いつか、きっと。
外は雨が降りしきっていた。
その雨の音に紛れてたくさん、たくさん泣いた。
身体中の水分が、全て涙に変わったんじゃないか。
ってくらいに。
泣いた分、気休め程度には、心が軽くなった。
「いってきます」
これが、母に告げた最期の言葉になった。
昨日までは、普通に笑ってたはずなのに。
何事も、後ろ向きに捉えてしまう私とは正反対に、
母は本当に明るい人だった。大好きだった。
一人娘の私を、何よりも優先して、
大切にしてくれた。
そんな私に、時々、嫉妬する父に、生前、母は
「私は本当に幸せ者ですね」なんて笑いながら、
口にしていた。
幾度となく、繰り返した親子の会話は、
終止符を迎えた。
せめて病気だったよかった。
そんな、不謹慎な思考が頭をよぎる。
病気だったら、きっと母は苦しんでしまう。
そんなことあっていいはずがない。
あっていいはずがないけれど、気持ちの整理が
ついていなかった。どうしようもなく、
どうしようも出来ない気持ち、想い、苦しみ、辛さ
耐え難い感情が、きりがなく浮かび上がる。
気持ちの整理がつく時間さえあったら?
そんなの同じことだ。原因なんて、何であっても、
きっと同じことで、変わらなかった。
そんなことは、子供でない私は理解していた。
受け入れることが出来なかっただけで、、
突然の出来事は、本当に頭が真っ白になる。
紛れもない事実に。
今日は何月、何日だっけ…
あぁ。口をついて出た言葉は、そんな一言だった。
季節は6月半ば。私は、中学3年生を迎えていた。
この学生生活において、最高学年となり、
同時に受験生と言う時期をも迎えていた。
梅雨で鬱陶しい空気のなか、重い足を引きづりながら、なんとか登校まで漕ぎ着けた。正直に言えば、学校なんてどうでもよかった。けれど、そうはいかない。担任の先生は、登校はいつでもいいといってくれた。だけど、私は真面目さを優先して、忌引きの日数後、すぐに登校することを選んだ。
自分のせいで、娘が、学校を休むなんてことを知ったら、きっと母が悲しむと思っ。
母が悲しむことは、出来る限りしたくない。
母からの遺言は、日常会話の全てだ。
特別に遺された物なんかは、何一つなくても、
形あるものだけが大切とは限らない。
綺麗事だと思っていた言葉が、今になって
現実味を帯びて響いてくる。
学校にいる時間は、何も考えられなかった。
教室にある机と椅子の並び。
均等に並べられているはずが、
やけに歪んでみえた。
椅子に座って、授業が終えるのをただ待つだけ。
教科書は机に置いてあるだけ。
ページが開かれていないことに、
先生は気づいていたが、注意はしてこない。
以前はあんなにうるさく音を立てていた、
始業のチャイムも耳を通り抜ける。
ぼんやりしたまま、お昼時間になった。
私の通う中学は、給食だった。
お弁当でなくてよかったと、心から思った。
小学校の時。当時、同級生であった
小野寺 夕貴がこんな話をしていた。
「私が今度通う中学校、弁当なんだよね、
給食好きだったから、なんだか残念。
カレーライスとか、家で食べるのより、
美味しいよね。美憂とも離れちゃうしね、
同じ中学が良かったな。」
母の作るカレーライスの方が好きだったことは、
夕貴には内緒にしていた。
こんなことを思い出したのは、今日の献立が、
カレーライスだからだ。
どんなことがあっても、
お腹は空くことを実感する。
実際に、母が亡くなった次の日には、
父と二人で、家のすぐ側にある
コンビニのお弁当で、食事を済ませた。
一日の授業全てが終わり、帰宅時間となった。
部活動に入部していたが、
半ば強制的に退部の扱いとなった。
テニス部に所属していた私は、
夏に控えた地区予選大会で、
引退となるはずだった。部活どころではなくなり、
家庭の事情と称して、皆よりも、
少し早めの引退となった。
私のことを、苗字ではなく、下の名前で、
美憂先輩と呼んでくれる、
可愛い後輩に挨拶出来なかったことは、
心残りではある。
母の一件以来、部活には全く顔を出していなかったので、今更挨拶をしにいくのも、
