16
「実はきみの家庭教師をやってる間は染めていたんだよ」
何でもないことのようにそう言う。
「染めて? なぜですか?」
先生は以前のように目を細めて大きな掌で頭をぽんぽんと撫でてくれる。
「時間はあるかい? 外で話そうか」
確かに、ここでのおしゃべりは良くないか。
図書棟の傍のパティオで、先生とベンチに座った。
髪の色の他の変化は、なんというか、先生は全体的によれよれだ。身なりに気を使っていないというか、端的に言えばずぼら感が満載だった。
「きみの家庭教師になるには頭髪と虹彩の色が暗色である事が条件だったんだよ。知らなかった?」
初耳だ。
っていうか、いや、まってまって。
おかしくない? おかしいよね? 先生は3年間という期限付きで家庭教師をしてくれた。……そうだ。いつだか言っていたっけ。期限が来たら元の仕事に戻らなきゃいけないって。うん、たしか。
え? で? 王立学院の先生が休職してまで私の家庭教師やってたの?
髪を染めてまで?
おかしくない?
「……父が無理にお願いしたんですか?」
考えたくないけど、そういうこと?
「ちがうちがう」
心が冷たくなりそうなほど嫌な気持ちだったのに、先生は明るく笑った。
「私がね、どうしてもきみの傍に居たかったんだよ。きみはとても興味深い存在だったからね」
……ちょい甘めの言葉でディスられてる気がするんだけど。
「そうしたら、きみの父君が髪の色が不適格だって言うもんだからね、染めたんだ」
なんてことないようにそう言った。その上、エリーたちに「お嬢様の前に立つのにふさわしくない」と言われ身だしなみを毎日強制的に手入れされていたらしい。
ということは、今の先生が100パーセントナチュラルな感じなのか。
頭の先からつま先までまじまじと観察してしまった。
たれ目がちな先生の目じりが更に下がったような気がする。
「この一年のきみの変化を教えてほしいけど、まずはきみが抱えている課題をを解決しよう」
私だって聞きたいことはあるけれど、順序を示されてはそれ以上問えないし、先生の言うことは至極最もだった。
「選択科目をどれにするべきかと考えています」
「ふむ、それが今きみが抱えている課題かい?」
目を細めた優しい笑顔を向けられて、全てが見透かされているような気になる。
「……今日、同学年の子に普通の令嬢らしくないと言われたのです。それは授業の選択の仕方がおかしいということなのですが……。刺繍とマナーといった教養科目をとれば、『普通』に見えますか?」
冷たくなっていく指先を握りこんだ。
「……先生には今のわたくしは『普通』に見えますか?」
「なるほど」
先生は軽く握った拳の人差し指を顎に当てて、真剣な眼差しで私の目を真っ直ぐに見つめてくる。
「きみの言うところの『擬態術』に関していえば、問題ないと思うよ。努力の結果だ。もっと自信を持ちなさい。どこから見てもご令嬢だよ」
一瞬、視線が柔らかくなったが、直ぐに厳しいものへと変わる。
「でもね、『普通のきみ』かという点では否定をするしかない。特にその選択の仕方はね」
先生はそこで言葉を止めて、小さく息をついた。
「先週のきみの選択科目を聞いたよ。実にきみらしい選択だと思った。私と勉強した中でも特に興味を持っていた分野だったからね」
「でも、それは普通ではないのです」
先生が私の好きなことを認めてくれたことも、私との勉強の時間を覚えてくれいていたことも嬉しかった。
でも私の選択は間違っていた。私は今、最適解が欲しい。
「レスティア君、きみが考える普通ってどんなだい?」
「それは」
「それは、誰かの意見に沿った普通ではないのかい?」
答えるまでもなく、心の内を言い当てられた。
「私が聞いているのは、きみが考える普通だよ。私は、きみがきみらしくあるための、きみが『普通』でいられるための選択をするべきだと思うよ」
私らしくあればいい、先生はいつもその言葉をくれた。
「病」のせいで、混乱した記憶に苦しんだ時も、理解のできない感情に振り回された時も、知るはずのない感覚にさいなまれた時も、先生のくれた言葉に助けられてきた。
一度にすべてが分からなくていい、私の中にあるものが今は形にならないだけで、いつか分かることも知ることもあると。
私の中の不確かなものも全部ひっくるめて私であり、不確かな部分があるからこそ、私が私であるのだと。
先生は一つ一つ、本当に細かいことまで私の「病」に付き合ってくれた。お医者さんではないけれど、私の病の一番の理解者だと思う。病の為に弱りがちだった身体のケアをしてくれたのは確かにお医者さんだったけど、実際に病に向きあってくれたのは先生だった。
「さあ、選択をするための原理は決まったかな?」
いつもの目じりを下げた笑顔が嬉しかった。
「はい、先生」
ああ、でもこれは父に確認が必要な案件かな? 好きにしていいとは言われたけど、非常識なことをしていいと言われたわけではないし。
……父母に会うと思うと少し憂鬱な気持ちになる。
「不安、かな?」
「そうですね。わたくしの憧れていた普通がそもそも『普通』ではなかったんだな、ということ。……それを父母が受け入れるかどうかということ、ですかね」
「なるほど」
先生は目を閉じて少し考えてから続けた。
「話を最初に戻そうか」
「最初というと、髪を染めていたという話ですか?」
「うん」
先生の手が頭をポンポンと撫でていく。
「私が髪を染めていたのは、きみが怖がっていたからだよ」
その先生の言葉は、予想外だった。
「怖い、ですか?」
「私がきみに初めて会ったのは、10年以上前のことなんだけど、覚えているかい?」
私は首を横に振ることしかできなかった。
「きみはたくさんのものに怯えていて、全てを拒絶しているように見えた。無論私も拒絶されたよ。……侯爵ご夫婦もそれは胸を痛めていたんだよ」
全く覚えてない。いろんなことがうまく行かないちぐはぐさに苛立っていたことぐらいしか覚えてない。
「本当に、このままでは衰弱死するんじゃないかというほどだったんだ。
だけど、きみはどういうわけかエリーに懐いたんだ。そこから少しずつきみが拒絶以外の反応をするようになってね」
懐かしむように先生は話してくれるけど、そんなの全然覚えてない。
「そこから、エリーに似た色合いを持つ人間なら拒絶が少ないのが分かって、きみの周りにいる人間は暗色であることという条件が侯爵からだされたんだ」
そうだ。言われてみれば、私の周りの侍女も従僕もほとんどが黒髪か、黒といわずとも暗色だ。下働きの者はすっぽりと覆う帽子で頭髪などほとんど見えない。オールーズでも、王都の離れでも。
……主屋に行けば? そうだ、主屋に行ったときの侍女は……?
いや、母は……あの人は……。
会うときにはいつも大振りなヘッドドレスと目元を厚いベールで覆っていた。
正直、センスを理解しがたい珍妙な格好だなと思ったけど。
でも、隙間から見えるのは白にも見える淡いブロンドだ。
言葉にできなかった。
最初に拒絶したのは私だったのに。
そんなことはきれいに忘れて、諦めていたなんて。
自分の愚かさにいっそ笑えてくる。
「安心していい。きみが思っている以上に、ご両親はきみのことを思っているよ」
私は先生の言葉に小さく頷いた。




