最終話 自由へ
――暗い、暗い闇の中に浮いている。
全身の感覚は無い。
もう、痛みすら恋しい。
何十年、このままなのだろう。
いや、もしかしたら一日も経って居ないのかもしれない。
声も出ない。耳も聞こえない。脳だけが、生きている。
『――よう』
そんな闇の中で、別に聞きたくもない声が聞こえた。
――なんでここに居るんだ、お前。
『いやぁ、ちょっと忘れてたことがあってな』
その男が何をしようと、もうどうでもよかった。
とにかく、俺は待つだけだ。
いつか、この闇が晴れるかもしれないという希望を抱いて。
でも、少し聞いてみたいことがあるのを思い出した。
――なんで、あの時俺を庇ったんだ。
『ん? だから言ったろ、気の迷いだって』
――そんな気の迷い程度で、復讐を止めたのか?
『あー、お前、まだ分かってなかったのか?』
男は、ケラケラと笑った。
俺はその声を、無感情に聞いた。
腹を立てることなんか忘れてしまった。
この世界では、感情を持つことは狂気へと直結する。
だから、いつか起きることが出来た時、思い出す事にしていた。
『あのなぁ、俺だって復讐なんかどうでもよかったんだよ。――お前が勇者やってた理由と同じだ。死のうと思ってた時に頼まれたから、やろうと思っただけだ』
――恐らく、あの金髪の少女だろう。
しかし、やっぱり納得いかない。
――いや、違う。もし俺と同じなら、任務を完全に遂行するはずだ。躊躇って敵を庇うなんてするわけない。
『……ああ、まあ、そうかもな。
――とりあえず、俺も思うところがあったってワケだ』
――どういうわけなんだ、教えろ。
『しょうがねえなぁ……。――お前が、本気で生きようと思っているのが分かったからだよ。俺は別に死んでもいいと思ってたから、ちょっとお前に譲ってやっただけだ――っと、終わったぜ』
そいつの声は、それっきり途切れた。
何をしていたのか、興味も湧かなかった。
時間だけが、のろまに流れてゆく。
◇◇
◇◇
◇◇
――それは、あまりにも突然だった。
光。――もう何千年も見ていなかった気がする、懐かしい光が見えた。
もう忘れかけていた、痛みが全身を襲った。
――ずっと使っていなかった、神経が機能し始めた。
全身に感覚が宿る。
目が見える。音が聞こえる。
瞼をゆっくり開くと、全て世界がぼやけて見えた。
白い、とても白い部屋に俺はいるらしい。
――そして、ゆっくりと横を向いてみた。
何かの棚の上に、花瓶が乗っている。そこに、花が入れられていた。
視線が横になっているってことは、俺は今横になっているのか。
ちゃんと自分の体の方を向いてみると、病院にあるような真っ白なベッドがあった。
「……、シンヤ」
――そして、その反対側から、懐かしい声色が響いた。
誰の、声だっけ。
俺は、力を振り絞って、ギシギシと鳴る首を動かして反対側を見た。
そこには、誰かがベッド脇の丸椅子に座っていた。
妙に大人っぽい――、から、もうすっかり大人の女性になった、あの少女が、そこには居た。
カオルは涙を流しながら、俺の顔に手を当てた。
「…………お帰りなさい」
――――そして俺は、三年余りの昏睡から目覚めた。
◇◇
何故、目覚められたのかは、俺にも分からない。
ただ、原因だけが分かる。――俺の体に、あの男に奪われたはずの『勇者の力』が少しだけ戻っていたのだ。
その力が、俺の体を修復してくれた。
もしかしたら、あの男が俺に返したのかもしれない。
――まあ、なんでもいいか。こうして生きてるんだし。
カオルには、本当に世話になった。
カオルはあの後、倒れた俺を何とか運んで軍に保護された。
その後、俺は魔獣に襲われて昏睡状態になったとカオルは説明し、俺は入院した。
カオルは、それからほぼ毎日、俺の世話に病室に来たのだとか。
三年間、ずっと。――本当に、頭が上がらない。
日本は、まるで大戦後のように急速に復興して行った。
魔獣は掃討され、まるで世界が急いで異世界の跡を消そうとするかのように、あの大騒ぎは忘れ去られて行った。
「シンヤ、リハビリどう?」
――物思いに耽っていたところに、カオルが病室へ入ってきた。
カオルはもう、完璧に大人の女性だ。カオルはあの後、ちゃんと大学に入って、今も勉強している。
「順調だよ。――だからカオルも、何も毎日来なくたっていいんだぞ?」
