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彼らの周りの奇しき事件簿

星に願いを

作者: 水沢ながる

『空を見てみろよ。それこそ降るような星空だ』

 画面の向こうの彼は、にこにこと笑いながらそう言った。

『そこからでも見えるだろ?』

 見えるよ。目の前は僕の部屋の窓だ。窓の外には、夜空が広がっている。でも、街の灯りは存外に明るくて、星はよく見えない。

『そっちは街のど真ん中だからな、光が強いんだ。ここらは郊外であまり街灯とかないから、星もよく見えるんだけどな。かき消されて見えなくても、星はそこにある。全ては想像力だ、それさえあれば街中でも満天の星を感じることが出来る』

 大学時代から、彼はこんな奴だった。彼は学生時代に小さな劇団を立ち上げ、新進気鋭の俳優兼演出家として活躍していたのだが、新型コロナが流行しているこのご時世では、さすがに自粛を余儀なくされている。

 家に引っ込んでおとなしくしている、とは言っていたが、そんなタマとも思えない。でも、そんな彼が何故突然僕とオンライン通話をしたいと言って来たのかは正直わからない。

『こうやって顔つき合わせてしゃべるのって、大学以来か。そっちはどうしてる?』

「画面越しだからつき合わせてないけどな。こっちは忙しいよ。慣れないこともやらなきゃならなかったし、行事予定とかめちゃくちゃになったし。……正直、来年もいられるかわからないし」

『まあそうだよな。俺らもろくに本業の仕事がない状態だし』

 こんなことを言っているが、彼と仲間達はこの前オンライン上で自撮りの朗読劇の動画を上げたり、若手映像作家の三沢寿和のリモート作品に協力したりしていて、一部で話題になっていた筈だ。彼はまだあきらめていない。半ばあきらめてしまった僕とは大違いだ。

『ところで、話というのは他でもない。俺、この前チェリブロにコーヒー飲みに行ったんだけどな』

 チェリー・ブロッサム、通称チェリブロ。地元の星町商店街にあるカフェだ。学生時代はよく、ここでお茶を飲みながらくだらない話に興じたものだ。コーヒーのみならず、ケーキや料理も美味しい名店だ。そういえば最近マスターとは顔を合わせてないな。

『チェリブロも席数減らしたり、カウンターにビニール張ったり、テイクアウトのメニューを増やしたりしてて、大変そうだったよ。……それはそうと、そのチェリブロのマスターに相談事を持ちかけられてな』

「相談事?」

『星町商店街で、毎年七夕祭をやるのは知ってるだろ』

 星町商店街では、その名にちなんで毎年七夕の時期に七夕祭をやる。商店街を歩行者天国にして夜店をやったり、ステージを組んでイベントをやったり、小学校の生徒に書いてもらった短冊を笹に下げて飾ったりするのだ。

「ああ。でも今年は中止するんだろ?」

 このコロナ禍の中、人が集まるイベントはやりにくくなっている。おまけにこのところ雨が続き、天候的にも難しい。

『そうなんだ。チェリブロのマスターは祭の実行委員長をやってて、店の表にもポスターを貼ってた。それを中止のお知らせに貼り替えた時、それに重ねるようにこいつが貼られていた』

 彼は画面に一枚の紙を出して見せて来た。


 「七夕祭を全面的に中止しろ

  さもなくば子供たちに

  何が起こるかわからない」


 左手で書いたような、殴り書きの字だった。

「これは……」

『まあ脅迫状的な何かだな』

 彼はどこか楽しそうに言った。

「でも……こんなの誰かのいたずらだろ?」

『そう思いたいがな。それでもマスターは気にしてる。ただ、今後のことを考えても大事にはしたくない。だからヒマしてる俺に調べてくれって言って来たんだ』

 彼は昔から、そういう変わった相談事を解決することが得意だった。噂では、警察が関わるような事件ですら解決に導いたこともあるという。

『不思議だと思わないか。何故これを書いた奴は、中止が決まってるイベントに中止の脅迫を出したのか』

 彼の吊り気味の目が僕を見る。

「それは……中止だと知らずに脅迫状を書いたけど、中止の貼り紙があったから、貼るだけ貼って帰ったとか。その上で、『あれを中止に追い込んだのは俺だ』ってネットか何かで自慢するとか」

『祭が中止になるってことは、街中のみんなが予想してただろ。今はうるさい奴に『何故中止しないんだ』って言われかねないから、早めに中止を決めたってマスター言ってたぞ』