気まずくなっていた。
同じテニス部で、幼馴染でもある永瀬 誠は「別にそんなの気にしなくてもいいだろ、
藤崎は気にしすぎなんだよ。」と言ったけれど、
気にしてしまうものは、気にしてしまう。
小・中学校と同じ永瀬とは、家が近所で、
一緒に登校することも多かった。
それを理由に、よく冷やかされたり、からかわれたりもしたが、永瀬は全く気にしていなかった。
その凛とした態度に助けられた。
そのまま帰路につき、家へと帰ってきた。
もう、おかえりなさいは聞こえない。
今朝もそんなことを思った。
家を出るとき、誰もいない部屋に向かって、
行ってきますと言った。行ってらっしゃいと返ってくることはなかった。
だから、ただいまを言わなかった。
いなくなってから、分かってしまう。
当たり前だったことが、
当たり前ではなかったことに。
制服についた、水滴を玄関で払い、
暗い部屋に明かりをつける。
ぎゅるるるるるとお腹から音が聞こえる。
給食を食べてから、
そんなに時間は経っていないはずなのに、
…やっぱりお腹は空いてしまう。
夕飯は何しようかと考える。
壁に掛かっている時計を見ると、
夕方の四時を示していた。
父は会社勤めで、夜の九時頃に帰宅する。
だが、最近は業務を切り詰めて七時頃に、
帰ってきてくれるようになった。
父の姿を見るたびに、
よくない痩せ方をしているのが目に見える。
夜は一緒にコンビニ弁当を食べているから、
栄養は一応とっている。
私が、朝起きる頃には、父はもう家を出ている。
でもきっと、朝も昼も、ろくに食べていないのだろう。過労で倒れないか、心配になる。
父のことも母と同じくらいに大好きだ。けれど、
中学生になり、父と話すことが、自然と
少なくなってしまった。父も父で、年頃の娘と何を話していいのか、戸惑っている様子だった。
父の帰宅まで、後三時間。
スーパーで食材を買ってきて、何かを作る…
料理は全て母が作っていた。
私は、料理をしたことがなく、携帯も持っていないし、パソコンも使えないので、作ろうにも、調べる手立てがなかった。母に料理を教わっておけばよかったと後悔した。
母の得意料理は肉じゃがだった。
私は、カレーライスが一番だったけど、
そんな母は、「カレーライスは誰が作っても上手に出きるよ」と言った。
ピンポーン♪
家のインターホンが鳴る。
慌てて出ると、訪ねてきたのは、
永瀬のお母さんだった。
母の葬儀では、随分とお世話になった。
まだそのお礼も言えていなかった。
私がお礼を言うよりも先に、永瀬のお母さんは
「急に来てごめんね。美憂ちゃん、
夜ご飯とかどうしてる?と思ってね」
「真奈美さん料理上手だったから、あれだけど、
おばさん家ので良かったらおかず持ってくるからね」
そう言ってくれた。私は、申し訳ないと思いつつも、これ以上、父にコンビニ弁当を食べさせたくないと思い、それを受け入れることにした。
お礼と感謝を伝えると、「じゃあ、おかず、誠に持たせるから、食べてね。他に出来ることなくてごめんね」そう言って帰っていった。
まだ夕飯の支度の途中だったのだろう、
エプロンをしたままだった。
学校に行けるようになったタイミングで、永瀬のお母さんが、様子を見に来てくれたのは、永瀬に話を聞いていたからだろう。
中学生になってからは、永瀬と登校することはなくなったが、今は、クラスが同じなので、
私の無気力な授業態度を、永瀬に知られてしまっている。
おばさんがいっていた通り、
部活時のジャージ姿のまま、永瀬がやって来た。
おかずを渡され、相変わらず無表情のまま、
「まぁ、何かあったらいつでも言えよ」
とだけ、言い残して去っていく。
昔から、あまり顔に表情が出にくいのが、永瀬だ。
私は逆に、すぐ表情に出てしまうので、
永瀬が羨ましかった。
そしたら、今回のことだって、何事もなかったかのようにいられたかもしれない。
でも、流石に、永瀬でも、
私みたいに泣いたりするのかな。
よくは覚えていないけど、幼稚園の時ですら、
永瀬が泣いている所を見た覚えがない。