カオルは、くすくすと笑って、
「もう習慣になっちゃった。だって三年だもん」
「……大学生なんだし、もっとパーっと遊んだりしないのか?」
「私、そういうの苦手だし」
カオルは、カバンから文庫本を取り出した。
「これ、頼まれてたやつ」
「お、サンキュ」
カオルは、どうしてこんなに俺に良くしてくれるのだろう。
――そう、何度も考えた。
直接聞いたら、「ナタリーに頼まれたから」としか返されなかったけど、何か他の要因がある気がしてならなかった。
「……じゃあ、そろそろ消灯だし、私帰るね」
「ああ、気を付けてな」
――カオルは、そう言って帰って行った。
――要因なんて、分かってる。とっくに気がついていた。
ただ、気づきたくなかったのかもしれない。
カオルにまだ甘えたかったのかもしれない。
――でも、それももう終わりだ。
俺が新たな人生を踏み出すように――、
――彼女もまた、解放されなければならない。
◇◇
「ふぅー……」
カオルは、かじかむ両手に息を吹きかけながら、もはや見慣れてしまった病院へと足を運んだ。
――ここに、シンヤが入院している。
カオルは、そこに毎日通っていた。
友達に、少しは休んだ方が、と何度も言われた。――でも、カオルはそんな事したくなかった。
自分が行きたいから行ってる。――彼に会いたいから、私は通ってるの――。
カオルは、友人は沢山作ったけれど、決して交際はしなかった。
――ただ一人、心に決めた人が目覚めるまで、待とうと決めたからだった。
その人が、ようやく目覚めてくれた。
――そして、もうすぐ退院間近だ。
最近は、ずっと浮かれている。
彼が退院した後のことを考えると、とても、子供のように楽しい気分になった。
病院の扉を通る。
そして今日もまた、彼の部屋に――、
――でも、その病室には誰も居なかった。
「今朝、退院されましたよ?」
ナースに聞くと、そんな答えが返ってきた。
どこへ行ったのか聞いた。
誰も知らない。
誰も教えてくれない。
――なんで、なんで、なんで、
呆然と、カオルは病院を出た。
来た時の気分が嘘のようだった。
「……シンヤ」
――その時、スマホが振動した。
カオルは急いで、それをポケットから出した。
『公衆電話』――、きっと、彼だ!!
カオルは急いで電話に出た。
スピーカーの向こうから、彼の声が聞こえてきた。
『カオル?』
「シンヤっ!! 退院したって本当!?」
『ああ、本当だ。全部、カオルのおかげだよ』
「お礼は会ってから言ってよ。で、今どこに居るの?」
『悪い――、それは言えない』
「ちょっと、退院早々、いかがわしい所にでも行ってるんじゃないんでしょうね?」
『違うよ。――カオル、俺はお前に別れを言いに電話したんだ』
――頭が、真っ白になった。別れ? ――どうして?
「ちょ、ちょっと待ってよ。意味がわからな――」
『今までのことは、本当に感謝してるんだ。でも――、これ以上君に迷惑かける訳にはいかない』
「迷惑って、そんな事誰が言ったの!? 迷惑な事、三年間も続けると思う?」
『――カオル、どうしてここまで、俺に良くしてくれたんだ?』
――カオルは、顔が熱くなるのを感じた。
でも、ここで言わなければ――、彼が、本当に行ってしまう気がして――、
「それは……その、シンヤの事が……、好き、だから」
爆発しそうなほど、全身が熱くなった。
――言ってしまった、とうとう。
電話の向こうの相手は、それを聞いてしばらく黙っていた。
その沈黙が怖かった。
どう返されるか、分からなかった。
『君に聞いて欲しい話がある。――俺に流れている、勇者の血についての話だ』
シンヤは、そう切り出した。
――勇者の血。
――呪われた運命。
そんな、どうしようもなく、絶望的な話を、カオルは黙って聞いた。
――その勇者の力は、周囲にいる者までに及ぶ。
その事をシンヤが話した時、カオルは、どうしてシンヤがこんな形で別れようとしているのか、分かった気がした。
『……分かったろ、カオル。俺の中に僅かに残っている力は、もう消えかかってる。それが完全に消えちまえば、俺に勇者の呪いが降り掛かってくる筈だ。
――ナタリーと会う前みたいに』
「……そんなことで、私がシンヤを一人にすると思う?」
カオルは、その話を聞いて、――どこか安心していた。
