ep1 邂逅
かりかり、かりかり。
シャーペンで文字を書く音というのは、どうしてかくも雄弁なのだろう。目の前の少女の不機嫌をあからさまに表現するかのように、ノイズチックに雑音が鳴いている。
「な、なぁ……? 目障りだっていうんなら、今日は諦めて帰るけど」
「別にそういうんじゃない」
「じゃあどういうことなんですかね」
「何が?」
「さっきからやたらと不機嫌じゃん」
「違うし」
「えぇ……自分の声、録音して聞いてみろよ。むっちゃ不機嫌そうだから」
「うるさい」
理不尽だ。しかし、これ以上あれこれと文句を言えば機嫌を損ねるに違いないので黙る。
お口にチャックこそ、人生の鉄則。小学校の校長先生は、「皆さんが静かになるまで○分かかりました」などと皮肉を言うことでそれを教えてくれていたわけだ。黙ってた奴からしたら、「いや、お前ら教師が黙らせろや」って気分なんだけどな。
ともあれ、チクチクチクチク肌を刺す視線がいい加減鬱陶しくなるのも事実だ。
「どうしてこうなったかなぁ……」
「あんたが赤点ギリギリなのがいけないんでしょ。黙って問題解いたら?」
「ぐぬぅ……。数学だけだし」
「だからこそだっつうの」
不愛想を煮詰めたら、こんな感じになるのだろうか。もう少し愛想がよければ、きっとこの子だってラブコメに出てくる“聖女様”“マドンナ”みたいな扱いをされたことだろうに。それくらい、とびぬけて美人なんだから。
ただまぁ……俺のことを思ってくれているわけだし、悪い気はしない。
というか、それ以前の問題として憎めるはずがないんだ。
だって――こいつは、俺の憧れだから。
*
誰しも“ぼっち”に憧れたことはあると思う。
一匹狼、はぐれ勇者、孤高の男。そんな響きに憧れを持たない奴は少ない気がする。俺の根っこが陰キャっぽくて友達が少ないからなし崩し的にそうなったわけじゃないと思う。だって、俺の幼馴染のリア充も同意してくれたし。
もちろん、皆と一緒にいることが悪いわけじゃない。輪の中心でムードメイカーになれる人のことも尊敬する。
でも、俺こと黛雪斗は“ぼっち”がかっこいいと思っていた。そして、かっこいいものになりたいと希うのが男子高校生という生き物。
「その結果、孤独死しそうだからって俺のところに来るんだからだせぇよな」
「……うるさい。しょうがないじゃん、やることねぇんだから」
昼休み。
けらけらと笑う幼馴染の飯田樹を睨みながら、はむはむとハムサンドウィッチを食む。
からしマヨネーズのぴりりとした味はちょっとだけ苦手だ。それでも、今朝はコンビニにこれ以外のサンドウィッチがなかったのでしょうがない。
「やることねぇって言うけどなぁ……。マンガとかラノベ読めばよくね?」
「んー、なんか今日はそういう気分じゃない。あと、普通に家に忘れた」
「ならスマホゲーは? 最近、なんか始めたって言ってなかったっけ?」
「スマホは図書室じゃ使えない。けど、教室でスマホ弄ってると周囲の視線が気になる」
うちの図書室では飲食禁止の上、スマホの操作も禁止だ。ルールを破っている奴がたまにいるけれど、そんなことをする度胸はなかった。
「周囲の視線って……。『周りの目なんて気にしない孤高の存在になるんだ』とか言ってたのはどうしたわけ?」
「うっ……で、でもしょうがないじゃん? あの頃は俺の中で“ぼっち”がキテたんだ。アニメも三期の放送が決定しててさ」
一年ほど前――春。
高校生になろうという俺は、“ぼっち”を主人公に描いた青春ラブコメと出会った。彼は他者と迎合せず一人で生きていくことを肯定していた。そんな彼の姿を見て、俺は“ぼっち”になりたいと強く思ったのだ。
「弱ぇ。スライムより弱ぇ。入学式の日、『俺、この学校の人に興味ないんで』とか言ってのけた度胸はどこいったん?」
「うわぁぁぁぁ、や・め・ろ! あれは黒歴史だ。ダークヒストリーを掘り返すな!」
俺の咆哮(にしては静か)は、スカっと晴れた校舎裏に響いた。少し先のグラウンドで練習をしているテニス部には、声が聞こえてしまっているかもしれない。
俺と樹は今、校舎裏で昼飯を食べている。俺と違って高校生活を順風満帆に過ごしている樹はばっちりリア充になった。そんな樹と失敗系ぼっちの俺が一緒にいてはよくなかろうということで、こうして一目につかないところまで逃げてきているである。