転んでも、喧嘩をしても、園児だったら、殆ど泣いてしまう、予防接種の鋭い注射でさえ、何をしても泣かなかった。
父が帰ってきて、これと言った会話もないまま、
食事をすませた。
食器を片していた時、父が呟いた。
「永瀬さん家には、世話になりっぱなしで
申し訳ないな」
それは私も思わない訳ではなかったが、
永瀬のお母さんは、時に本当のお母さんのように、
接してくれるので、気が楽だった。
母と喧嘩になったとき、私は永瀬の家まで向かい、
母に対する思いを、ぶつけていた。
ひとしきり、言葉を吐き出すと、自然と自分の家へと、足が向かっている。
円滑な親子関係でも、たまに喧嘩は起こる。
大体は、些細なことが多いので、
長引くことはなかった。
ごめんなさいという言葉はなかったが、
ただいまって、家に帰ると、何事もなかったように、ちょっとだけ、拗ねたようにも見える、
明るい笑顔で母が出迎えてくれた。
「お父さん、私。すぐには無理だと思うけど、少しずつでもいいから、料理とかやってみる」
自信はなかったけど、私しか出来る人間がいない。
言葉にすることで、逃げないことを決めた。
「美憂は、今年受験生でもある。無理だけはしなくていいからな。だけど、父さんはそう言ってくれたことが何よりも嬉しいよ」
久しぶりに見た、父の笑顔だった。
期待は、していないだろうけど、この笑顔は、
私を頑張る気にさせてくれた。
次の日になって、ベットから起こした体は、
やけに軽く感じた。
引きずらないと決めたのだ。
この日以来、私は受験勉強はもちろん、
学校の授業にも意欲的に取り組んだ。
肝心の家事はまだまだだけど…
永瀬のお母さんに協力を仰ぎ、
料理を中心に、毎日教わりに行った。
私でも出来るような、簡単な者から、
母が得意だった、肉じゃがまで、母から教わっていたら、また違ったのかな、なんて考えながら、
どんどん上達していった。
やればやるほど、上手に、手際もよくなったので、
受験勉強も捗った。
数学が苦手だったけれど、そこは永瀬に頼った。
理系が得意な永瀬。文系が得意な私で、
ちょうどよく教えあった。
それから受験の日はあっという間で、
一日が一瞬のことのように思えた。
志望校には合格し、春からは高校生になる。
高校生活の3年間はめまぐるしかった。
近所から少し離れた高校を選択したことで
慣れない電車通学となった。
バイトはしたものの、
部活動をしている余裕はなかった。
永瀬とは、高校が別になり、
以前ほどは会わなくなった。
家事や、料理をある程度、出来るようになった私は、永瀬のお母さんに教わることもなくなり、
時々、玄関で鉢合わせる永瀬から、寂しがっていることを聞いていた。
今日の夜ご飯はカレーライスにしよう。
帰り道に、スーパーにより、材料を揃え、
帰宅する。
夕食を食べていると、父が
「…いつでも一人暮し出来るな」
そう寂しそうにいう。
「私がいないと、お父さん、何も出来ないでしょ」
「もう、充分やってもらってるよ。卒業後は、美憂の好きにしたらいい」
いつの間に、見られていた。
油断して、机に出しっぱなしにしていたのだ。
私がお芝居の道に進みたいことを、
父はとっくに知っていた。
以前父から、母は、お芝居の道に進みたかったが、
志半ば、諦めてしまったこと。
大学はその専門に進み、その後は会社に就職、そこで父と出会い、夢を諦めたこと。
知らず知らず、母の面影を辿っていく私。
私の目指す大学に通うには、家を出ていく選択をしなければいけない。
その為には、当然のように一人暮しが必要となる。
だけど、父を一人にはしたくなかった。
毎晩のように、ずっと悩んでいたことを、
誰にも打ち明けることが出来なかった。
本当は父に、気づいてほしかった。
けど、気づいてほしくもなかった。
優しい父は、決して反対なんかしないことを
分かっていたから尚更。
「美憂、真奈美さんから預かっていたものがあるんだ。」
突然なくなってしまった母から、
何かを遺されたことなんてないと思っていた。
父は、いつでも渡せるように、していたのだろう。
鍵つきの、引き出しから、一通の手紙を取り出した。てっきり、通帳かなんかの貴重品類がしまってあると思い込んでいた引き出し。