 そう、早いうちに祭のイベントは中止になると、商店街の近隣にはお知らせが回って来ていた。

『それにこの脅迫状、なんか変だと思わないか。『子供たちに何が起こるかわからない』なんて文言もふわっとしてるが、七夕祭を『全面的に中止』ってどういうことだろうな』

 彼の言葉には、何かの確信がある。恐らく、色々とわかった上で言っているのだ。

『俺が特に気になったのは、『全面的に』ってとこだ。だからマスターに訊いてみたんだ。……七夕祭のイベントで、日を改めてでもやる予定のものはあるのか。──そしたらあった』

 ああ、知ってるよ。よくわかっている。

『小学生の子供達に短冊に願い事を書いてもらって、笹に吊るして飾るんだ。夜店とかステージの出し物とかは無理でも、これなら人が集中しすぎることはない。書いた子とか、その親も見に来るから、集客にもなる』

 そう、子供たちの短冊を飾るのは七夕祭の恒例行事だ。子供たちの短冊を毎年楽しみにしている親御さんや近所の人もたくさんいる。

『聞いたところによると、この短冊は近くの星町小学校の一〜二年生に書いてもらったそうだ。子供たちが書いたものを先生方が集め、それを教頭先生がまとめて実行委員長のマスターに渡した。で、マスターは飾る当日まで開けずに保管していたんだと。──俺はそいつをマスターに借りて、全部チェックしてみた』

「全部⁉」

『ヒマだからな』

 画面の向こうの男はしれっとそう言った。

『まあ少子化で児童数減ってるから、そんな手間でもなかったよ。教頭先生は几帳面な性格らしく、短冊も学年とクラスごとにきっちり分けられてた。飾る時にはバラけさせるんだそうだ。……で、俺のアンテナに引っかかったのがこれだ』

 彼は、コピーした短冊の一枚をぺらりとこちらに見せた。それにはこう書かれていた。


 「さとしくんがふつうになりますように。 みほ」


『実に残酷な願いだな』

 と、彼は評した。

『几帳面な教頭先生のおかげで、これが星町小学校の二年一組の生徒のものだということはわかった。それで、二年一組の非正規雇用の副担任に話が聞きたいと思ってね。……なあ、谷口』

 彼は今日初めて僕の名前を呼んだ。多分何もかも見通しているのだ。そういう奴だ、彼は。

『ここに書かれている、さとしくんとみほちゃんて、どんな子だ?』

「さとしくんは……」

 僕は口を開いた。そうせざるをえなかった。

「聡志くんは、発達障害の気がある子だ。自分の興味に没頭して人の話を聞いてなかったり、忘れ物が多かったり、一定のルーティンにそった行動をしないと調子が悪くなったり、多動の傾向もある。でもクラスのみんなは、彼には出来ることとうまく出来ないことがあるのを理解してて、手助けしたりしてるんだ。今はコロナの影響でルーティンが崩れてしまって、なかなか学校に来れてない」

『みほちゃんは?』

「美穂ちゃんは、本人はいい子だよ。友達も多いし、聡志くんとも仲良くしてる。多分、その短冊だって悪気なんかないんだ。ただ、まわりの大人たちの言葉をそのまま使ってしまったんだと思う」

『悪気がないなら、なおさら残酷だ』

 彼の言葉は鋭かった。

『だけど、その残酷な言葉を世に出さないために、他の全ての願いを握りつぶすのもなかなかに乱暴だ』

 彼の目はまっすぐに僕を見ている。

『短冊は書いてすぐに回収された。マスターは受け取ってから一度も開けてないから、中身を見れるのは星町小の教員だけだ。しかも、二年一組に関わる、な』

「担任の先生は……」

『ああ、それも考えたよ。だからおまえの反応を見ようと思った』

 わざわざ顔が見えるオンライン通話にしたのは、それが理由か。

「おまえの言う通りだよ。これはとても残酷な願いだ。これだけを握りつぶそうにも、几帳面な教頭先生は全員がちゃんと提出してるかチェックをかけてるし、何より美穂ちゃんの短冊だけなかったり書き直しさせたとなると、美穂ちゃんの親が黙っちゃいない」

