第四十四話 リアルワールド
――朝起きると、もうカオルは居なかった。
ナタリーと俺は、シンと静まり返った診療所で朝食を取った。
俺が立てるようになってから、ナタリーは固く聖剣を抱えて、俺に渡そうとしなかった。
――時間は、随分早く過ぎていった。
カオルは何をしているのだろう。彼女は、今夜タワーにアイツが現れることを知らない。
「……勇者様、さあ、行きましょう」
診療所の薬類を見て回っていた俺に、ナタリーが声をかけてきた。
ナタリーの声は強ばっていた。
何がなんでも連れていく、という意気込みのようなものを感じる。
でも――、俺は行く気は無い。
「ナタリー、さっきも言ったろ。俺は、アイツと戦う。だからここから逃げたりしない」
「勇者様……、ご自分の命を、大事になさって欲しいのです! ……それに、この事で勇者様がなにかする必要は、本当は無いのです! 聖剣を取り戻すのは私の使命だし、勇者様は魔王を倒されたのですから、もう戦う必要は何も無いのです!」
――、ナタリーは必死に叫ぶ。
でも、俺の考えは変わらない。
「……違うよ、ナタリー。俺が勇者だからじゃない。――相手がアイツだから、って訳でも無い。そして、ナタリーに頼まれたからでも無いんだ」
ナタリーが、驚いて俺を見た。
俺は、ふっと笑って、ナタリーの肩に手を置いた。
「……俺は、この世界を守りたいんだ」
――こんなセリフ、ちょっと前の俺なら絶対に言わなかっただろう。
でも、――この冬を通して、俺はそう思えるようになっていた。
「死ぬ気は無いさ。ナタリー、安心してくれ。俺は絶対、生きて帰る」
それ以上、ナタリーは何も言わなかった。
代わりに、ナタリーは俺を抱きしめた。
俺も、抱きしめ返した。
「勇者様……、お願いです。生きてください」
◇◇
「……アイツはこない、か」
タワーの屋上で、足をぶら下げてその男は座っていた。
崩壊した街の中で、その塔だけが摩天楼のようにそびえ立っていた。
「ま、いいさ。せいぜい余生を楽しめよ、我が息子よ」
そして、立ち上がる。
時刻は、十二時を回った。男はタワーから飛び降りようと――、
「……いや、飛ぶのは不味いな」
――と、立ち止まった。
その瞬間、大量の光線がタワーの側面を貫いた。
男は充分に光線が着弾してから、その場を飛んだ。
タワーが崩れる。
その、飛んだ男に、さらに光線が降り注ぐ。
「あらよっと」
男は、聖剣を軽く振るだけで、その光線の雨をいなしてしまった。
光線が、螺旋状に回転しながらさらに男を襲う。――しかし、光線は男の肌に火傷すら追わせることが出来ない。
「お転婆なお友達じゃねぇか」
男は着地した衝撃をそのまま使って、光線が発射されている地点に向かって走り出した。
撃ってきている場所は、街に則した山にある展望台だ。
光線は更に放たれる。
しかし、無意味。
今度は馬鹿でかい光線が、爆音と共に男へ向かってきた。
「おっ、今度はちょっと強いな」
――それを、聖剣で簡単に逸らす。
そして、そのまま猛スピードで走り続けた。
展望台が近くなる。光線は既に止んでいた。
男の目が、逃走を始める少女の姿を掴んだ。
――しかし、遅い。
男はスタッと展望台に着地し、少女の前に立ち塞がった。
「おいおい、オレはシンヤの父親だぞ? いきなり攻撃は酷いじゃねーか」
少女の周囲に旋回していた光球から、大量の光線が飛び出した。
それを正面から受ける男。
――しかし、全く無傷。
「なっ――」
「おいおい、勇者の補佐役の魔法使いが、勇者に傷つけられるわけないだろ?」
