第7話 打ち上げ
公民館リサイタルの打ち上げには文も誘われた。待ち合わせ場所の公園から駅近くのビストロへ文は茜に引かれてやってきた。文の外食の経験は、家族以外では少なかった。中学時代にクラスメイトに連れられてハンバーガーショップに行った程度だ。
「茜さん、打ち上げって何ですか?ロケットとか関係あります?」
文がおずおずと聞いた。
「ははは、判んないよねえ、中学生とかが打ち上げってあんまり聞かないもんね。まあ、なにかイベントやった後にさ、関係者が集まって、改めてお疲れ様ーって乾杯することよ。なんで打ち上げって言うのかねえ?お酒飲むのが普通なんだけどね」
「へえ。今日もそうするんですか?」
「うん。でもウチらの集まりの場合は食べる方がメインかな。酔っぱらうと美鶴が泣いちゃって大変なのよ」
「え?」
「酔うとさ、怒る人とか説教する人とかめっちゃハイになる人とかいるんだけど、美鶴の場合は急に泣いちゃって絡んでくるから大変なんだ」
「ふうん。悲しくなるんですか?」
「どうだろ。いろいろ不幸なことを思い出して泣けて来ちゃうんじゃない?だからそうならないよう、陸と一緒にご機嫌取りながら飲むんだよ。割と疲れるよ。あ、でもこれ内緒だよ。美鶴って泣いた後寝ちゃうから、本人覚えてないんだよね。シアワセなことに」
「へえ、大人って大変ですねー」
「まあねえ、文ちゃんは外食とかするの?」
「はい。時々家族で行きます」
「見えなくても大丈夫なものなの?」
「えっと、お皿とか何をここに置くよーって言ってもらえば大丈夫です。だからパスタとかワンディッシュが一番楽です」
「そうなんだ。右にサラダで左にご飯とか?」
「はい。時計の時刻で言うこと多いです。12時にサラダ、3時にスープ、9時にお茶、真ん中にお肉とか」
「ほー!上手く考えてるね、なるほど」
「小学校の時に習ったんです。そうすると判りやすいからって」
「お箸は大丈夫なんだよね」
「はい。苦手なのはストローです。ほっぺに刺さったりして結構キケンです」
文は屈託なく笑ったが、見えない苦労とか多いだろうな、茜は思った。
ビストロには既に陸も美鶴も来ていて、文は奥まった席に案内された。文の歓迎会も兼ねていたからだ。
打ち上げは和やかに進んだ。メニューはイタリアンのコースで、料理は一皿ずつ運ばれてきたので文には判りやすかった。茜はかねてから聞きたかったことを文に聞いた。
「ね、なんで文ちゃんはピッコロ始めたの?」
文は小学校時代の優ちゃんのピピの事と大学生のお兄さんたちの演奏の事を話した。
「へえ、文鳥の声ねえ。ピッコロなら高音だからそうなのかもねえ」
文は意気込んだ。
「あの、だから私、いつかは文鳥と一緒に吹いてみたいなあって思ってます」
茜が聞いた。
「えっと、文、文鳥ってどんな小鳥だっけ?」
「あの、私も見たことはないので判りません!」
陸が笑った。
「見た事ない小鳥とのコーラスか。でもどれがメロディだか判んなくなるなあ」
美鶴も言った。
「始まりと終わりも判んないよね」
しかし茜は妙に感心していた。
「鳥の囀りかあ。新感覚だよね。音階に捉われない音楽。でもさ、鳥の声も求愛とかいろいろ違うんでしょ。感情表現のメロディだよね。バードウォッチングでよく聞かなきゃ」
「だけどそれってオーディエンスには説明しなきゃ判りませんよね」
美鶴は茜が妙に乗気なのが不満だった。鳥って言うなら私だって名前に『鶴』が入ってるんだ。茜さん、もうちょっと私を気にかけてくれてもいいじゃない。なんだか文だけがセンターみたい。涙出ちゃうよ。美鶴はワインを飲みほした。
「美鶴さん、そろそろアルコールストップで、デザート行きましょうよ。ジェラート来ますから」
「うん」
茜も雲行きを察知した。
「美鶴、コース以外にさ、ザッハトルテ追加してるんだ。好きでしょ?チョコのスポンジ」
「はいっ」
茜さん、覚えてくれてる。美鶴の雲行きは急激に回復した。
その横で陸も心が微妙に動いていた。これまで茜さんって男勝りで荒っぽいけどぐーっと引っ張っていくタイプと思っていたし、実際、学生時代はそうだった。それがウィーンから帰ってからは、その合間に繊細な心配りが見えるようになったんだ。文ちゃんを連れてきたのもそうだ。三人の音の重なりにもう一条、高音のピッコロを混ぜる事でどちらかと言うと落ち着いたハーモニーだった僕たちのアンサンブルが、少し楽しげに、明るくなった気がする。ザッハトルテの手配だって、美鶴さんの気持ちを先に読んで、予め手配してたんだもんな。ボヘミアンとか言ってるけど結構フェミニン。歳上だけど、こういう女性ってなんだか憧れる。僕がリードした時、どんな反応になるんだろうか。
結局美鶴は崩れずに済んだし、陸は新たな発見をしたし、文は初めての経験をして楽しい打ち上げになった。茜もこのカルテットは上手くいきそうな感触をつかんだ。その勢いで茜は苦いイタリアンコーヒーを飲みながら提案した。
「それで、次は2ヶ月後位にレストランでやりたいんだ。7月の終わりかな。文ちゃんも夏休みだよね?」
文が頷く。
「じゃ、今度は文ちゃんも入れる曲を用意する。スコアも作ってね。だから試験前は別にして、週イチで練習に来て。美鶴も陸も一緒に考えてくれる?」
「はい」
二人は同時に答え、その視線は熱っぽく茜に注がれていた。