第四話 もう、怖くない
前までの俺は、この机を見て何を考えていたのだろうか。
俺は落書きだらけの机を眺めながら、そう思った。
周りからのクスクス笑いはもう、気にならなかった。
俺は椅子に座って、膝を付いてぼーっと教室を見回した。
頭の悪そうな男、女。
みんな意味不明なことを言って、何が面白いのか馬鹿みたいに笑っている。
タバコの煙が教室に充満しているし、そこら中におやつの箱が落ちている。
……ナタリーは今頃どうしているだろうか?
学校まで着いてくると言い張ったナタリーだったが、俺の反対により、散々口論した結果ナタリーが折れた。
こんな底辺学校にナタリーなんて美少女が来たら、不良共が騒ぎ立てるに違いない。
「あっ、悪りぃ」
そんな時、上からオレンジジュースが降ってきた。
俺の頭の制服が、びしょ濡れになる。
教室が笑いに包まれた。
かけてきたのはキジマだ。クラスのリーダーであり、俺への攻撃の主犯。
俺はこいつから、ずっと虐められていた。
ただなんとなく気に食わないってだけの理由で。
「クドウ、今日も放課後な」
キジマは、そう俺の肩をポンポンと叩いた。
◇◇
「よォーし、今日も練習すっか〜」
放課後、いつもと同じ様に、俺は校舎裏の壁際に立たせられていた。
不良達は、つまらなそうにタバコを吸ったりしている。
「あっれェーそいつの顔なんか変じゃね?」
不良のひとりが、俺を指さして言った。
傷が消えていることに気づいたのだろうか。
俺を殴ろうとしていた男が、はぁー? と俺の顔をじろじろ見た。
「あー、コイツ普段どんな顔してたっけェー。いやもうどうでもいーや。どーせボコボコになるし」
男は拳を振りかぶる。
忌々しい記憶が甦った。
何度も、何度も、何度もここで殴られた。
何も彼らに迷惑はかけていない。
逆らった訳でもない。、
それでも、彼らは俺を殴り続けた。
毎日毎日毎日毎日――。
――だから俺はそれを、いつも通りに受けた。
パキュン。
嫌な音が響いた。
まるで、硬いコンクリートを素手で本気で殴った様な音だった。
誰も気にかけていない。
俺を殴ることなんか日常的すぎて、最早見物するまでも無くなっていたのだ。
ただ一人、俺を殴った男だけは、その異常に気づいた。
男は腕を血塗れにして、座り込んでいた。
骨でも砕けたのか、指はだらんとして握りしめることが出来ないようだった。
「……は、は、はぁー? 痛ってぇ、まじ痛え……」
ぜぇ、ぜぇと息を漏らす男子生徒。
俺はそれを見下ろして、観察した。
俺自身、殴られたはずなのに全く痛みを感じなかった。
『勇者様はもう覚醒されたので、もう聖剣なしでもとてもお強くなってるはずなのです――』
ナタリーの言葉を思い出す。
まあ、そういう事なのだろう。
勇者としての力は、彼らの拳を決して通さない。
そしてその力は、俺が復讐を行う事を容易にしてくれる。
――勇者の力に頼ってはいけないと、誰かが言うかもしれない。
だが、そんなことは知ったことではない。
こいつらは俺を殺した。
あの時、ナタリーが来なかったら俺は本当に死んでいた。
今までの分きっちりと、借りを返さなければならない。
「どうしたよ。殴らないのか?」
俺は、そいつを見下ろして言った。
周りの生徒達が何人かこっちを見た。
「おーい、何やってんの?」
「サンドバッグが喋ったぜおい、躾しなきゃダメじゃね?」
「タカシ、何座ってんだぁ?」
俺を殴った男は、タカシというらしい。
タカシは腕をぶらぶらさせて、無理やり立ち上がった。
「なんか、なんかこいつめっちゃ硬てぇーんだけど……クソがっ」
「はぁー? 薬でもやりすぎたかぁ?」
「ヤッてねぇーって!! じゃあお前やってみろよ!」
「お前マジ雑魚すぎだわ。俺がやるからどいてろ」
今度は、タカシに変わって大柄な巨人のような男がでてきた。
男は、右腕にメリケンサックをはめる。