「あなたが、勇者!? ふざけないでっ!!」
さらに光線。しかし、無意味。
男はケラケラと笑った。
「ああ、そうだったそうだった。俺は『魔王』だったな」
――じゃあ、と男は続け、
「魔王らしく、敵は排除しないとな」
少女へ聖剣を――、
「待て」
――そこに、シンヤは現れた。
ナタリーと手を繋いで、シンヤは戦闘を行っている二人の近くへ降り立った。
男が笑う。
「遅いぞ、全く。約束を破る男に育てた覚えはないんだがなぁ」
「――育てられた覚えはない」
シンヤは、ナタリーと手を離そうとした。――しかし、ナタリーはぎゅっと握って離さない。
「ナタリー!! どうして連れてきたのっ!?」
「俺が無理言ったんだよ。カオル」
俺はナタリーを、きつく抱き締めた。
この子を見るのも、これが最後かもしれない。
もし俺が偶然、生きて帰れても、彼女は異世界に帰還しなければならない。
だから、決して忘れないように抱き締め、そして離した。
「勇者様……」
そして、俺は男へ向き直った。男はカオルに目もくれずに、俺の方へ歩いてきた。
そして、俺も歩み寄る。
カオルが、後ろから光線を放とうとするのが見えて、俺は腕で静止した。
「……いい判断だ。そこのお嬢さん、次オレに攻撃したら、本当に殺すからな」
あまりにも軽い口調。――しかし、ヤツは本気だ。
カオルが息を呑んで、撃とうとするのを躊躇った。
それでいい。――カオルが危険を犯すことなんて無い。
「で、返事を聞こうか」
男は言った。
俺は、右手に持った聖剣を、男の前に突き出す。
「――俺はお前の仲間になんかならない。この世界の為にお前を、倒す」
――そして、聖剣を抜いた――。
―――――――――――
――――――
―――――――、ぁ、
痛み。
尋常でない、痛み。
神経がブツリブツリと切れてゆく。
血管に石油を流し込んだかのような感触。
部不相応の力が、全身を駆け巡る。
全身を壊してゆく。
この武器は、生身で扱っていいモノじゃない。
――視界が真っ赤に染まる。
前よりも真っ赤だ。
血よりも真っ赤だ。
死んだ方がマシ。
死にたい。
こんなに痛いのなら、死んだ方が――――、
「……愚かだな。結局勇者の力のあやつり人形で終わるのか?」
――――あやつり人形。
痛みが思考を妨げる。
目の前の男はの輪郭が歪む。
どうやら、あの黄金の剣を抜いているらしかった。
カオルが後ろで叫んでいる。
ナタリーの悲鳴が後ろから聞こえる。
全身からよくわからない液体が滲み出ている。
――あぁ、さっき血管に入ってきた液体が、血管を突き破って出てきちまったのかもしれない。
「――じゃあ、せめて苦しまないように殺してやる。サツキや、母さんのようにな」
――――、死ぬ?
――それは、ダメだ。
聖剣を取り返すと約束した。
生きて帰ると約束した。
彼女を異世界に返すと――、
――この世界を、守りたいと、思った。
楽しかった。
今までの不幸を、全部引き算しても余るほど、ナタリーが現れてから俺の人生は幸福だった。
もっとこの世界を。
死にたくない。
自殺なんてもっての他だ。
俺はこの世界の人間だ。
――異世界の勇者じゃない。
この世界の人間として、この世界で――。
クリスマスに包まれた大通りが、キレイだと思った。
寂れた商店街も、美しいと思った。
操られてるのかもしれない。
――でも、例えそうだとしても、俺は俺の意思で、この世界で生きたいと思った。
――だから、コイツを倒して、俺は現実へ戻る――ッ!!!!
