ep2 お誘い
「――ってことがあった」
「このこじらせオタク」
「言い方酷くね?」
白馬との邂逅を終えた昼休み。昼飯を食べながら樹に事情を説明すると、途轍もなく不服なことを言われた。
「俺のどこがこじらせオタク?」
「白馬さんへの期待度、というか憧れみたいなのが強すぎ」
「そんなに強いか……?」
確かに白馬のことは心から尊敬している。ああなりたいと、本気で思う。
けどだからって「こじらせオタク」とか言われるほどだとは思っていない。というか、違うと思う。
「雪斗ってさ、基本的に主人公至上主義じゃん?」
「なんだそれ」
「主人公の魅力の有無が作品の評価に直結するタイプのこと」
「あーなるほど。言えてるな」
事実、俺は作品を読むときには主人公に何より目が行く。自己投影できようが、できまいが構わない。好きになれる魅力があれば好きだし、そうじゃなきゃ嫌い。そういう単純な思考回路があるのは否めないだろう。
「『かっこいい』への憧れが強いんだよ、雪斗は。もっと緩く、かっこよくない『かっこいい』があるってことを知れば楽になれそうなのに」
「なんだそれ」
「……同じ言葉を二度も言うあたり、雪斗、最近本当に人と話してなかったんだな」
「あー、うん。それはさっきも凄い実感したわ」
“ぼっち”になり損ねた元リア充のなれの果て。
こうして我が身を振り返ってみると、なかなかどうして、格好悪くて仕方がない。
*
“ぼっち”になり損ねた俺が主人公と関わりを持つことなど、まずもってありえない。白馬とは去年から同じクラスだというのに、しっかり話したのはさっきが初めてだったくらいである。
そんな俺だから、普通に俺たちの関係はあそこで終わると思っていたのだが――。
「ねぇ黛。ちょっといい?」
「へ?」
放課後。
SHRが終わってすぐ、バッグを肩にかけた白馬が話しかけてきた。
立つか座るかの中途半端な状態でフリーズしてしまう。
……え?
白馬は今、俺の名前を呼んだよな? というか、最後列の窓側である俺の席までわざわざやってきてる。帰り際にたまたま話しかけたというわけではなさそうだ。
「えっと、なに?」
「ここじゃ話しにくい。帰れる?」
「帰り……あ、悪い。寄るところがある」
「そ。ならついてく」
「え?」
何言ってんの? 俺についてくるって、意味分からんのだけど。
マイペースに行こうとする白馬をまじまじと見つめてしまう。すると、眠そうな目の白馬がその目にぴったり合うような眠そうな顔をした。
「早く」
「……お、おう」
もうよく分からんが、いいや。
俺と違って正しく孤高である白馬は、教室でもよく目立つ。一緒に話していると妙に目立ってしまい、居た堪れない。
日直というわけでもないので、素直にリュックサックを背負った。
そして白馬と共に教室を出る。
とった、とった、とった、とった。
意外というわけでもないんだろうが、白馬は歩くのが速かった。樹に「お前は歩くのが速いから女子と出かける時は気をつけろよ」と言われたことがある俺がちょうどよく感じるテンポ。
“ぼっち”と“ぼっちもどき”だから、微妙なところで似るのかもしれない。
そんなことを思っているうちにたどり着いたのは――校舎裏にある花壇。
「悪い。ちょっと水やりしてきちゃうから、待っててくれるか」
「別にいいけど。……この辺の花壇、全部やんの?」
「まぁ、一応。うちって園芸部ないじゃん。で、こういうのが好きな先生と知り合いなもんで頼まれた」
「ふぅん」
興味がなさそうなご様子。
そりゃそうだ。二年連続同じクラスである俺の名前を今日の昼まで憶えてなかったくらいには、白馬は他人に興味がない。俺のエセ無関心とはわけが違う。
花壇の横にある棚まで向かい、二つあるじょうろを取る。一つだけだと、一回じゃ水やりをしきれない。水道が少し遠くなので、二ついっぺんにやってしまった方が手っ取り早いのだ。
と思っていると、待たせていたはずの白馬が「ん」と手を差し出してくる。
……これはなんぞ?
とりあえず、ちょこんと掌に触れてみる。
「あんた、犬?」
「社会の犬である感は否めんが、その罵倒は響くぞ」
「いや、そこまで言ってないし。なんでお手してくんの、ってこと」
あー、そういうこと。
「お手じゃなかったのか」
「当たり前じゃん」
「だよな。じゃあ、この手はなに? 握手的な?」
「はぁ……」
深々とため息を吐かれた。酷く面倒臭そうな顔をしている。
「じょうろ、片方渡せってこと」
「なんで?」
「なんでって……めんどくさ。いいから渡して」
説明を完全に放棄し、俺が左手で持っていたじょうろをひったくる。
そのまま、じょうろを持った腕をだらんと気怠げにしながら水道の方へと歩いて行った。
ぽかんと置いてけぼりになる俺。
完全に振り回されてしまっているではないか。格の違いをひしひしと感じ、右手のじょうろが震えた。
「ま、いいや」
今更張り合うつもりもないので、とことこと白馬に駆け寄る。
隣に並ぶと、なんだか鬱陶しそうな顔をされた。けれども文句を言うほどではなかったらしく、ツンと無表情のまま歩き続ける。
じゅっぽー。
生意気な流水がじょうろに入っていく音を聞きながらいっぱいになるのを待つ。
「黛って、人に頼まれたら断れないタイプ?」
「え、俺?」
話を振られるとは思っていなかったので驚いた。
一般的な女子高生が相手なら沈黙を埋めるためにも会話が生じるのが当たり前なんだが、こと白馬となると話は別だ。
「黛ってあんた以外にいないでしょ。知らないけど」
「知らねぇのかよ。別にいいけど」
俺も知らないし。でも、黛姓は他にいないと思う。割と珍しい苗字だし。
閑話休題。
「で、どうなの?」
「頼まれたら断れないタイプか、だよな……」
白馬相手にテキトーな返答をするのも嫌だったので、我が身を顧みてみる。
「頼まれたら断りたくないタイプ、だな」
「ふぅん。キモい」
「シンプルな罵倒はヤメテ……あ、水溜まった」
きゅ、きゅ、と蛇口を締める。
ぽたぽたと零れる雫がじょうろの水面に波紋を作ったのを見てから、取っ手を持った。
「重くないか?」
「別に」
「ならよかった。悪いな、手伝ってもらっちゃって」
「効率を考えただけ」
「さいですか」
一人より二人の方が効率よく行えることだってある。
“ぼっち”に固執していた頃の俺では考えもしなかったことだ。
凄いなぁ、と感心しながら花壇に水をやる。
言葉を交わさずとも、きっちり手分けをして行えた。そのあたりも、“ぼっち”特有の能力なのだろう。
「ふぅ。終わったから帰れるな。んじゃ、じょうろ置いてくる」
「……ん。よろしく」
「あいよ」
じょうろを受け取って、片付けに走った。待たせるのは悪いから、というそんな理由。堂々としていられないあたり、やはり情けない。
でも情けなくていいのかな、とか。
じょうろの口の方からチロチロ零れる水たちを見て、ぼんやり思った。