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メル君は怒らせちゃったし、ルテ・レイコンビは固まってるし、もう帰ろう。
二人に礼をして立ち去ろうとしたら、慌てて追いかけてくる。
「お送りします」
っていうんだけど、キミらのエスコートは正直疲れるから遠慮したいんだけどなー。
……我慢するか。若人の成長のためだ。
「ありがとうございます」
差し出されるルーテースの手に自分の手を重ねようとしたら、その手を別の誰かに掴まれた。
「悪いけど、その役代わってくれる?」
輝くブロンドがルーテースを視界から追い出すように割り込んでくる。
王子、キミは後輩の経験の場を掻っ攫って、恥ずかしくないのかね?
ここは私が口を挟んでいい場面かな? とルーテースの顔を見たら、顔色を悪くして手を引っ込めて下がってしまった。
周囲がやたらうるさいけど、もういいや。疲れた。早く帰りたい。
王子はえらく満足そうに歩きだす。
行きは校舎内を突っ切った道順だったけど、帰りは校舎の外をぐるりと迂回するルートを通るようだ。
なんかよく分からない展開になったけど、こういうのなんて言うんだっけ? 職権濫用?
「ねぇ。今、何考えてる? ……僕のこと?」
「はい。そうです」
具体的には王子様が身分や立場を利用して、下の人間に無茶な要求をすることについて。
越権行為? 違うな。えーと、えーと……。
「ふーん?」
あれ? さっき、一瞬声のトーンが変った気がしたけど、気のせいかな?
……それにしても。
「エスコート、お上手ですね」
さすが王子様、といったところかな? 歩きやすい。安定感もある。タイミングも心地いい。
「きみにそう言ってもらえるなら、嫌いなマナーを頑張った甲斐があるなぁ」
くすくす笑ってるけど、マナーだけでなく頑張ったんだろうな、というのがこの安定感からわかる。
「きみの姫もなかなか堂に入ってたよ」
そこを蒸し返しますか。
「お粗末さまでございました。そう言っていただけると苦手なマナーを頑張った甲斐がございます」
同じ返しをしたら、声を上げて笑いだした。
ホント、よく笑う人。
「ところで姫様、この後のご予定はいかがされますか?」
この! 嫌がるのワザとしてくる!
「この後は、教務課へ選択科目の申請へ参ります」
そんで、やっと帰れる。
「3国概論?」
「はい。その3つは決定で、あと2つはまだ未定ですので来週分の仮申請です」
王子はまじまじと人の顔を見てくる。
「きみは高等部をめざしてるの?」
「いいえ」
17歳で中等部を修了して、18歳で結婚。おそらくその最短コースで片が付くはず。
高等部の更に3年の学生生活はないだろう。時間は有限なのだ。
「じゃあ、なぜ学術科目を?」
何を言ってるんだ、この人。
「学生ですので、学ぶことが本分だと思っております」
王子は私の答えに思案顔だ。
でも、そうだ。王子はなんで学術科目なんだろう? 剣術クラブの人たちは剣術やら馬術やら、戦術やらを選択しているものだと思ってた。
「ノルベルト様が剣術クラブに所属しておいでとは思いませんでした」
私の疑問に、王子は自分の思考を一旦止めて答えてくれた。
「1年生の時は剣術を取ってたんだけどね。まぁ、いろいろやりたくてね」
ごまかし気味だけど、立場的に多角的な基礎力と努力が求められるのだろうと察した。
「それに、剣術はあんまり向いてなくてさ」
自嘲気味に肩を竦めて見せる王子に、私は疑問を覚えた。
「そうでしょうか?」
先程の紅白戦を思い出す。
「わたくしは剣術を知りませんので、手前勝手な推測ですが、剣術クラブにおいて求められる技術と、ノルベルト様が身につけておられる技術は方向性が違うだけのように見えましたけど?」
剣術クラブで求められるそれは騎士の戦い方なのだと思う。自分の背にあるものを守るために、己の身体を盾にする戦い方なんだと思う。だからガシガシ当たっていく。
けど王子の戦い方は己の身を最優先にするものなんだと思う。彼らは生き残るのが仕事だ。だから剣を受けず、最小限の接触で、生き残る。彼ら王族に求められるのは敵を倒すことでも、誰かを守ることでもないのだから。
それでも勝ちに行かねばならないのだから、王子様とは難儀な生き物だ。
それに、そのための努力を怠っていないのは、きれいな美少年顔には似つかわしくないと言っては甚だ失礼だけど、使い込まれた硬い手が物語っている。
重ねた手を少しだけ握られる。立ち止まる合図だ。
なんかあったかな? と隣を見たら、意外と近くに青い宝石が2つあってびっくりした。
「ねぇ。今日、何人の名前をもらったの?」
名前をもらう? 自己紹介のこと、かな?
