第17話 陸のプレゼント
9月になった。最初の練習日、文は少し気が重かった。ピイが美鶴さんに噛みついて以来、やはり美鶴さんには好かれていない気がする。特段何かされる訳ではない。だがドライだった。演奏では淡々と相手してくれ、それが余計にプレッシャーになっていた。今日はみんなオケの個人練習だから文にはやることがない。美方先生と約束した曲の練習でもしようか。
「こんにちは、お疲れ様です」
文は練習室の扉を開けた。茜が床でゴロゴロしている。
「おう文ちゃん。文ちゃんって旅行とか行くの?」
「え、旅行ですか。行ったことはありますけど」
「家族と?」
「はい。中学の修学旅行は駄目でした。家では父の車で行きます」
「海とか行ったことある?」
「ええーっと、あると思いますけど小さい頃なので覚えてません」
「そっか」
「何ですか?」
「んー、後でね」
間もなく全員が揃い、それぞれが楽器を取りだし、譜面立てを立てたところで茜が言った。
「今日はみんなにサプライズがあります」
陸は期待の目を向けた。
「お、目がキラキラしてるね!そう、リゾートリサイタルだよ」
「演奏旅行ですか?」
美鶴が聞く。
「まあね。私の知り合いで、南房総でレストランやってる人がいるんだけどね、そこで二日ほどライブやってくれないかって聞かれてるんだ。南房総って海が近くてさ、なかなかいい感じなんだよ。泊まるのは海辺のペンション。レストランだから食事付いてるし、しかも交通費まで持ってくれるって。こんな美味しい話って滅多にないよ」
今度は陸が聞いた。
「いつですか?」
「10月の終わりなんだ。金・土・日で、金曜日と土曜日の夜に演奏。後はフリー。文ちゃんも来れるかな?」
文は自分は無関係と思っていたので慌てた。
「え?いいんですか?」
「勿論よ。カルテットなんだから。でも平日入るから学校休まなきゃなんだけど」
「はい、聞いてみます」
「じゃ、そういうことで、演目とかはこれから考えるからさ、取り敢えずスケジュール入れといてね、あ、レストランはね『ホークアイ』ってお店だよ。お洒落なイタリアンでネットにもたくさん出てるから見ておいて。じゃ、始めようか」
オケの三人は時々合わせながら定期演奏会の練習、文はその合間に一人でピッコロを吹いた。
「陸、今日、音変だったよ。弓弱ってんの?」
練習が終わり楽器を片付けながら茜が陸を振り返った。陸は「あの」とか言いながら茜に近寄って袖を引っ張った。
「ん?なに?」
陸は少し緊張して、小声で言った。
「あの、今度は僕からサプライズがあります。確か茜さん、もうすぐお誕生日ですよね」
陸はそっと小さな包みを茜に手渡した。
「へえ!何々?開けてみていい?」
「はい」
茜がガサガサ包みを開くと、羽根のようなものが見える。ほ?フェザー?
「本当にサプライズなものだ!有難う、陸」
茜は顔を綻ばせた。が、内心は戸惑った。
『これって何?聞くのは悪いし、後でゆっくり見るか・・・』
実は陸はボヘミアンファッションのフェザーピアスをプレゼントしたのだ。そしてタグ用紙には『好きです』と書いてあった。伝えたい、でも恥ずかしい、髭面には似合わない迷った挙句の奇策だったのだ。気づいてくれるかな。
茜はスマホを取出し文に声をかけた。
「文ちゃん、さっきのリサイタルの件、今日の帰りにお母さんに話するからさ、一緒に帰ろう。でもその前に向こうに返事するから先に廊下に出てるね。ほんじゃおっさきー」
茜はスマホを触りながら出て行った。文も後に続く。
その姿を見送った陸は大冒険をした気分だった。僕のメッセージ、伝わるかな。どんなリアクションだろう。茜さんの事だ。一気に進展するとは思いにくいけど、『じゃあ今度は私がお礼するよ。一緒にご飯でも行こっか』多分そんな感じだろうな。それでさっき言ってた南房総だ。リゾートって言ってたっけ。リサイタルの後で告るか…。
都合の良いストーリーを描いている陸の肩を美鶴がポンと叩いた。
「ちょっといい?」
「なんすか?」
「お節介かも知れないけど、望み薄よ」
「は?」
「だって私見たんだもん」
「何です?」
「茜さん、本命は文よ。先月ここでさ、床で抱き合ってたの。私がちょっと早く着いちゃったからね、お邪魔だったみたいで。もしかしたらキスしてたところだったかも」
「キ・キス?」
美鶴は頷いた。陸は動揺した。
「ホントですか?それ」
「こんな嘘はつかないよ。正直、私も茜さんに憧れあるけど、文のあの若さにゃ勝てないよ」
陸も茜と文の事は少し考えたことはある。しかし現実になっているとまで思っていなかった。
「ま、勝負するかどうかは陸次第よ」
そう言うと美鶴も練習室を出て行った。マジかよ。残された陸は一転モヤモヤに包まれた。こういうジェラシィってありなのか?