……情けねぇ。
黒歴史を掘り返されたこともあって、メンタルがぼろぼろだ。
もうこの後サボろうかなぁ。どうせ数学だし。数Ⅱのアホみたいな難しさには既に白旗をぶんぶん振り回している俺なので、サボったところでなんの問題もない。
「サボりたそうな顔してっけど、そのくせ皆勤賞なのがお前の偉いところだよな」
「…………どうせサボり一つやる勇気がない玉なしですよ」
「拗ねんなって。まぁ、そうと言えなくはないけど」
「んだと……! 反論できないこと言うと勢い余ってその弁当ひっくり返すからな」
「その五秒後に地面とディープキスしたいって言うならやってみろ」
「さーせんした」
ちなみに、樹には彼女はいない。弁当は樹の妹が作ったものだ。でもって、態度からも分かるように、樹はがっつりシスコンだったりする。
実際、シスコンになるのも分からなくないくらいに可愛い子だから羨ましい。俺の周りにゃ、美少女なんていないのに。
「美少女もいなきゃ、不思議な部活もないし、特別なことがなきゃ屋上にも入れない。高校生活って意外とつまんないよな」
「俺は結構楽しいぞ? 美少女、普通にいるし。不思議な部活はないけど、部活自体は盛んじゃん」
「リア充め」
「中学じゃリア充組だったくせに自分から“ぼっち”になりに行った奴がなんか言ってる」
「反論できないこと言わないでくださいお願いします」
弁当の命は脅かさない代わりに、素直にお願いした。もう俺のメンタルはもたないよ。
空を仰ぎ見れば、幾つかの雲が家族のようになってゆらゆら流されていた。数的に、友達か恋人も混ざっていることだろう。なんと羨ましい。雲ですら、俺よりリアルが充実してるじゃねぇか。
「なあ、雪斗」
「はい、弱虫の雪斗です」
「悲壮感漂いすぎる自虐って聞く側もえぐいんだが……って、そうじゃなくて」
ネタのつもりはないんだけどな。
「あれ。今気付いたけど、誰かいね?」
「誰か……ああ、ほんとだ」
言われて樹が指す方を覗き込むと、確かにそこには生徒がいた。
壁に寄りかかり、なんだか面倒くさそうに目を瞑っている女子生徒。こげ茶色のその髪に俺は見覚えがあった。
「白馬桜香」
「知ってる奴?」
「クラスメイト」
「ほーん。なんだよ、美少女いるじゃん」
からかうような樹に、「違ぇよ」と返す。
実際、白馬はそういう相手ではなかったし、そういう女の子ではなかった。
――白馬桜香
黒の代わりの黛な俺と違い、染められることのなく白い彼女は俺にとって憧れの対象だった。
「俺と違って、白馬は“ぼっち”なんだよ。正真正銘、孤高の存在。そんな奴を美少女だとか思ってられるわけないだろ?」
「お前はそうなのかもしれねぇけど、あいつらは違うらしいぜ?」
「あいつら?」
「そ。見てみ」
言われて、気付く。
男子生徒の何人かが白馬の元へと歩いて行っていた。
彼らがやってきたのを見て、白馬は眉を顰める。そのまま気怠そうに壁に寄りかかっているのであっという間に彼らに囲まれた。
「……ちょっと気になるからいってきていいか?」
「別にいいけど。出歯亀しようとするあたり、やっぱり気になってるんじゃん」
「違うっつうの」
吐き捨てて、男子生徒たちにバレないようにこっそりと近づく。
“ぼっち”になりたいと思ってから、日に日に影が薄くなっているのを感じていた。思わぬところで役に立ったことが、ほんのちょっとだけ嬉しい。でもその何倍もやり直したい気持ちが強い。
そんな風に“ぼっち”を目指したことを帳消しにしたい俺は、白馬のことを本気で尊敬している。
クラスで一人、平気で読書をし、音楽を聴き、ゲームをしている少女。
人と関わるのが面倒そうな眼は、俺には強くてかっこよく見えた。きっと白馬が男なら、ラノベの主人公になっている。そう、心底思えたくらいだ。
「私、誰かと付き合うとか分かんないから。っていうか顔も知らない奴に告白されても、頷くわけないじゃん」
ああ、やっぱりだ。
白馬の清々しいほどの声を聞いて、彼女が告白されて断ったのだと察する。同時に、降り積もったばかりの雪のような彼女の真っ直ぐさに改めて感心した。
かっけぇ。
けどな。
