第三十一話 疾風怒濤
「じゃ、私はこのまま帰るから」
「サヨナラなのですカオル様!」
「また明日な、カオル」
カオルは微笑んで小さく手を振った。
ガコン、と電車の扉が閉まり、音を立てて駅を出発して行った。
「……じゃ、俺らも帰るか」
「はいっ、今日のご飯はなんなのです?」
俺達は駅を出た。
今日は散々街を歩き回って疲れたので、巡回は無しだ。
たまには休憩も入れないと、身体がきつい。
夜道を歩いていると、いつもよりもいっそう寒い気がした。
こう、大通りから急に一通りの少ない夜道に来ると、なんだかセンチメンタルな気分になってくる。
「なあ、ナタリー、聞いてもいいか?」
「? どうされたのです?」
「もしも――、魔王を倒し終わったらさ――」
――俺は、どうやって生きれば良いんだろう。
いや、そもそも生きていていいんだろうか。
俺は自分から、あの日死ぬことを選んだ。
世界に絶望して、生きることを諦めた。
それを――、どうせ死ぬなら、とナタリーの頼みを引き受けたのが、そもそもこの勇者活動だった。
なら、勇者としての俺の役目が終われば、俺の生きている意味は消えてしまう。
やりたいこともない。
将来の夢もない――。
――そこまで考えて、こんな事ナタリーに相談しても、どうしようもないことに気づいた。
「……いや、なんでもない。早く帰って飯を――」
「勇者様」
ナタリーが立ち止まり、目を見開いて正面を見すえた。
俺はその様子を不思議に思って、ナタリーの視線を追う。
――そこには、巨人が立っていた。
明らかに人ならざるもの。
全身が真黒い布で覆われているが、その巨体の中に隠された圧倒的な肉体を隠しきれてはいなかった。
巨人がフードを脱ぐ。
そこには――、血管が顔中に浮き出た、真っ青な肌の凶悪な顔があった。
『貴様が勇者だな?』
「……お前、悪魔か」
『そうとも』
巨人は笑った。
豪快に、そして強者の余裕を持って。
『俺の名はゼノン。――四天王にて最強の戦士だ』
ゼノンが、グイッと腕をまくった。そこには、筋肉の塊のような腕がある。
しまった――、聖剣は家だ。
俺は少し焦りながら、拳を構えた。
聖剣なしでも行けるか――?
「ゆ、勇者様っ! 私が取ってきます!」
頼んだ、と俺は頷いた。
ゼノンはニヤリ、と笑う。
「……無駄だ。その前に、お前は死ぬ」
――――――風と共に、ゼノンの姿が掻き消えた。
「ナタリー、行けっ!!」
追えている、俺の目は追えている――ッ。
ゼノンの巨大な体は、高速で道を飛び回りながら、俺へとその拳を迫らせていた。
「……っ」
『ほう』
バシッッッ、と、俺はゼノンの拳を受け止めた。
――拳の衝撃波が、俺の背後のコンクリートをめくってゆく。
ゼノンが足を振り上げる。次は蹴り。
俺はほぼ反射神経で身を翻し、回転しながら距離を取った。
『……そいつは悪手だ』
バギィィィィィン、と、奇怪な音が鳴った。
――その直後には、俺の身体は空中を舞っていた。
高い、――高い、上空何十メートルも飛ばされたっ――!!
下を見ると、もうすぐそこにゼノンが飛び上がってきている。
俺は体制をなんとか建て直し、拳を振り上げた。
ゼノンが体を捻らせ、俺を蹴り落とそうとする。
――その足を、俺はなんとか上半身を曲げて躱し――、拳をゼノンに叩き込んだ。
ドゴォォォォォォォン、と、ゼノンが地表に衝突する。
俺はそのまま、ゼノンの方へと落下した。
◇◇
前――、目の前を拳が通過。
――回避。
跳躍――、敵も跳躍。
蹴り――、受け止められ――、体を捻って脱出――。
ガギィィィィィィン!!!
もう何度目か――。
もう何時間戦っているのか――。
ナタリーはまだなのか――。
いや、実際は五分も経っていないのかもしれない。
――思考する暇は無い。
民家の屋根に着地すると、すぐに視界の横に、ゼノンの拳が映った。
強い。――こいつ、半端なく強い。
ゼノンの拳が、頬を掠めた。
その衝撃波が、遠くにあった民家に穴を開けた。
「――――――」
気にする暇はない。奴が次の攻撃を行うのに、一秒もかからない。
俺は跳躍し、――走り出した。
民家の間を、めちゃくちゃに走る。
『逃げる気かァッ!?』
――その瞬間、ドカァァァァァァァァン、と恐ろしい音が聞こえた――と、思った瞬間、
――目の前に民家が飛んできた。
「……は、マジか」
民家が俺の行く手を阻むように、着弾する。
俺が振り向くと、ゼノンが勢いをつけ、迫っていた。
今までとは比にならない奴だ。
俺はその拳を、両腕で受け止める。
――しかし、ゼノンはその拳を直前で引っ込め、蹴りの体制へ移行した。
『死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!』
「――てめぇが死ねっ!!」
――俺はその蹴りを、体で受け止めた。
そして足ごとゼノンの巨体を振り回し、後方へぶん投げた。
先程飛んできた民家に衝突するゼノン。
――こんな事をやっても、少し怯むかどうかだ。
「勇者様〜っ!!」
――ナタリーだ!!