「おいおい、死ぬんじゃねーのそれ」
「別にいいだろ? コイツに生きてる価値なんてねぇーし」
「それもそうか。ハハハハッ」
「おー、面白そうなことやってんなぁ! ほら、早く殺れよ!」
そんな時、キジマがやってきた。
タバコを吸いながら、俺の事を嫌な目で見ている。
「キジマさんが言うなら、張り切らねぇとなぁ」
大男が振りかぶる。
拳が、ゆっくりと近づいてきた。
――遅い。
今まで目にも終えていなかったパンチが、今日はスローモーションのように見える。
これでは、一歩も動かずに避けることが出来てしまう。
だが、あえて避けない。
拳は俺の頬へぶつかり――、メリケンサックが粉々に割れていった。
「――はぁっ!?」
「じゃあ、まずは……お前からだ」
そして――明確な攻撃の意思を込めてそう呟き、大男を睨んだ。
ビリリ、と空気が震えた。
俺は男に殴りかかろうとしたが、
――その瞬間男は白目を剥いて、泡を吹いて、倒れてしまった。
「……あ? 何やってんだよ」
キジマ達が倒れた大男に、訝しげに視線を送った。
男は――気絶して、漏らしていた。
じわじわと制服に尿の跡が広がってゆく。
「えっ、マジ? おい、薬打ちすぎたんじゃねーのか!!」
「お、おいやべーぞ!」
不良たちの目が、男の方へ行った。
――は、ふざけんな。
徹底的にやり返そうと思ったのに、睨むだけで気絶されちゃ世話ない。
お前達には、今までの分の苦しみを味わってもらわなきゃいけないのに。
……なんだか気分が萎えてしまった。
俺は不良たちが騒いでいる間に、隙をついてその場を抜け出した。
◇◇
帰宅した俺は、椅子に座って天井をぼーっと眺めていた。
ベッドにはナタリーが居座っていて、棚にあった本などを読み漁っている。
『この世界についての情報収集なのですっ!』との事だったが、チラ見するとファッションコーナーを見ていた。
どうやらエルフであっても、オシャレというのは大事らしい。
俺は右腕を握ったり、開いたりした。
もしも、もしも俺があいつらに本気でやり返したら……。
殺してしまうのではないだろうか。
睨むだけで気絶してしまうのに、殴ったりなんかしたら、単なる怪我じゃ済まない気がする。
――いや、奴らの心配なんかしてどうする。
俺は今まで、死にたいと思うような目に合わされてきた。
自業自得じゃないか。
フラッシュバックのように、今までの苦痛の日々が現れては消えた。
ダメだ、これ以上考えたら、抑えが効かなくなる。
「……なあナタリー。異世界って、なんなんだ?」
心に暗いものが溜まるのを抑えるために、俺はそんな事を聞いていた。
ナタリーはうーん、と少し考え込む。
「とても綺麗な所なのです! あ、もちろんこっちの世界も綺麗なのですが……こう、違った方向で」
「随分抽象的だな」
俺の苦笑いで言った言葉に、ナタリーはうんうんと悩んだ。
「うーん……あ、これなのですっ!」
ナタリーは、俺の本棚の中の本のひとつを、取り出して見せた。
それは、王道ファンタジー小説の名作だった。
帯には、『剣と魔法の世界』と書かれている。
「剣と魔法の世界、か。なんかいいな」
考えてみれば、俺は何も知らない。
ナタリーの事や、勇者の事、魔王や異世界の事もよく知らない。
ただ、頼られたからやってるだけ。
けど、俺にとってはそれで十分だ。
外を見ると、暗くなりかけていた。
……いよいよだ。
これから、俺の勇者としての時間が始まる。
これから毎晩、俺はナタリーと夜の街を巡回し、悪魔を発見次第退治して行く。
そうしたらその内、魔王への手がかりにたどり着くはず、と言うのがナタリーの提案だった。
「勇者様、そろそろ行きましょうか?」
いつの間にか、ナタリーが本を片付けて、やる気満々の表情で俺を覗き込んでいた。
そんな彼女に少しドキッとしながら、俺は頷いた。




