第2話 オケ始動
オーディションは気楽に受けられた。審査員には見知った先生も多く、「おや、三沢さん戻って来るの?」とか「向こうでの噂も聞いてるよ」とか数々声を掛けられた。更に、自分の番が終わりホールのロビーを歩いていると大学の後輩にも出会った。
「あの・・・茜さん・・・ですか?」
「おお。美鶴じゃない。あんたも受けたの?」
「はい。近場では滅多にないチャンスなので。茜さん、髪、切ったんですね。って言うより茜さん帰って来たんですか?」
「まあね。ちょっと里心ついちゃってさ。でも髪は本場のボヘミアンよ」
「はあ、さすらいの茜さんって感じです」
「有難う。褒めてもらったと思っとくわ」
相良 美鶴は2歳年下なだけだが学生時代からやたら茜に纏わりついていた。クラリネットの技術はピカイチであるものの、何だか気弱な妹みたいでそれなりに可愛がってきたのだが、時々面倒にもなった子だ。
「ほんじゃ美鶴、受かったらまた飲みに行こう」
「はい」
茜が大股で歩み去る姿を、美鶴は見つめ続けた。帰って来てくれたんだ、茜さん。私のため・・・な訳ないか。百合系コミックをこよなく愛する美鶴にとって、まさに茜は憧れの人だった。もしや、チャンスが巡って来た?二人とも受かればきっと新たな扉が開く。少しドキドキしながら美鶴もホールを後にした。
そして茜と美鶴は合格した。このオーケストラは音楽好きの市長が音楽の都にしたいと意気込んで創設した新しい楽団で、編成は1管編成と呼ばれる小規模なものだ。フルートとクラリネットはそれぞれ定数1。
茜と美鶴はそれを見事に射止めたわけだ。狭き門だったが、茜は留学中でも休みの都度帰国して、地元の小さなホールでリサイタルを開いていたので知名度も手伝ってくれたのかも知れない。
総勢二十数名の中には美鶴以外にも音大の後輩が居た。ヴァイオリンの佐藤 陸だ。初めての顔合わせでぎこちなく挨拶した陸は、学生時代とは打って変わって髭を蓄え、細っこい身体に威厳を持たそうとしているようだった。
オケは月に一度の定期演奏会に不定期の出張演奏会が主な活動だった。給料は出るけど呆れるほど少ない。これじゃやっていけない。ゲネプロの帰り道、茜は美鶴とお茶しながらぼやいた。やっぱバイト探さなきゃ。
「茜さん、私が行ってる『大人の音楽教室』、ちょうどフルートの先生に欠員出そうですよ。出産の人がいるんで」
「え?そうなの?取った!その口」
茜はカップを持ったまま叫んだ。
「そこって佐藤クンも来てるんです」
「へえ」
茜は美鶴の計らいもあって翌月から音楽教室の先生の座をゲットした。素人相手だから大して難しくなかろうと思っていたのだが偏屈な高齢者も多く、機嫌とるのは結構大変だった。なんで『お客様の気持ちになって』なんだかねー、芸術はそう言うものじゃないだろ。茜はボヤいたが背に腹は代えられない。
「ね、美鶴。陸も入れてリサイタルやろうよ。知りあいのレストランのオーナーさんがさ、帰国の挨拶に行った時にさ、たまに店でライブやってよって言ってたんだ。夕食付きの有料でさ、半額をくれるって。えっとだから半額の1/3ずつ入るよ 一席2,000円として300円位だけどテーブルとカウンターで30席位はあるらしいから一回最大10,000円。交通費引いても悪くはないよね」
オケの練習は基本、本番前の2,3回だからプロである茜たちにはそれ程負担ではない。寧ろ出張演奏会の方が移動時間は取られるし交通費も自分持ち出しで大変だった。『大人の音楽教室』とスケジュールが重なったりしたら代行を依頼しなくてはならず、気は遣うわ収入は無くなるわできつかった。しかし、この道と決めて歩き出した芸術家だから文句は言えない。半年も経つと段々身体も慣れてきて、美鶴たちとのリサイタルも軌道に乗り始めた。