第15話 百合事件
夏真っ盛り。蝉が街路樹で鳴きまくっている。文はピイのキャリアカゴを持って早めに練習場へやってきた。今日は家族がいないのでピイのためにエアコン付けっぱなしも勿体ないと思って連れてきたのだ。
すっかり慣れた音楽教室のドアを開ける。受付の人も馴染みになった。紙袋で覆ったピイのカゴも大目に見てもらっている。
「さ、ピイ、みんなが来るまで自由でいいよ」
文はピイをカゴから出した。練習開始まで30分あるのでそれまでは一人で吹いて、ピイを散歩させる。ピイは好きに飛んでいた。窓辺に行ったり文の肩に留まったり。しばらくしてドアが開いた。
「おっつかれー、暑いねえ、やってらんない」
茜だった。
「茜さん、お疲れさまでーす」
「お、ピイも遊んでるのか。慣れて良かったねえ」
よっこらしょ、茜が荷物を下ろした時、何かが床に飛んだ。バックについていたアクセサリのチェーンが切れ、小さい実のようなものが散ったのだ。ポトポトン、小さな音がした。文は音には敏感だ。ん?茜さん、何か落ちましたよー。
文は立ち上がって音が聞こえた方へ歩きかけた。同時にピイも床の実に気がつき床に舞い降り、ピョンピョン飛んで実に近づいた。
「うわ、文!危ない!!」
「え?」
茜が文に飛びつく。
「ピイを踏んじゃう!!」
二人は抱き合った形でそのまま床に転がった。驚いたピイは瞬時に飛んで難を避けた。
咄嗟の出来事に文は声も出ない。茜も文を抱き締めたまま硬直した。
目の前には文の顔、キスできそうな距離、きれいな唇・・・、ブルーの瞳が潤んで光る。茜の気持ちは一瞬高ぶった。
ガチャ。
丁度その時ドアが開いて美鶴が顔を出した。
「あ!」
慌てて閉まるドア。その向こうでは美鶴が胸に手を当ててドキドキしていた。なに?今の。何なの?今のは。茜さん?
茜は我に返って腕を緩め文を起こす。
「ごめんごめん、飛びかかって襲っちゃうとこだったよ」
「いえ、ピイ、逃げましたか?」
「うん、大丈夫、ピイもびっくりしてるよ、窓のところで」
茜は言いながらドアを開けて廊下を見渡した。すぐ脇で美鶴がじっとしている。
「悪い悪い、美鶴。変なとこ見られちゃった。早く入りなよ、ピイ危機一髪でさ」
その言葉は美鶴を素通りした。美鶴は茜の顔を伺うと、隙間から練習室に潜り込んだ。ちょうど文がピイをカゴに入れる所だった。
「すみません美鶴さん、邪魔しないようにしますから」
言いながらカゴに紙袋を被せている。
美鶴はまたそっと茜を盗み見る。さっきのは何だったの?確かに二人は床で抱き合っていた。殆ど唇が触れ合わんばかりに顔を近づけてた。文も上気した顔だったような気がする。茜さん、何もない筈ないじゃん。私は見たんだよ。今日は少し早めに着いたから、だから見てしまったの?本当はいつもの事なの?申し合わせて早めに来て、誰も来ない部屋で、いつものように・・・。美鶴の想像はコミックのストーリーを超えてどんどん膨らんだ。
その日、美鶴は練習が終わると何も言わずさっさと帰ってしまった。
「ありゃ、美鶴、愛想無いねえ今日」
茜がぼやく。陸も
「何だか音が死んでましたよねえ」
「夏バテかなあ」
茜は呑気に呟いた。