第10話 懐かない
それはまさしく攻防だった。ピイの姿を見たこともない文と、そんなこと知ったこっちゃないピイ。元々は誰かに飼われていたに違いないピイなのだが、どこでどう育ったのか見当もつかない。更に若浦家は小鳥を飼うのが初めてと来ている。まずWEBで文鳥の飼い方を片っ端から調べた文の母は、ピイをカゴから出す「放鳥」は、ピイが文に慣れるまで延期した。運動不足になるかも知れないが仕方ない。
「いい?文。文からご飯を食べさせてあげるのよ。ピイに文からじゃないともらえないって解らせる所からスタートよ」
母は厳かに宣言した。幼鳥から育てる場合は、ご飯をくれる人が飼主さんと認識し、慣れていくのだが、ピイの場合は途中で飼主が代わっているから新たに認識させねばならない。通常、文鳥の餌はカゴに入れっぱなしにして毎日交換するようだが、最初は文が入れたり出したりした。また母に見てもらいながら青菜をカゴに差し入れ食べさせもした。ピイも流石に最初は仕草も堅かったが、お腹が空いたのか、そのうち文が餌をいれるとすぐに来てついばむようになった。文もその音を聞いて覚えた。
文は餌をあげる時、水を取り替える時などカゴの扉を開けて何かするときは必ず声を掛けるようにした。ピイは最初から「ピイ」とか「チイ」とか鳴いていたが、段々慣れて来たのか、文がいると「ピイピイ チイチイ チッチ」と鳴き声も徐々に長くなってきた。更に文がピッコロの練習をすると、合わせて鳴くことも出てきた。
一週間が経ち、文の母はそろそろ潮時と感じた。
「文、ピイをカゴから出してあげて」
「え、出すの?大丈夫かな?」
流石に文も不安だったが、餌を載せた掌をカゴに入れるとピイは難なく文に捕まり、初めて文の部屋の中を飛んだ。文は耳を澄ませ、ピイの居場所を確認する。母も、今カーテンの上 とか教えてくれる。鳴いてくれると判り易いがいつもそうとも限らない。そのうちウンチがポトリと落ちて来た。
「あらー、文、ピイが爆弾とした!」
「爆弾?」
「うん。あんたの枕の上に命中」
「なになに?」
「神聖なウンチよ」
「ええー!」
「オムツする訳に行かないからね。仕方ないってあちこちに書いてるの。だから座る時とか気をつけてね」
「えー、どう気をつければいいのよ」
「そうねえ、匂いを察知! しかないかなあ」
「ムリ!」
その間もピイは珍し気にあちこちをパサパサ飛び回る。
「お母さん、ピイをどうやってカゴに戻すの?」
「いい質問ね」
「初めから気になってたよ」
「難しそうね」
「ええー?」
「文の掌にピイが来たらそのまま戻せばいいと思ったけど、来ないわねえ」
結局その日は青菜を掲げてピイをおびき寄せ、まんまと引っ掛かったピイはピイピイ鳴きながらカゴに戻された。
そんな攻防が2週間繰り返されたある日。放鳥したピイがどうしても戻らない。青菜もフルーツも試したがピイは知らんぷりで飛び回った。
「どうしよ、お母さん。お母さんが網で捕まえる?」
「そんなことしたらピイはずっと怖がって網を見ただけでパニックになるよ。そもそも網なんてないでしょ」
「だよね」
「取り敢えずピイを落ち着かせるためにピッコロ吹いてよ。眠くなるような曲。居眠りしたらチャンスだよ」
「うーん。そんな上手くいくかなあ」
文は半信半疑ながらピッコロを吹き始めた。するとピイがカーテンレールの上で落ち着いて聴いている。時々合いの手をチッチと入れる。文はなおも吹き続けた。ピイはカーテンレールから飛んで降り、文の肩に留まった。頭を動かし尻尾を振って、まるでリズムを取っているようだった。文がピッコロから口を外すとピイは文の手に乗り移った。そしてそのままカゴに送還された。
「なるほど。ピイはピッコロ好きなんだ。文が吹くのが好きなんだよ」
母は断言した。以来、文は青菜を振りかざすことなく、ピッコロを吹くだけでピイをコントロールできるようになった。
「まるでハーメルンの笛吹きねー」
母は感心した。一方で文も喜んでいた。ピイが飛んできて肩に留まる時の軽いショックと重さ。時々鳴いて合奏してくれる。これって小さい頃から夢見ていた『文鳥とのコーラス』の始まりなんじゃないの?
そのうちピイは放鳥の時、ピッピッと鳴いてピッコロを催促するようになった。文がじらしているとキュウンと淋しそうな声になる。ピッコロが始まるとピイは文の肩に留まる。腕や手に留まることもあった。
文は時々母とピイと一緒に庭へ出た。ピイは庭の木々を飛び回り、文の元に帰って来る。どこで見つけたのか芋虫をくわえてきて、文の母を絶叫させたこともあった。遊び終わるとピイは文の肩に戻りピッコロを催促する。体育の次は音楽ね。文は言いながら部屋へ戻ってピイに笛を聴かせるのだった。
ピイを引き取って1ヶ月。ついにピイは文の相棒となった。