第十三話 夜行 〜her side
今でも、鮮明に思い返すことが出来る。
怪物は、空から私へ迫ってきた。
私はしばらく呆気に取られていたけど、命の危険に気がついて逃げ始める。
でも、私はそんなに足が早いわけじゃないし、スタートが遅すぎた。
街灯から、街灯まで、飛び渡るように走った。
道をむちゃくちゃに曲がって、なんとか怪物から距離を取ろうとしたけど……飛んでいる向こうには意味が無い。
簡単に、私は追いつかれた。
タイミング悪く、私は地面に躓いて、転がった。
全身を擦りむいたけど、気にならなかった。
後ろを振り向くと、私の儚い期待も虚しく、怪物は立っていた。
怪物は、あまりに無感情に、その鉤爪を私へ振り下ろす。
――あ〜あ、こんな所で終わりなのか。
私は、なんだか冷静に、そんなことを考えていた。
走馬灯も、何も見えなかった。ただ、これで終わりなんだ、と、そう思った。
――でも、違った。
私の命は、終わりなんかしなかった。
鉤爪は、私に届くすんでの所で受け止められていた。
どうしてだろう。
不思議に思ってそっちを見ると――少年が立っていた。
私と同じくらいだろうか。
鉤爪を受けとめた、長い長い剣を持った少年は、怪物を弾き飛ばす。
そして、怪物に反撃もさせないまま、切り裁いてしまった。
作業のような戦いだった。
私はただ、そんな光景を、見惚れるように見つめていた。
少年が、何も言わずに去ったあとも、私はしばらくそこへ座り込んでいた。
心臓のドキドキが止まらなかった。
空気を吸い込むと、凄く『生きている』って感じがした。
初めての感覚だった。
怪物に追われてから、あの少年に助けられるまで――私は、本当に生きていた。
きっと、これが私が望んだ世界なんだ。
私は、よくわからないけど、どうしてかそう思った。
死ぬほどの経験をしたはずなのに、私は笑った。とても嬉しかった。
彼に会いたい。
会って話したい。
お礼を言いたい。
そんな気持ちが、どんどん膨らんでゆく。
――そして私は今日も、図書館で夜遅くまで勉強し、暗い道を通って帰宅するのだった。
まだ、私は彼に会えていない。
◇◇
「ふぅー」
図書館の自動ドアをくぐり抜けると、一気に寒くなった。
もうそろ冬も終わりだな〜、とか思いながら、私はマフラーをきつく巻く。
どうして、図書館から家への帰り道の時、私は身だしなみを気にしてしまう癖がある。
彼に会えた時、不恰好だって思われたくないから?
まるで自分らしくない行動に、私はクスリと笑った。
帰路は、やっぱり少し不気味で、異世界じみている。
私は、空を見上げながら住宅街の中を歩いていた。
もう少しで家に着いてしまう……。
そう考えると、少し残念だった。
今日もまた、会えないのだろうか?
