慌ててベールを下ろし始めたことで、私は声に出してしまったことにきがついた。
「いいえ、大丈夫です。大丈夫ですから、どうかそのままで……」
母の手を止めて、白くて細くてきれいな指に触れた。
お母さんは夏は指先まで日焼けしたと文句を言い、冬になればアカギレに苦しんで、ハンドクリームが友達だった。
この人の指は『お母さん』とは真逆なのに、この人もまた私のお母さんなんだと思った。
「ありがとう……ございます」
母の手を握りながらそう告げた。
晩餐の席はひどい苦行だった。
本人目の前にしての両親による娘自慢大会だ。
毎年送っている新年の贈り物について、あの年のあれが良かった、これが良かった。……それはまだいい。
音楽に先生からの報告書で読んだという課題曲の出来や、刺繍の課題の品評だとかが、親バカ目線でかなり偏った評価を垂れ流しにされるという……。
なんでそれをあんたたちが知っている!? というところまで昔話に花を咲かせられて、生き地獄とはこのことかと思った。
なるほど。これは耐えられない。
私は持っていた手鏡を伏せてため息をついた。
母の顔が大丈夫だったからと言って渋るエリーに無理にお願いして鏡を持ってきてもらった。
覗き込んで、やっぱりと思ったのは金色の眼。だが、母とは違う。虹彩の外縁は父に似た鮮やかな瑠璃色で、中心に向かって淡い黄色だった。
髪の淡色と金色ベースから母寄りの色を持っているのかと思っていたけど、父からの色をごく薄く受け継いだのかもしれない。
顔の造りは完全に母だ。あの、恐ろしいまでに美しい母に似た面差しの少女が鏡に映し出されていたのだ。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
ため息をついたきり動かなくなったので、心配をさせてしまったようだった。
「大丈夫よ。気分が悪いわけではないの」
ただ、やっぱりこの事実は受け入れがたい。
黒髪黒目の、良くも悪くもない、どこにでもいるごく平均的な顔ではない。
もう一人の母の面影と、それによく似た自分という記憶を思い出してしまった。
それなのに、あの美しい母の娘であることが一目瞭然の顔があった。
こんなの私じゃない、と全力で否定したい。
青白い髪と、金色の眼をした生きてるビスクドールだなんて、悪夢か。
母はアレだけど、父は飛び抜けた美中年ってわけじゃないんだから、せめてそっちに寄ってくれればまだ受け入れられたような気がするのに。
以前はもっと自分を否定する気持ちが強くて、一から十まで全てが嫌だった。
何もかもが嫌で、いつも怒りとか焦りとか絶望とかに苛まれていた。
この青白い髪は視界に入るたびに嫌だったと思うし、この顔を見たら鏡を割る勢いで怒り狂っただろう。
このところあまり無かった自分を受け入れられない感覚が腹の奥から湧き上がってくる。
あんなに夕飯を食べるんじゃなかった。
「エリー、ごめんなさい。やっぱりダメかも」
立ち上がると、体中の血液がズルっと落ちていくような感覚がして目の前が暗くなっていく。
すぐに駆け寄ってくれたエリーに支えられた。
暗くなっていく視界の中にエリーの顔があって、少し安心した。