“ぼっち”にならず青春色に染まった多くの奴らは、白馬のそういうかっこよさを拾ってはくれないんだ。
クーデレだとか無口だとか、そういう陳腐な言葉であてはめて。
まるでラブコメのヒロインの属性みたいに扱って、切り捨てて、黙殺する。
「な、なら友達からで! それならいいだろ。桜香って普段、一人だしさ」
「友達とかいらないから。っていうか、名前で呼ぶのやめて。馴れ馴れしい」
「そんなこと言うなって。教室に一人でいるのは、誰かが話しかけてくれるのを待ってるからなんだろ? だったら、俺が話し相手になってやるからさ」
告白したのであろう男子生徒が言えば、周りの奴らも援護射撃をする。
孤独だけど素直になれない少女にいいことを言っちゃった感が顔から滲み出ていた。
「何を勘違いしてるのか知らないけど、別にそういうんじゃない。好きで一人でいるだけ」
「強がんなって。好きで一人でいる奴とかいるわけないだろ。そりゃまだ俺は信用ならないかもしれないけど……大丈夫。桜香、いや白馬のペースでいいからさ」
白馬のペースでいいなら、今はここで退くのが筋だ。でも、彼らにはそんな様子は見られない。
「……チッ。もういい。私は帰るから。ついてきたらストーカーで訴える」
「つれないこと言うなって」
男子生徒たちを避けていこうとする白馬の手首を、告白した男子生徒が掴んだ。
「ちょ、離して……」
「離さねぇよ。離したら、白馬は一人ぼっちに戻っちまうじゃんか」
「だからそれがいいんだって。ほんと、マジでやめて」
白馬は振りほどこうとする。が、女子と男子の力の差は歴然だ。高校生ともなれば、それは顕著に現れる。
しかも、相手は複数人だ。
たとえ気高い白馬であろうとも、女であるという事実は覆せない。そして優劣関係なく身体的性徴として、否が応でも女はこういう時に弱者にならざるを得ない。
――ああ、やっぱりこうなる。
ぐちゃぐちゃ、ぐちゃぐちゃ。
俺の憧れた“ぼっち”を土足で、無遠慮に踏み荒らす。そんなお前らみたいには絶対になりたくない。
だから俺は、物陰から飛び出して姿を現す。そしてそのまま、久々にリア充オーラを出した喋り方をした。
「おいおい。何人もの男子で女子を囲むってのは、流石にだせぇんじゃねぇの?」
「は? お前、誰だよ」
「俺が誰かっつうことより、この後誰が来るかを心配した方がいいと思うぞ」
「この後……お前、まさか先生を!?」
「さぁ、どうだろうな?」
嘘つきは泥棒の始まりなので嘘はつかない。でも意味ありげに微笑めば、簡単に男子生徒たちは勘違いしてくれた。
「チッ」
呆気なく白馬の手首を離し、不機嫌そうにその場から走り去った。
なんだか、後を引きそうなやり方を取ってしまった。けど、“ぼっち”になれない俺からしたらこれが限界。所詮はロースペックで弱虫な男子高校生なのだ。
「あんた、タチ悪いね」
弱り目に祟り目、とはまさにこのこと。尊敬している相手に罵られるとか、泣きそうなんですけど。
「酷くね?」
「盗み聞きしてた奴に言われても」
「…………見えてた?」
「私の位置からだと普通に見えてた」
「マジかよ」
だっせぇ。そりゃ、美味しいところを持っていく感じで助けに入ったんだから罵られてもしょうがないわ。
「まぁ、すぐ出てこられてもありがた迷惑だし、ちょうどよかった。それでも、あいつらの追っ払い方からしてタチ悪いのは誤魔化せないけど」
「ちょうどよかったならもうちょっとでいいから優しくしてくれないですかね?」
「そういうのめんどい。……けど、名前は聞いとく」
とくん、と心臓が鳴りそうになる。
寸でのところで理性が止めた。ドキッとしてんじゃねぇよ。良心と理性と理屈が、ちっぽけな感情をフルボッコした。
「黛雪斗。黒の代わりの黛に、雪を詰め込んだ一斗缶って書いて黛雪斗」
「雪を詰め込んだ一斗缶って……私が言うのもなんだけど、もう少しマシな文句を探した方がいいと思う」
それな、とは言わなかった。言う前に白馬が俺の横を通り過ぎたからだ。
「ま、いいや。ありがとね、黛。いちお、言っとく」
「……おう」
真の“ぼっち”はお礼が言えるし、会話だって平気でできる。
心底かっけぇと思った。今の言葉が聞けただけで、ここでの邂逅は全部がチャラになる気がした。
それでいいし、それがいいと思った。