シンヤは、自分が鬱陶しくて離れた訳では無い。――自分を、心配してくれていたのだ、と。
「私はそんなに弱くないよ。――シンヤ、お願い。私は――、」
『――カオル、よく考えて欲しい。
――その気持ちは、本物なのか?』
――――その問に、カオルの時間は、一瞬止まった。
なんでそんな事言うの、と怒ろうかと思った。
疑うなんてひどい、と、言おうかと思った。
――でも、言えなかった。
その言葉は、妙に確信をつかれている気がして――、
「……それ、どういう――」
『……カオル、君はずっと子供の頃から、勇者に憧れていたんだったよな』
――なあ、カオル。
シンヤの声が、重々しく耳に響く。
まるで、今まで自分を形成していたものが、バラバラと崩れ去っていくかのような感覚。
――『勇者の血』に呪いがあるなら、『魔法使い血』にも、呪いがあってもおかしくないんじゃないのか。
やめて――、と、カオルは言おうとしたが、口が動かない。
視界がグラグラと歪んだ。
これ以上言わせてはいけない。
止めないといけないのに――、
――カオル、君の俺に対する気持ちは、『魔法使いの血』が作り出した、呪いだ。
その時、世界がバラバラに崩れた。
◇◇
カオルの困惑が、受話器越しに痛いほど伝わった。
しかし、伝えなければならない。
「カオル、君はずっと、魔法使いの血に呪いをかけられていたんだ。勇者を――、俺を好きになるように」
『………………………………嘘、そんな、――』
「――だから、一緒には居られない。カオルに迷惑をかけるからだけじゃない。
俺が一緒に居たら、君は一生その呪縛から離れられない」
――カオルも、俺と同じ被害者だ。
不条理な力で、意志を曲げらてきた。――そして、その呪いはこれからも続く。
でも、向き合わなければ。
――そして、いつか、開放されるその日まで、戦わなければならない。
「――カオル、本当に、今までありがとう。君の事は、一生忘れない。今まで受けた恩も、絶対。
――だから、君も解放されて欲しい。
カオルには、自由に生きて欲しいんだ」
――こんなにも、告げるのが辛いとは思わなかった。
カオルと離れたくない。
彼女に甘えていたい。
そんな気持ちが、意識の中を行き来している。
だけど、ダメだ。
『……………………………酷いよ、三年間も、待ったのに』
「…………………ごめん」
『……………………………嫌だよ、帰ってきてよ………………』
「……………それは、出来ない。カオルには、自由になってもらわないと、俺が困る」
『……………………………』
これ以上電話していると、決心が揺らぎそうな気がして、俺は受話器を置こうとした。
『………………もし、この気持ちが偽物だったとしても』
――その瞬間、カオルのか細い声が聞こえた。
『………………私と、ナタリーと、シンヤの絆は、本物だよね?』
――――そんなの、言うまでもない。
俺は、電話の向こうの相手と、世界の壁の向こうの彼女に微笑んで言った。
「……………当たり前だ。それだけは、一生――」
――そして、電話が切れた。
十円が切れたらしい。
俺は公衆電話を出て、あの場所へ向かう事にした。
◇◇
かつて飛び降りようとしたビル。
――ここが壊れることも無く残っていたのは、幸いだった。
屋上の策は、破損したままそのままになっていた。
俺は、外れた柵の所から、あの日、飛び降りようとした場所に立った。
――下には、たくさんの車や、人が居た。
もう空は真っ暗で、帰宅ラッシュ。
街はサラリーマンで溢れかえっていて、飲み会でもするらしい集団が沢山いた。
俺は以前、この世界から逃げようとした。
――でも、今度は立ち向かう。
たとえ待っているのが、暗い、絶望の運命だとしても、
俺は死ぬまで生きる。
たとえ、幸せな事が何も無かったとしても、
俺は戦う。
――この美しい現実と。
「……ナタリー、俺は生きてるよ。この先もずっと」
そう、呟いて、俺は背を向けてビルを去った。
――そして彼は、人混みの中へ消えて行った。
◼END
これにて、この作品を完結とさせていただきます。
ブクマしてくださった方々、評価してくださった方々、感想をくださった方々、
そして読んでくださった方々に、心からお礼申し上げます!
ありがとうございました!!