着地して上を見ると、呆然とナタリーが竦んでいた。
両手には聖剣を抱えている。
「投げろ、ナタリーっ!!」
「は、はいなのです! ――えいっ!!」
――聖剣がナタリーの手を離れる。
そしてまっすぐと、こっちの方へと落下してきた。
俺は、全力で跳躍して、聖剣へ手を伸ばす。
『……させるかっ、マヌケェ!!』
――しかし、俺よりも早い速度で、ゼノンが飛び上がってきた。
ゼノンが聖剣へ手を伸ばす。
不味い、不味い――、ゼノンと俺の実力は少しだけゼノンが上回っている。
聖剣が無ければ、俺は勝てない。
『もらった――ぁ?』
――ゼノンが聖剣を掴み取った。
しかし、掴み取ったゼノンの腕が、バシンっという光とともに燃え始める。
ゼノンの腕が聖剣から離れる。
俺はその隙に、聖剣を掴み取って――
「くそがァァァァッ!!」
――ゼノンに叩きつけた。
もうもうしく散る火花。
ゼノンが猛烈な速度で、地面に叩きつけられ、巨大な土埃が舞った。
俺はそのまま、自由落下を始める。
聖剣を鞘から抜いて、ナタリーに投げ渡した。
「勇者様っ、どうされるんです!?」
「――奴はここで倒す」
下を見ると、ゼノンが移動を始めていた。どうやら、聖剣を持った俺と戦うのは分が悪いと踏んだらしい。
――だからこそ、ここで逃がす訳にはいかない。
「ナタリーは家に帰っててくれ。俺は奴を倒してくる」
「なっ――アレは、ゼノンなのです!! 前の勇者様ですら、倒すのに数ヶ月もかかったという……」
「今晩中に倒す。じゃ、行ってくる」
着地――、と同時に跳躍。
ゼノンが向かった方へ、俺は全力で走り始めた。
「勇者様っ!!」
――ナタリーに振り返る余裕もなかった。
◇◇
――とある、オフィスビルの屋上。
真っ黒な服を着た大男が、携帯電話を耳に当てていた。
『――アルベラ、なんなんだアレは。聞いていないぞ』
『なんだ、ゼノン。お前には荷が重かったか?』
『貴様、――まあいい。とにかく、一度戻るぞ。聖剣を持った奴は少し――』
「誰かとお話中か?」
――ゼノンが、危険を感じて身を躱した。
そこに、聖剣の刀身が通り過ぎる。
ゼノンは少し跳躍し、いつの間にか居た勇者の男と距離を取った。
携帯の電源を切る。
――そしてゼノンは、勇者を睨みつけた。
勇者は、敵意も、何も無く――、ただ聖剣をこちらに向けていた。
その中にゼノンは、懐かしいものを感じていた。
(……ああ、そうだ。勇者と言うのは、こういうものだったな)
人間の書物には、あたかも正義の味方のように描かれている『勇者』。
――しかしその実態は、正義など無く、悪意ですらなく、ただ自分の使命を全うする戦闘マシーンだった。
直接戦ったことのあるゼノンは、それを知っている。
自分が戦うことに、なんの意味も持っておらず、なんの疑いも持たないその『勇者』
のあり方を。
『……一つ、聞こう。勇者よ、お前は世界を救うために戦っているのか?』
「……世界を救う? ――ああ、結果的にはそうなるのか」
勇者は、今にもこっちへ飛び込もうと膝をまげ、聖剣を構えた。
『では、何故戦っている。何故死ぬかもしれない事を、信念もなくやり続けられるのだっ!?』
積年の疑問だった。
――前回勇者に敗北した時から、その疑問は大きかった。
しかし、勇者は、心底どうでもいいというふうに言い捨てた。
「――頼まれたからだ」
――勇者の姿がブレる。
ゼノンは、反射的に飛び上がり、夜の街に身体を踊らせた。
そして、すぐさま対岸のビルの壁に着地し、加速してビルの壁を走り出した。
『――――ッ!?』
しかし、それを追ってくる勇者の速度は、ゼノンに容易に追いついてきた。
聖剣が背後から迫る。
ゼノンはそれを、間一髪下に落ちることで躱した。
ドガァァァァァン、と、下の道路を走っていた車の上に着地し、そのまま車道を走り出した。
背後をちらりと見ると、勇者がとてつもない速度で追ってきている。
『――――――ふ、ふははははっ!!』
ゼノンは、横を走っていた大型トラックを片手で掴みあげ、投擲した。
ギィィィィィ、と耳を針で刺すような音がなり、地面を削りながらトラックが勇者へと迫りゆく。
それを――、勇者は、両断して見せた。
『……チッ』
ゼノンは再び、全力で逃走を開始しようと――、
「――――よう」
――――目の前に既に移動している、勇者。
見えなかった。全く。
――つまり勇者は、この戦いの中で成長し、もうそのレベルに達したというの事だ。
『――――――お前、どうなってんだ?』
ゼノンの意識は、そこで途絶えた。