「……はぁ」
また、ため息が出た。
あの出来事が、だんだん幻だったような気がしてくる。
でも、実際に最近通り魔事件が増えているらしいし、一概に夢とも言えない。
なんだか、もどかしい気持ちが、私の中に渦巻いていた。
――ふと、もう一度夜空を見上げる。
「……あっ」
最初、カラスか何かかと思った。
空を、黒い物体が飛行している。
でも――、アレは鳥じゃない。
随分上空を飛行しているから、良く見えないけど、アレは――。
突如、その物体が下降する。
流れ星のように、下へ下へと降りて行く黒い塊。
――次第に、その形が見えるようになった。
「……あれ、この前の怪物、よね?」
怪物は、そのまま住宅街の何処かに落ちて行った。
どこに落ちたかは分からない。ただ、方角だけは分かる。
ドクン、と心臓が鳴った。
これは、きっと私の人生の分かれ目だ。
あの怪物のあとを追ったって、彼に会える訳では無い。
運が悪かったら、今度こそあの怪物に食べられてしまうかもしれない。
そうなってしまえば私は、普通の人生さえ歩めなくなる。
――でも、このまま生きるのは、もっと嫌だった。
◇◇
「はぁ、はぁ、はぁ――」
息が切れる。
空気を吸い込むと、乾燥しているからか肺がキリキリ傷んだ。
角では止まり、少し覗いて安全を確認してから、また角へ走る。
カバンを持つのが億劫になってきた。
手が塞がっていては、いざと言う時に逃げられないかもしれない。
でも、教科書が入っているし、置いておく訳にもいかない。
「はぁ、はぁ、はぁ――」
人が全く居ない。
ここのところ物騒だからと言って、人々は家に閉じこもってしまっている。
外に怪物がいることも知らないで。
しばらく移動したら、もう全然見知らぬ場所へ来てしまった。
少し疲れたので、休憩しようと近くにあった公園に入った。
自販機でホットのお茶を買って、ベンチに座る。
――何やってんだろ、私。
ようやく冷静に戻った私は、自分のバカさ加減に嫌気がさした。
さっきのアレは、きっと見間違いだったのだ。
「……帰ろ」
私は、乱れた服装を直し始めた。
マフラーなんか、走ったせいでズレて変なことになっていた。
ズズ、とお茶を飲み干して立ち上がる。
そう言えば、明日テストあったっけ。
チカの名目勉強会も、それ対策のためのものだったはずだ。
まあ、私は特に対策しなくともできるんだけど。
私は、近くにあったゴミ箱に、空き缶を投げ入れてから立ち上がり――、
「ねぇちょっとぉ〜、君こんな所で何してんのぉー?」
いきなり、声をかけられた。
振り向くと、何やら顔の赤い、大学生くらいの男達が、ニヤニヤ笑いながら立っていた。
……ヤバい。
ひと目でわかる。
昼間ならまだしも、ここは夜の公園。近所の家は静まり返っている。
「って、それ南高の制服だっしょ? うわマジ偶然じゃね? 俺卒業生なんだけど!!」
「へぇーっ! ガチ優等生じゃん!」
「ねぇこんな所でなにしてんの? 暇なら俺たちと話してかね?」
総勢五人――恐らく大学生が、ベンチの周りに集まってきた。
男のひとりが、横に座って私の肩に手を回してくる。
……酒臭いし、タバコ臭い。
顔を顰めて、私はどうやって躱そうか考えていた。
「ねぇ、暇っしょ? ねぇ、名前は? ねぇ!」
「……私そろそろ帰る所だったので、失礼します」
そう言って、立ち上がろうとするが、私の肩に回された手が、無理やりベンチに押さえつけてきた。
「そー言うなって。俺先輩だぜ? 卒業生の話とか色々してやるよ」
男の声は、少し荒かった。
逃がす気はないらしい。
「別に話なんかしなくていいって言ってんの。ホントに邪魔だから、どいて」
私がそう言いすてると、首をグイ、と掴まれ、男の方へ顔を向かされた。
「ギャハハハハッ!! 言われてるぜ卒業生っ!!」
男達の煽りを完全に無視して、男は私の顔をジロジロ見てきた。
「……いいじゃんお前ェ。お前、結構俺のタイプなんだけど。いや、マジで」
「私、もう帰るって言ってるでしょ。邪魔だったなら謝るから、私が行ったあとに酒なりなんなり呑めばいいじゃない」
「いやぁ丁度女がいないと盛り上がらないなぁーって話してたんだよ。なぁ?」
男共は、勝手に盛り上がり始める。
私の肩に手を回している男が、ビール缶を差し出してきた。
「ほら、俺たちの奢りだ。なーに、大学生の練習だ」
「おーっと、優等生の飲酒頂けるんすかぁ〜!?」
呑め、呑め、とコールが始まる。
ビール缶がプシュッと開けられた。
バカみたい。
こんなの呑みたいと思った事なんて、一度もない。
最悪、本当に最悪な日だ。
こんな奴らに絡まれて。
「だから、もう帰るって言ってるでしょッ!!」
私は、握らされたビール缶を投げた。
ビール缶は中身をまき散らしながら飛んでゆき――、カラン、と転がった。
それを、バキり、と踏み潰す音。
全員がそっちに振り向く。
そこには、――黒い、大きな怪物が立っていた。




