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 学院の敷地は広い。中央棟と呼ばれる建物を中心に半放射状に小、中、高の各部がある。共有施設である図書棟は中央付近に位置する。

 あんまり、意識してなかったけど、私、体力ない気がする。

 ちょっとくらいは運動もしてたつもりだったけどな。

 あー、つーか、メンタルか。体力以上にメンタルが弱いよな。ちょっと揺さぶられただけでぐずぐずだ。情けない。

 ……だめだ、姿勢が崩れる。もっとちゃんとしろ、私!

 下に落ちていた視線を上げようとしたときに、どんっと体に圧力がかかって、視界が揺れた。


「あら、ごめんなさい」


 頭の上からそう声をかけられて、自分が手と膝を床についていることに気が付いた。

 しまった。ぼんやり廊下の真ん中歩いちゃったか。


「こちらこそ、申し訳ありませんでした」


 はぁ、もー、踏んだり蹴ったりだ。 

 顔を上げたけど、ぶつかった相手はとっとと立ち去っていて後姿しか見えなかった。

 けど、どういうわけかその子と入れ違うようにメル君がいた。

 うげ。よりにもよって、この恥ずかしい姿をメル君に見られるとは。


「大丈夫、ですか?」


 手を伸ばして、助けてくれようとしている、んだと思うんだけど。声がめっちゃ不機嫌なんですけど。

 いやいや、ほっといてくれていいから。ちょっと転んだだけだし。

 ここは見なかったふりをして通り過ぎてくれるのがベストだよ。


「大丈夫です。お気になさらず。慣れてますから」


 あえて、メル君の手を使わずに立ち上がったら、彼のため息が聞こえた気がする。

 転んだ拍子に放り投げてしまった私のカバンを拾ってくれたメル君だけど、彼はなぜか怒りのオーラをまとっている。

 いや、なんで? クラブに行くんじゃなかったっけ?

 いや、なんで? 学院では関わりたくなかったんじゃなかったっけ?


「今からどちらへ?」


 そんなに怒るくらいならほっといてくれていいんだよ? 薄情とか思わないから!


「え…と…図書棟へ、行こうと思ってます」


 私の答えを聞くと、メル君はまたため息をついた。そして、私のカバンを持ったまま歩いて行ってしまう。

 おおい、カバン、私のカバン返して?

 無言で先に行ってしまったけど、なぜか令嬢速度でも十分ついていける。


「メ……、ウィスコンシン様、鞄を返していただけますか?」


 背中に話しかけるけど、返事はない。ただの怒れるメル君のようだ。


「……私もこちらに用があるので、ついでです」


 返事をもらうのを諦めてついて歩いてたら、突如答えが返ってきた。

 そうか、メル君も図書棟に用事があるんだね。

 って、納得するか! カバンを持たせてるのもすごい罪悪感を感じるんだけど!

 どうすんのこれ。どうなってんのこれ。


「……慣れてるって……」


 あんまり小さくぽつりと言ったから危うく聞き逃すところだった。


「どういうことだ? ……ですか?」


 うーん? なんかまた怒りのボルテージ上がってるよ?


「それは、お恥ずかしい話なのですが……」


 まさか、自分の恥ずかしい話を自分で暴露することになろうとは。

 ああ、また、メル君に「ざまぁみろ」って言われる未来が見える。


「わたくし、その、一人でいる事が多かったので、他の方の通行を気にする習慣がなく、周囲の方にご迷惑をおかけしているようで」


 なんで世界が自分中心で成り立ってたなんて恥ずかしい告白をせにゃならんのだ。


「気が付くと、転んでることも、割とあります」


 特に今日は、集中を欠いていたから、見事に転んだしね。

 メル君は怒気を吐き出すように大きくため息をついた。ただ、それだけで、それ以上何も言わなかった。

 無言でため息って。もういっそ「ざまぁ」言ってくれませんかね? 余計切ないんだけど!?

 カバンを人質にされてなければダッシュで立ち去りたい。

 結局メル君は無言のまま図書棟の前までカバンを持ってくれた。

 無言のまま差し出されるカバンを受け取り、膝を曲げた。


「ありがとうございます」

「……気を付けて」


 その一言だけ言い残して、メル君は来た道を戻って行く。

 ……図書棟に用事があるんじゃなかったっけ?

 えっと、わざわざカバン持ってくれたのかな? そんなわけ。そんなわけ……ないよね?

 あんなに怒ってたのに?

 あれ、なに。ざわざわする。

 深呼吸、深呼吸、しーんーこーきゅー。

 よし、貼りつけ、令嬢スマイル。






 書棚には幸せが詰まっている。

 本っていいよね。幸せだよね。

 こんなにたくさんの幸せがあるのに、利用者はあまり多くないのかな?

 とはいえ、私もこれだけの本を前にしても手に取らず、カバンから引っ張り出した選択科目一覧表とにらっめこをしているわけだが。

 本当は、選択を悩んでいる授業の本を見ながら、何を選択するか考えるつもりだったんだけど。

 けど、それは「令嬢の普通」じゃない。

 「普通」の選択の中で私ができそうなものってどれだろう? 何やったら「普通」ぽく見えるかな?

 刺繍は必須で火曜日はこれで決まり。音楽は楽器と歌なら歌の方が評価が良かったかな? あー楽器関係が月曜日? 歌は木曜か。

 うーん。レース編みも木曜だからこっちの方がいいかなぁ。

 金曜がマナーだからこれも令嬢必須? 教養系の他の選択肢がないってことはそういうことだよねぇ。

 あとは水曜日か。……社交? うぇ。まじか。あー私に一番足りないやつだよね。

 この時間割を見てると引きこもりに戻ったほうがマシだな。

 こんなに知識の泉が広がっているのに、選べるもの狭さにへこむ。


「やあ、レスティア君」


 懐かしい声がした。

 驚いて顔をあげたが、傍にいるのは目的の人物ではなかった。


「ずいぶん難しい顔をしているね。ああ、選択科目か」


 私の手元の紙を覗き込んでから、納得したように頷く。

 知っている声なのに、その声を発する人物は知らない人だった。


「うん? きみその科目をとっても無駄じゃないかい?」


 無造作に伸びたピンク色を帯びた灰色の髪に灰色の瞳、30代半ばといったところか。細い銀縁の眼鏡とやさしい笑顔と……懐かしい声。


「先生……?」


 首を傾げる私を真似するように先生も首を傾げる。


「うん、私だよ?」


 いや、先生と合致する部分はあるのだが……。


「そのお(ぐし)は、いったい……」


 先生はしまったと頭を隠すように手で覆う。

 先生の髪は赤茶色だった。

 いや、確かに、髪の色を変えれば先生だ。だけど、なんで髪の色がかわったの?


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