第4話 文の歴史
文は自分が失明した原因をよく知らなかった。珍しいケースで、医師も原因を断定できなかったのだが、そもそも文の目自体に障害があった訳ではない。文がヘルペス系の難病と診断されたことが発端だ。
この病気は自分の免疫システムが自分自身の正常な細胞を攻撃すると言われている。何故免疫システムが正常な細胞を正常じゃないと判断するのかは、タンパク質の構造との説もあるが定かでない。更にこの病気は網膜の静脈閉塞を引き起こす事があると言われ、網膜静脈の血行が滞った結果、視覚障害が起きた可能性が高いと説明された。病気の治療は行うが、その治療薬の副作用として網膜に異常が起こるという説もあるので、直ちに解決は難しい。医師は苦渋の表情を浮かべた。文が幼稚園へ入園する前の事だった。
それ以来、文の視力は急激に失われ、小学校では特別支援クラスに入った。ここでは通常の授業以外に概念形成訓練と呼ばれる「モノを触っていろんなモノを知る」訓練を受けた。元々勘が良く理解の速い文は、上々の結果を残し2年生以降は時々一人で通学できるまでにもなった。そして健常者クラスの子供たちとの交流も芽生えた。顔は判らないが、声や手の感触で友人を判別し、何名か仲の良い友人にも恵まれた。一つは文自身の、明るく、しかし出過ぎない性格が愛されたこともあるだろう。文の母も将来の心配は尽きないながらも、当面については少し安堵したものだ。文にとって、その中で忘れられない思い出は『文鳥』に関するものだった。
ある日、健常者クラスの友達の一人である優ちゃんが言った。
「ねえ、ウチに文ちゃんの小鳥がいるんだよ」
「え?私の小鳥?」
小鳥は幼い頃から絵本で見ていたので何となく想像できたのだが、自分の小鳥というのは解らなかった。
「今度さ、帰り道にウチに寄れたらさ、触れるよ。手に乗るんだ」
「ふうん」
手に小鳥が乗る!文には夢みたいな話に聞こえた。その日、文は早速母にその話をした。母は少し考えて
「うん、そうねえ。手に乗る小鳥はいるわねえ。フワフワして小さくてドキドキした感じよ」
フワフワ・ドキドキ。
文の胸も躍った。何としても手に乗ってもらいたい。文は学校で優ちゃんに頼んだ。優ちゃんは二つ返事で受けてくれた。優ちゃんの家は文の通学路とは違う方向だ。その日はお母さんが学校に迎えに来て、優ちゃんちに連れて行ってもらった。
小鳥の声が聞こえる。文が緊張して待っていると、優ちゃんの声が聞こえた。
「ピピ、こちら文ちゃんだよ。ほら、乗れるかなあ。文ちゃん手を出して」
優ちゃんはそうっと文の掌に小鳥を乗せてくれた。そしてもう片方の手を取って、小鳥を撫でさせてくれる。ホントだ。温かくて柔らかくてドキドキしてる。
「この子はね、文ちゃんの鳥なんだよ。文鳥っていう種類。ね、文の鳥って書くんだって。だから文ちゃんの鳥。名前はピピなんだけど」
名前の通り、その小鳥はピピピと鳴いた。そっかー、私と同じ名前の鳥なんだ。文の鳥か。
小鳥は文の掌でちょこちょこ動く。ピピピ・ポポポ・チュルチュル。可愛い声!こんな声が出せたらなあ。文は羨ましくなった。そのうちピピは飽きたのか、文の掌からパタパタッと飛び去った。しかし文の手には少し重いけど軽い文鳥の感触が残り続けた。
その経験以来、文は文鳥の可愛い声を自分でも出してみたくて仕方ない。でも真似してみても全然似ていない。特別支援クラスの音楽の授業で習うリコーダーでも吹いてみたがやっぱりちょっと違う。そんな時に次の出会いがあった。
ある日音楽大学の学生が特別支援クラスを訪問してくれたのだ。楽器を演奏し、一緒に歌う音楽の授業の一環だった。文たちが座っていると前の方から様々な楽器の音色が聴こえる。幾つかは習った音だ。例えばタンバリン、ピアノ、ギター。学生たちは文たちが習った曲を幾つか披露し、それに合わせて文たちは歌った。リコーダーを吹いた曲もある。目が見えない分、聴覚が敏感になるのか、音楽が好きな児童は多く、楽しい時間だった。
「最後に、クラシックをやりますね」
学生は言っていろんな楽器での合奏を行った。トランペットやヴァイオリン、知らない楽器も多かった。その中に文は心を射抜いた音があったのだ。
あれだ!文鳥の声。あれならそっくり。文鳥の声が出せる。演奏が終わってから文は手を挙げて学生に尋ねた。あの、高い音の笛は何ですか?
えっと、どれかな?学生は管楽器を順番に鳴らしてくれた。それです!それ、何ですか?