一方、その茜は廊下の端っこで電話をかけていた。
「あ、鷹野さん?三沢です。10月終わりのお話、オッケイです。うん、えっと、カルテットなんだけど一人が高校生だから、学校の都合聞いてみるって。だからもしかしたら3人だけど。あ、はいはい、結果はまた電話します。じゃ細かい事はメールでお願いしまーす。有難うございまーす」
これでよし。茜は文を引率して文の自宅に向かった。ピイを届けて以来だ。文の母は速攻で了承してくれた。公民館でのリサイタル以来、茜は信頼を置かれている。高校はなんとか休めるだろうとの事だった。
「ついでにピイの顔、見てってもいい?」
茜は文の部屋へついて行ってピイと対面した。
「やっほー、ピイ、茜だよ。判るかな?」
茜はピイと遊んでいるうちに、陸に貰ったフェザーを思い出した。
「そうだ。陸からバースデイプレゼント貰っちゃったんだ」
「へえ、茜さんお誕生日ですか?」
「うん、もうすぐね。これ。これなんだけどって文は見えないよねえ。フェザーなんだよ。針がついてる。あ、釣りに使うやつか。聞いた事ある。これで魚をおびき寄せるって言ってたなあ」
茜はフェザーを取り出してそっと文に触らせた。その時、タグに何か書いてあることに気が付いた。ん?
『好きです 陸』。
ほぉー、陸は釣りが好きなのか。そっか。だけど生憎私は釣りに興味ないしなー。変なもの貰っちゃった。
茜はしばらくフェザーを振り回していたが、ふとそれを追いかけるように首を回しているピイに気が付いた。
「そうだ、文!これさ、ピイの鳥かごに入れてあげて。ピイ遊ぶかもよ。丁度ほら、カゴに引っ掛かるようになってるし」
「はい。よく判んないですけど、せっかく頂いたのにいいんですか?」
「だってさ、これって釣りの道具なんだよね。陸の趣味みたいなんだけど、私、釣りは駄目なんだー。同じ場所でじっとしてるなんて考えられないし、これ気に入ったとか言うとさ、陸が『じゃ一緒に行きましょう』って言うの目に見えてるじゃん。同じ場所でずっと陸の愚痴聞くのなんて耐えらんないよ」
「はあ。それだったら頂いておきますけど」
「じゃ、入れてみるね。ピイごめんよ、お邪魔しますよ。二つあるから、こっちとこっちに引っ掛けてと。ピイ、食べちゃ駄目だよ。フワフワなるからこれで遊んでね」
ピイはそうっと近づいて嘴で突っつきだした。
「ふふ、早速遊んでるよ。じゃ、私はこれで帰るわ。また来週ね」
「はい、有難うございました」
外に出てから茜は再び電話を掛けた。
「もしもし、三沢です。鷹野さん?カルテットでオッケイになりました。はい。あ、でもね、その高校生の子ってね、目が見えないんです。勿論ちゃんと付き添っていきますから心配要らないけど。うんうん、そうそう、努力家だよ、いい音出すし。あ、そうだ。鷹野さんと共通の趣味があったわ。文鳥飼ってるんですよ。慣れてて肩に留まったままピッコロ吹いてるんですよ。そうそう、そんな感じ。え?マジ?はい、多分大丈夫と思うけど。きっと喜びますよ。荷物はね、楽器は送っちゃうからカゴ位持てると思いますよ。練習にも連れてきたことあるし。はい、了解でーす。あざっーす。じゃ」
よーし。ピイも初旅行だ。茜はにんまりした。我ながらGood-Jobだよ茜。