部長さんに始まり、…………王子で終わった。中間は、えーと? 同学年の男子が数人居た気がするけど、最後の爆弾が大きすぎて全部吹っ飛んだんだよな……。
「たぶん、10人くらいだと思います」
正直さっぱりです。
「その中にメルヴィルは居た?」
メル君? なんで今メル君が出てきた?
「いいえ。ウィスコンシン様はおりませんでした」
「ウィスコンシンって……。きみら、そんななの?」
驚きと呆れの色を見せる。
だって名前知ってるし。なんでわざわざ自己紹介されなきゃならんのだ。
そんなことされたら本気で泣く。
「じゃあ、いいかな」
小さな声でそう言って、重なっていた手が王子の口元に寄せられる。
やっぱりこの人のマナーには距離感が足りない。
「僕が、今、きみのハンカチが欲しいって言ったら、くれる?」
声のトーンを落として、ゆっくりと言葉が紡がれる。
指先にかかる息がくすぐったい。
王子の顔はすぐ近くで見てもきれいだなぁと感心する。きれいに反った長い睫毛を見ながら、いつかどこかで読んだ「星のように反り返った睫毛」という表現を思い出した。その時は星のようにってどんな比喩だよって思ったけど、このサファイアを縁取る長い金糸を見ていると、なるほどと思う。
「いいえ。できません」
星が瞬いたかと思うと、覗き込むようにさらに王子の顔が近づいてきた。
「どうしても?」
「できません」
だって、ポケットに入れてたハンカチはメル君の弟君に渡しちゃったもん。
無いものをくれと言われてもねぇ。どう頑張っても、ない袖は振れない。
「……残念」
いたずらが不発に終ったような口調でそういうわりには、楽しそうにくすくす笑ってる。
王子の左手が進行方向へ差出され、歩き始める合図をくれる。
「じゃあさ、名前で呼んでもいい? レスティアって」
なんだ、その代替え案。
「きみも僕のことを名前で呼ぶだろ? 不公平じゃないか。お互いに名前で呼べば公平だと思わない?」
それはただの屁理屈だ。
「殿下、とお呼びすることもできますが」
別案を出したら、全然わかってない、と首を振られた。
「それはダメ」
だよねー。知ってる。「学生同士」っていう同じ立場であることが優先されるんだっけ。表向き。
「んー、じゃあこうしよう。僕はきみを名前で呼ぶ。きみは僕を愛称で呼ぶ。お互いに一歩ずつ歩み寄る、いいでしょ?」
さも名案だとばかりに言う。なんだ、この人、詐欺師か。
愛称? ああ、昼間なんか言ってたな。何だっけ? 確か……。
「……ノート様?」
「えっ、何、その僕のノートにしか価値がないみたいな呼び方!」
あ、やば。
「ええと、ノル様? ノルン様でしたっけ?」
王子が嫌なものを見るような目で睨んでくるが、強引に笑顔で押し流しておこう。
「……あの」
私から手を握り、止まる合図を送る。手を離して王子と正面で向き合う。
「レスティア?」
「やはり、ノルベルト様とお呼びしてもよろしいですか?」
「……なぜ?」
小さく、少し寂しそうな声した。
「うまく表現できませんが、ノルベルト様とお呼びしたときの……、舌に乗った音の響きが好きなのです」
王子がプッと吹き出した。
「そう言われると、引くしかないなぁ」
納得してくれたみたいで良かった。
「本日は送っていただき、ありがとうございました」
ゆっくりと礼をすると王子が驚いたように私を見て、慌ててまた手を取ろうとする。
え? でもここ本館の入口前なんだけど?
「時間切れ、か」
王子の小さな呟きとともに、指先が名残惜しそうに離れていった。
「また、明日」
「また、明後日、ですよ」