ああ、これはピッコロだよ。フルートより高い音が出せるんだ。
文は心躍った。ピピの声が出せる楽器は『ピッコロ!』
学生は親切にも文にピッコロを触らせてくれた。文にピッコロを持たせてマウスピースに口を当てさせる。学生がピッコロの角度を変えながら、
「口を横にニュッとして、そのまま真中から息を強く出してごらん。うんうん、そんな感じ。ちょっと動かすよ」
♪ ピーィ ♪
「出た!」
「そうそう、凄いね、すぐに音が出たね。なかなか出来ないんだよ、これが」
文はすっかり嬉しくなった。これで文鳥の声出せるよ。帰宅した文は早速、母親にピッコロをねだり、実際に習い始めた。通うのは大変だったので、母親は先生が自宅に来てくれる手配までしてくれた。楽譜は点字訳にしてもらい、なぞって勉強しながら文は毎日吹いた。小学校3年の時の話だ。文は次第に上達し、小六の時には発表会にも出た。目の前がぱあーっと明るくなる舞台で、文は『君をのせて』を吹いた。他の子たちは「緊張するー」とか騒いでいたけど、文は少し明るいだけでいつもと変わらず特に緊張もせず、その結果、大きな拍手をもらった。文は益々ピッコロが好きになった。
文は中学から一般の中学校に通い始めた。概念形成訓練も一通りやったし、このまま盲学校に通ったのでは思い切ったことができないと感じたからだ。一生引っ込み思案は嫌だし、将来はピッコロを吹く仕事をしたいと漠然と思っていた事もある。盲学校に行ってしまうと職業だって限られる気がしたのだ。だが普通の学校は大変だった。歩いて通えるものの、通学には親が付き添い、授業には補助教員が付いてくれた。教科書は点字版が用意され、理科の実験や体育や美術は別課題が用意されることもあった。
補助教員の先生は、大学を出たばかりの美方 歩先生で、女性だったことから文はいろんな意味で心を開くことができた。美方先生もいきなり未経験のミッションに大きなプレッシャーを感じていたのだが、何につけても理解の速い文だったから結構助かっていた。しかし、見えない所で苛めはあった。持ちものが隠されたり、一人だけ知らされなかったりという事があった。そんな時、担任の先生以上に美方先生は激怒した。男子生徒でもお構いなしに叱りつけた。
「卑怯者は大嫌い」
これが美方先生の口癖だった。そのせいで生徒たちはこっそり「正義のミカタ先生」と呼んだりしていたのだ。
しかし肝腎の文は、のんびりしていた。見えないせいで苛めの実感が湧かない。苛める方も面白くないでしょ。文は美方先生にそう言って、美方先生の涙腺をゆるめたりもした。
中2からは文は一人で通学し始めた。天候次第ではあったが、元々幼い頃には知っていた場所だ。交通量の少ない道を選んで、白い杖を持って一人で歩いた。時々クラスメイトが付き合ってくれた。一人点字版で試験を受けるとは言え授業でも積極的に手を挙げて答え、成績も良い文にクラスメイト達も一目置き始めたのだ。文が美人でブルーの義眼と言うこともあったのかも知れない。
そしてクラスメイト達は、目が見えないことはさほど勉強の支障にならないことも学んだ。美方先生はこれを殊の外喜んだ。文ちゃんが築いたものよ。先生はそう言ってくれたが、マイペース型の文はあまり気にしなかった。
文はピッコロは続けていた。中学からは先生に習うのをやめ、POPS等を聴いて覚えて気儘に吹いていた。吹奏楽部にという話もあったのだが、都度楽譜を点字訳する手間を気にした文が断った。しかし唯一卒業式の後での謝恩会で、文は皆の前でピッコロを吹いた。ピアノ伴奏は美方先生がつけてくれて文は『花は咲く』を綺麗に吹いた。保護者席で文の母はもう涙が止まらなかった。
そして文は普通科高校へ進学した。通学の便や校内設備のこともあり、担任の先生も美方先生も市立高校を勧めてくれた。成績的には問題なく、点字版の入試も難なく突破した。高校でも新たに補助教員がつく筈だったのだが、結局やって来たのは美方先生だった。
「なんだか揉めてたみたいだったから、そんなだったら私やりますって手を挙げたら通っちゃったのよ」
先生は笑って言った。文にとっては安心この上ない話なのだが、美方先生はそれで大丈夫なんだろうか、文は密かに心配した。
難関は初めての電車通学だった。視覚障害者が駅のホームから転落する事故も多い。地元の駅にはホームドアなんてある筈もなく、流石の文も最初は母について来てもらい、緊張して電車に乗った。1週間もすると文は慣れ、3週目からは一人で通い始めた。鉄道会社のスタッフが思ったより親切で、気にかけてもらえることも解ったため、母も安心したのだ。母は駅スタッフが常駐している場所を探り、そこで乗り降りするように文を躾けた。高校のクラスメイトは最初は文を奇異の目で見ていたが、同じ中学から来た友人がいたため、文のことも上手く繋いでくれた。まあ何とかなりそうだ。文も少し安堵して、また中学の時のようにピッコロを再開した。そんな時に出会ったのが茜だった。