ガキィィィィン、と、爆音。
ほとばしる稲妻。
この光景は、前にも見た。聖剣と聖剣が衝突した時に起こる現象だ。
「――シンヤ、お前――」
男が驚いて俺を見る。
――大丈夫、意識はまだある。
全身くまなく、死にたくなるような激痛が走っているけど――、あと十秒くらいは我慢出来る。
剣を振る度、ブチブチと腕の筋肉が剥がれてゆく。
それを、聖剣から流れてくる力で無理やり補う。
「――自滅する気かっ!?」
「んな、わけ、ねぇ、だろ」
火花。
稲妻。
爆発。
全身の、残っているものを全部、この一瞬の戦闘に注ぎ込む。
――しかし、それでも、
「……哀れだな。そんな事をしても、『勇者の力』には届かない。そんな事、お前が一番わかっているハズだ」
――バンッ、と、剣が弾かれる。
全身全霊込めたのに、――こうも簡単に、押し返される。
あと数秒もない。
数秒も無いうちに、俺の意識は消える。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
――――本気で剣を振ったのに、気づけば、俺は跪いていた。
「それがお前の限界だ」
――五秒にも満たず、俺は敗北した。もう指先すらピクリとも動かない。
「まあ、これで良かったのかもなぁ。お前にはもう、勇者の力が残っていない。――つまり、覚醒前に逆戻りってワケだ。そんなお前に待っているのは、結局暗黒の未来なんだし、
――そんな世界に生きるくらいなら、死んだ方がマシだよな?」
――男は、俺に剣を振り上げた。
――でも、俺は笑った。
「……わかったような口ばかり聞いて、言い訳ばかりだな、お前。――お前は、俺やサツキに、父親らしいことは何もしてくれなかった。お前も結局、現実から逃げたんだ」
――男の剣が止まった。
――隙を探せ。
よくよく自分の状態を把握しろ。こんなに良く喋れるのだから、あと一回程度は剣を振れるハズだ。
聖剣を握り、男を睨む。
男は、驚いた様に目を見開いていた。
「言い訳、だと?」
「――どれだけ理由があろうとも、お前が俺たち家族を捨てた事に変わりはねぇっつってんだよ!!!!」
――そうだ、こいつは結局、俺達と言う家族を作っておきながら、それから逃げた。
――結局、現実に帰りたくなくて、こっちに聖剣を持ち込んじまった曾祖父さんと同じって事だ。
――俺は違う。
――俺は逃げない。
――現実と向き合う。現実に生きる。
「ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
立ち上がる。足がフラッと揺らいだ。
それでも、聖剣を振りかぶる。
男は、呆然と動かない。
行ける。
倒せる。
――やれるッ!!!!
――でも、そいつは物凄い速度で、聖剣を振り上げた俺を突き飛ばした。
――こんなに、簡単に、飛ばされ――、
――――ドカッ、と、
ゴロゴロと、地面を転がる。
もう体が動かない。――いや、首だけはなんとかまだ動く。
聖剣は――、転がって、遠くに落ちてしまっていた。
敵は――、
そして、俺は男を見た。
男は、なんでもないというようにそこに立っていた。しかし、顔色は真っ青だ。
――なんでか、と疑問に思ったけど、よく見るとおかしなものに気がついた。
そいつの胸元から、腕が生えていた。
――ああ、いや、腕が生えてるわけじゃないか。
腕が突き出ているんだ。
じゃあ、誰が後ろから腕を刺したんだ?
――腕が抜かれる。
そして、男の後ろに、金髪の少女が現れた。
――ああ、魔王の近くにいた子だ。生きていたのか。
「な、何故庇っ――」
その子は、驚いたように言った。
――そして、ソイツは、「悪いな」と言って、その子を両断した。
「――なにを、……した」
状況が理解できなかった。
そいつは、胸元から血液を撒き散らしながら、悔しそうに笑った。
「いや、お前の言うことも確かにそうだと思ってな。――気の迷いだな、一瞬、父親らしいことをしてみたくなっただけだ――、今はもう、後悔、してる」
――倒れた。
その光景を、俺はぼんやりと眺めていた。
誰かが走りよってくる。
体を抱きかかえられた。
――あたたかい緑の光が、俺を包む。
「もっと、もっと回復魔法を!」
「分かってる!!」
二人の、悲鳴に近い声。
――そのおかげで、少しだけ身体が動くようになってきた。
でも、本当はわかっている。こんなのは一時的な先延ばしで、俺の体はもう使い物にならない。
「……大丈夫だ、もう」
――、だから、精一杯の見栄を張って俺は笑った。
「勇者様……、死なないで、死なないでくださいっ!!」
「ははっ……、死なねぇって、ほら、生きてるだろ?」
「逃げろって、逃げろって言ったのに、なんで!」