 僕はかたわらに用意していたチューハイの缶をあおった。

『モンペなんだな』

「担任も校長も事なかれ主義だ。僕は副担任とは言え非正規だから、立場は弱い。口出しなんて出来やしない。でも、僕はどうしてもこの言葉を聡史くんに見せたくなかったんだ」

 酒をしこたま呑んで、その勢いのまま左手で脅迫状を殴り書き、中止のお知らせの上に貼り付けた。バレてもいいと、その時は思っていた。

 酔いが覚めて冷静になってみると、こんなことをにしてしまっては学校からの雇用契約は打ち切られてしまうだろうし、こんな紙切れ一枚でイベントが中止になるわけなんてない。

「それでも、何かしたかったんだ」

 僕は絞り出すような声を出した。

「何をやってるんだろうって。僕はみんなに、さっきおまえが言ったような、街の光の上に満天の星空を見れるような想像力を持てる子になって欲しくて、でもそこまで出来なくて。ヤケになってこんなことをしても、何もならないのに」

 それでも。

 泣きそうになる。いや、泣いてたのかも知れない。

『残念ながら、マスターを初めとした実行委員の皆さんは短冊を飾ることを取りやめる予定はないそうだ』

 彼の言葉が無情に響いた。それに続けて。

『──だけど、な』

 彼はこちらにニッと笑って見せた。いたずらっ子の笑みだった。

劇団(うち)のメンバーにも手伝ってもらって、ちょっとした小細工をさせてもらった』

「小細工?」

『ま、本番を楽しみにしてろや』


     ☆


 商店街が七夕飾りを飾り始めたのは、七夕から約一ヶ月後の八月初めだった。少し季節外れ感はあるが、旧暦では七夕は八月の後半らしいので、間を取った形だ。

 各店の店先に笹を立てて、そこにいくつもの短冊を下げている。

 道行く人々の中には浴衣姿や甚平姿の人たちもいて、見るからに夏の祭だ。……ほとんどの人たちはまだマスクをつけてはいるが。

 自分の書いた短冊を見つけ、嬉しげな声を上げる子供もいる。

(あれ?)

 見ているうちに、僕は少し妙なことに気づいた。短冊の数が少し多い気がする。僕は何気なさを装って短冊をチェックした。

 あの美穂ちゃんの書いた短冊も、ちゃんと下がっていた。しかし。


 「前のように、普通にみんなと顔を合わせておしゃべりできますように」

 「普通に映画やライブに行けるようになりますように」

 「好きな人と会える普通が、また来ますように」

 「ひいきのお店の普通の日々が取り戻せますように」

 「コロナ以前の普通に戻れますように」


 それは明らかに大人の手による字だった。子供たちの短冊に混じって、あちこちにそんな文章が書かれた短冊が吊るされていた。

 ……彼は言っていた。ちょっとした小細工をした、と。

(『普通』を上書きしたのか……!)

 これらの短冊を吊るすことによって、「普通」という言葉は「コロナ以前の日常」という意味づけに変わって来る。美穂ちゃんの短冊も、これなら「聡史くんが、コロナ以前の生活に戻れますように」という意味にも取れる。

 彼は、短冊を取り除いたり変えたりせずに、「普通」の方を変えてしまった。短冊の量や文字からすると、一人で作ったものではない。劇団のメンバーに手伝ってもらったと言ったのは、この短冊を作るためだったのか。

 僕はさらに短冊を見て回った。きっと、彼の書いたものもあるはずだ。

 ……それは、笹の葉に隠れるように目立たないところにあった。


 「普通にみんなが再び舞台に立てる日が、なるべく早く来ますように」。

 裏側には、「いや、来る!」。


 それは、中学生の頃から演劇に打ち込んでいたという彼の、今現在の切なる願いだ。街の光にかき消されている星を、何とか探そうとする意思だ。

 何かが目からこぼれそうな気がして、僕は空を見上げた。街の光の向こうに、それでも星が輝いている。と、つい、と視界の隅の空を光が横切った。

「あ、流れ星!」

 道行く誰かが言った。

 そういえば今はペルセウス座流星群の時期だ。極大にはまだ日にちはあるが、少しは流星の数も多くなっているのかも知れない。

 流星は皆の願いを受け止めるように、また一つ、空を流れた。

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― 新着の感想 ―
[一言] ∀・)すごくタイムリーな作風であることに感心しました。そして問題と解決を言葉のニュアンスを以てして編み出すとはさすがですね。七夕の7月に響くような読み応え。いいですね~。楽しませて頂きました…
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