第12話 張り合う
文の期末テストも終わり、月末のリサイタルに向けて練習にも熱が入って来た。茜は文のためにスコアを点字訳してくれた。クラシック曲なら既に点訳されたものも多数ある。しかしピッコロパートのスコアなんてある筈もなく、茜はスコアを作る所から始めなければならなかった。
作ったスコアをどうやって点字にするのか。茜はネットで調べまくってようやく探し当てた。専用のシステムもあるようだが、今回は翻訳者に頼った。音符はドットのマトリックスで表すが、その前後に速度記号や臨時記号なども入るため、なかなか構造が難しい。翻訳者はデータ化してくれ、転字用プリンターで凸凹をつけて印刷し、データもくれた。専用のエディターソフトで見られるらしい。茜には全て初めての事ばっかりだった。
文はそのスコアを使って練習していた。メロディを担当する曲は2曲、伴奏を担当する曲もあるが、こちらは耳コピでやる。久し振りの本物の音楽だ。自宅でもピイの前で同じフレーズを吹き続けた。美鶴と陸も練習に熱が入った。文が加入し、プロ意識が刺激されたこともある。しかし別の意味での競争心もあったのだ。それは文が学校行事で練習に来れず、茜も遅れて練習室には陸と美鶴だけの日に判った。
「美鶴さん、前から思ってたんですけどファッションが茜さんっぽくなってますよね」
「何よ。悪い?」
「そういう訳じゃないですよ。へえって感じ。イケメンには興味ないのにそっちには嵌っちゃうんですねえ」
陸は笑ったが美鶴は面白くなかった。茜への想いを茶化されてる気がする。
「そういう陸だってミサンガなんてつけてるじゃん。弓持つのに邪魔じゃないの?」
「これはお守りって言うか願掛けみたいなものだから、邪魔とか言うとバチ当たります」
「へーえ、何の願掛け?」
「言えませんよ。口に出すとパアになりそうだし」
「だってその色、気になるよ」
「美鶴さんの時計と似てますもんね。被らないよう濃い目の色を選んだんだけど」
「誰さ、想い人?」
「だから言えませんって」
その時遅れていた茜が到着した。
「ごめんごめん、ぼーっとして電車やり過ごしちゃった。急に暑くなると身体がついてけないわ」
茜は荷物を降ろしタオルを取り出した。それを見て陸が素早くペットボトルのミネラルウォータを手渡す。
「冷やしておいたんで、まだ冷たいです」
「あら有難う。陸、気が利くねえ。髭面に似合わなーい」
キャップを開けて一気に飲む茜を、陸はじっと見ていた。そしてその陸を美鶴はじっと見ていたのだ。もしかして陸のそのミサンガ、相手は茜さん?突如起こった黒雲のような予感を美鶴は追い払うことができなかった。
「さ、始めるよ。文のメロディは私が代わりにやるからね」
三人の練習が始まった。しかし美鶴は一度抱いてしまった心境がそのまま練習に現れた。どうしても息が強くなる。まさか、あの陸が、陸がずっと歳上でボーイッシュな、それにこの頃自称ボヘミアンな茜さんを好きだって? 嘘でしょ。陸の好みは文のような大人しい静かな子だとばかり思ってた。陸以上に大人しくて庇ってあげたくなる、そんな子が好きだと思っていた。それがいつの間にそんなことになってるの?なってるのよ!
茜が音を止めて叫んだ。
「ちょっとクラ!そんなに出てどうすんの?」
「すみません・・・」
「ベース部分なんだから、しっとりやってよ。はい、もっかいやるよ」
美鶴の温度を陸も感じていた。美鶴さん、ヤケになってる?先程の会話が蘇る。男に興味ない美鶴さん。茜さんの影響が出ているのは明確だ。しかし、茜さんがそう言う相手をするとは思えない。思えないよな?だって茜さんはどちらかと言うと文ちゃんみたいな歳下のコが好きなんじゃないのかな…、ん?美鶴さんも歳下だ。学生時代からずっと茜さんの後を追いかけてた。子犬のように追いかけてた。茜さんが帰国しても追いかけて、で、とうとう抱っこされたんだ。一緒に組んでやるってそういうことかい? 陸の弓も上ずった。
再び茜が止めた。
「ストップ!陸もギンギンに擦らない!蝉の合唱じゃないんだよ。メロディなんだからね。二人ともどうしたのよ。あんたら音大出てるんでしょ?ちょっとは文を見習いなよ。独学なのに落ち着いたハイトーンやロングトーン出してたでしょ」
美鶴と陸は気まずく黙り込んだ。