涙を溢れさせるカオルに、俺は微笑んだ。
「――カオルに気付かされたんだ。ナタリーと出会ってから、おれがどう変わったか」
俺は、ゆっくりと呼吸した。――ああ、まだ生きてる。
「勇者様……、本当に、本当に、貴方には幸せになって欲しいのですっ……、でも、どうしたらいいか……」
「――ナタリー、大丈夫だ。幸せなら、自分で探せる」
涙に濡れたナタリーの頬を、そっと撫でる。
綺麗な、白い髪。緑の瞳。
――俺は、彼女に会えて、幸せだった。
「頼む……、ナタリー、別れを言えるうちに、行って欲しい」
――別れを言えるうちに。
そう、俺にはもう猶予がない。崩壊の足音が、すぐ後ろに聞こえている。
そうなってしまえば、別れを言うことすら出来ない。
ナタリーは、目元を拭って、迷わず俺の頭を持ち上げ、唇を重ねてきた。
――安らかな、温かい力がナタリーから流れ込んでくる。
それは、ナタリーの中にあった、精一杯の力。
それが、俺の崩壊に少しだけ歯止めを掛けてくれた。――まあ、ちょっとの時間稼ぎにしかならないけど。
ナタリーは立ち上がり、俺のと、あの男の聖剣を取りに走った。
俺は幸せな気持ちで、それを眺めた。
「……いいの? 本当に」
「いい。あっちが、ナタリーの世界なんだから、帰るのは当然だ」
カオルが、辛そうに俯いた。
――そして、ナタリーが二本の聖剣を持ってきた。
俺があの日、屋上で掴んだ白銀の聖剣と、――かつて勇者として異世界を救った、曾祖父さんの黄金の聖剣。
その二つに加え、カオルが賢者の石を渡した。
「……勇者様、貴方のことは、絶対に、永遠に忘れません。たとえこの世界で語られずとも、私が向こうで語り継ぐのです。――偉大な、異世界の勇者のことを」
「ははっ――、そりゃ、嬉しいよ。そっちじゃ、上手く行けば、俺は英雄になれるかもしれないな」
「――勇者様、本当に、本当にいいのですか? 向こうの世界には魔法もあります。――勇者様のお身体も、治す術がどこかに有るかも知れないのです」
俺は緩やかに微笑んで、首を振った。
「――いいんだ。俺はこっちの世界の人間なんだから、こっちの世界で生きなくちゃならない。……現実から、逃げちゃいけないんだ」
――何故曾祖父さんが、聖剣をこっちに持ち込んだのか。
その時の彼の心境が、今の俺には手に取るように分かる。
――力を失いたくない。
――せっかく得た名声を失いたくない。
――自分の功績が無かったことになるなんて耐えられない。
――異世界の方が楽しい。
――異世界に住みたい。
――現実なんて嫌だ。
――帰りたくない。
――ずっと『勇者』で居たい。
きっと、ナタリーの世界は、とても綺麗で、わくわくするような事が広がっているのだろう。
現実が嫌になるくらい、美しいのだろう。
でも、それではダメなんだ。
曾祖父さんがそうしたせいで、俺達はこんな悲劇を被っている。
俺達は、生まれ落ちた世界で生きてゆくしかない。
「世界の融合が進んでるのは、互いに異物が入り込んじまったからなんだろ? なら、俺という異物がそっちに行く訳にはいかない。
――全部、正常に戻さないと、今までのことが全部無駄になる。
だから、ナタリー、向こうに帰ったら、勇者をこっちの世界から呼ぶのはもう二度とやめろと、伝えてくれ」
ナタリーは、もう一度俺の元に跪いて、頷いた。
そして、もう一度口付けをした。
「――貴方は、私があってきた人間の中で、最も素晴らしい人間なのです」
ナタリーは、そう言って、今度はカオルと抱き合った。
「ナタリー、本当に、行っちゃうんだ……」
「カオル様、今まで、本当にありがとうございました。――勇者様のこと、これからよろしく頼むのです」
「うん、任せて。――絶対にシンヤを一人になんてしないから」
そうしてナタリーは、俺たちに背を向けた。
『―――、――――――――、―――――――、――――』
異言語の詠唱。
どこかおどろおどろしく、どこか儚く優美な、そんな歌。
その歌の終わりに、ナタリーの目の前に複雑な模様の魔法陣が現れた。
――あれが、『ゲート』。
この世界と異世界を繋ぐ、唯一の扉。
「――勇者様、異世界を代表して、お礼を申し上げます。
本当に、ありがとうございました。
――貴方の伝説は、未来、……永劫、語り継がれるで……しょう」
ナタリーは、涙をぼろぼろ零しながら言った。
――そういう俺も、自分が泣いているのに気づいた。
光が大きくなる。
カオルに肩を支えられて、俺は立ち上がった。
「ああ、さよなら、ナタリー。君に会えて、俺は本当に幸せだった」
「勇者様、私も――――」
――その瞬間、ゲートが口を開け、ナタリーを呑み込んだ。
そして、俺の意識も、急速に暗転に向かっていった。