鍵が掛かっていたので、ずっと触れてこなかった。
手紙を母から預かっていた…一体いつ…
「この中身、お父さんは…」
父は首を横に降り、
「母さんは美憂に読んで欲しいと、
僕に託したんだよ。」
拝啓 藤崎 美憂 様
この手紙を受け取って、無事に読むことが、出来ていますか?あの人のことだから、なくしちゃったりしてないか、心配だな。なんてね。
この手紙はね、美憂が産まれた次の日に書いた手紙なの。
お母さんが、美憂に内緒にしていたことが一つだけあるの。
いつかは話さないといけない、
とっても大事なこと。
本当は直接、美憂に話したかったけど、
それはどうしても出来なかった。そこは分かって欲しい。お母さんの我が儘でごめんね。
美憂なら、信じてくれるだろうと思って
話します。
お母さんの旧姓は、永瀬です。
お隣の永瀬さんとは、関係ありません。
何か縁を感じてしまうけど、たまたまです。
永瀬家は、代々不思議な力…っていうのかな。
があって、自分の死期を知れること。
といっても、全然便利なんかじゃなくってね、
大体は一週間前かな。
私は、一週間後にお迎えがくるんだって、
分かっちゃうんだよね、私の母もそうだった。
お祖母ちゃんも、ひいお祖母ちゃんも、代々ずっとそう…。
でも知ったところで、一週間しかないから、
何も出来なかった。
私がいつ亡くなってもいいように、って考えながら、美憂のことを育てたくなかった。
私の、この我が儘は、きっと、美憂を困らせているんだよね、それは本当にごめん…しか言えない。
この力のことは、特に気にせず、普通に生きてきた。だけど、美憂にもきっと、こういった力があるだろうから、私が亡くなった後に、美憂にこの事を
伝えようと、手紙に残していました。
あの人に、この事を話したのも、私が亡くなる一週間前でした。
あの人は、とっても優しいから、涙を流しながら、
それで良かったんだよ、って…頑張ったね。って
抱き締めながら言ってくれたの。
何かの役にたつわけでもない、中途半端な力だから、どうすることも出来なかったけど、
私は少なくとも、覚悟が出来る時間だったと思えた。遺していく美憂と、あの人のことを思うと、
毎晩、辛くて悲しかったけど、わかっている運命はかえられないから。残りの日数を、出来るだけ、美憂に悟られないように、必死に生きた。
美憂のことが、愛しくて愛しくて仕方がなかった。
やり残したことは、山程あるし、美憂が大人になるのを、やっぱり見たかったなぁ、っとかちゃんと幸せでいてくれてるか、心配で…心配で…
美憂がいつか、私と同じ立場になったとき、
きちんと覚悟が出来るように、私はこういった手段を選びました。
でも、確かなことは、私は幸せだった。
美憂、これからたくさんの人生がある。
簡単には言えないけど、辛いこと、悲しいこと、どうしようもないこと、でも、ちゃんと大丈夫。
お母さんがそうだったんだから。
美憂もきっと、大丈夫。
名残惜しいけど…お母さんは、
いつでも美憂の幸せを祈ってるよ。
藤崎 真奈美より 敬具
私は涙が止まらなかった。
母からの愛を…決して悲しい涙なんかじゃない、
経験したことのない、涙が。
手紙の途中、文字が滲んでいる箇所が
何ヵ所かあった。
私も同じ気持ちでいる。
「ありがとう。お父さん、知れてよかった」
間違いなく、母は、私を大好きでいてくれた。
愛してくれてた。
私も、母を愛してた。大好きでいる。
迷いなく、私は自分の信じる道へと進んだ。
数年後、今でもあの手紙を、大事に、大事に
しまい、時々、読み返している。
読み返すたびに、泣いてしまうので、
時々にしている。
私は、永瀬美憂という名前になった。
代々の永瀬家とは、違う道を歩んでいく。
けれど、あの力は確かに存在する。
いつ訪れるか分からないその時まで。
けれどそれは、誰しも訪れる最期であり、その猶予をほんの少し、貰えただけ。
私の夫となった彼には、まだ話していない。
いつか、娘が産まれたとき、母と同じように、
私の愛を遺していこうと思う。