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魔法道具店のラプンツェル  作者: 栗栖ひよ子
第四話 シャル先生の魔法レッスン
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はじめての授業

 リルがこの家に来てから、一か月が過ぎた。春の香りを運んでいた風には新緑の気配が混ざり、畑の野菜たちも初夏に向かってぐんぐんと手足を伸ばしている。

 リル自身にも、植物たちのような変化があった。目線がいつの間にか高くなって、骨の浮き出ていた身体もやわらかな丸みをおびてきた。「三本の針」で仕立ててもらった服も、ゆるかった胸元や腰まわりがだんだんと身体に沿うようになってきている。マダムの言っていたことは本当だったんだな、と思う。鏡を覗くたびに、驚きと、ちょっとずつ大人に近付いている嬉しさを感じていた。


 身体だけでなく、家の中でのリルの役目も大きくなった。リオにみっちりとしごかれたおかげで料理のレパートリーも増えたし、掃除と洗濯も手早く丁寧にできるようになった。

 午後は先生と魔法道具のアイディアを出したり、お店のレイアウトを変えたり。先生のかわりにお客さんを接客させてもらうことも増えてきた。


 魔法道具店シャルルの扉も毎日誰かが叩くようになり、自分で編むみつあみにも慣れ、家の中もなんだか活気づいてきた、ある日のこと。


「リル、そろそろ魔法の勉強をはじめよう」


 とシャル先生が言った。

 実は今まで、魔法については何も教わっていないままだった。毎日、家事をして、お店の手伝いをして。空いた時間には、なるべく書斎の本を読むようにしていた。今は児童書程度の読み書きしかできないが、いつかちゃんと難しい本も読めるようになりたい。

 そんな日々に慣れてしまったから、もう魔法については何も触れないのかと思っていた。もしかしたら先生は、リルの心と身体の準備が整うのを待っていてくれたのかもしれない。

 シャル先生に誘導されて、庭の拓けた場所まで歩く。見慣れたはずの先生の背中は、今日はなんだかいつもよりも大きく感じた。


「リル、大丈夫? リルはもしかしたら、魔法が使えることは忘れていたいのかと思ったんだ。君は……、魔法にあまりいい思い出はないと思うから」

「そんなこと、ないです。わたし、ちゃんと魔法が使えるようになりたいです」


 できることが増えれば、お店の――先生の役に立てることも増える。


「そうか、良かった」


 シャル先生は、ほっとしたように微笑んだ。


「自分の力はね、きちんと把握しておいたほうがいいと私は思うんだ。使い方を知らないということは、使い方を間違う可能性もあるということだから」


 穏やかな表情で、でも口調はしっかり“先生”のものだった。


「リルは、魔法使いについて、どういうものだと思っている? どうして人は魔法が使えるんだろう」

「……わたしの国では、生まれてくる前に悪魔と契約したから魔法が使えるようになった、と言われていました」


 リオには、嫌な気持ちにさせてしまうと思って打ち明けなかったこと。でも一人で抱えているには少しだけ重かったこと。いつかシャル先生に話してみたかった、先生になら話しても大丈夫だと思えるようになった。

 先生は顔色も表情も変えなかった。変わらず、穏やかな眼差しでリルを見ている。


「そうなんだね。リルは、自分が悪魔と契約したと思っている?」

「いいえ」

「私もだよ。そんな覚えはないし、どうやっても証明できないものなんて信じなくていいんだ。大多数の人がこうだと主張しても、リルは自分が正しいと思うことを信じればいい」

「はい」


 人は時に間違える生き物だから、と遠くを見ながら先生はひとりごとのように呟いた。


「自分の心に一番に従うことを、どうか忘れないでいて」


 胸に手を当てながら、先生は言う。リルも、自分の心臓に手を当ててみる。自分の心。みんなを大切だと思う気持ち。誰かの役に立つのが嬉しいという気持ち。そのふたつを忘れなければ、きっと何があっても間違えないでいられるはずだとリルは思った。


「悪魔も、神さまも関係ないなら、どうしてわたしたちは魔法が使えるのでしょう」


 魔法使いのいない国で、自分が魔法使いとして生まれた意味。今まで教え込まれていたことが間違っているのなら、どうしてリルは魔法使いに選ばれたのだろう。


「正直、私にも分からないんだ。もしかしたら、人が魔法を使えることに理由なんてないのかもしれない。でも――この力を持って生まれたからには、きっと自分には魔法で成すべきことがある、そう思っているよ」

「だから魔法道具店を開いたんですか?」

「そうだね。国とかそういう大きなものじゃなくて、本当に必要としている人に魔法を届けたいと思ったからかな」


 先生の想いが、人の役に立ちたいというリルの気持ちと同じ温度だったから、嬉しくなる。リルが魔法使いとして成すべきこと。それは先生の夢のお手伝いをすることかもしれない。そうだったらいいなと思う。


「リルの質問の答えにはならないかもしれないけれど、これから、魔法について私が学んだこと、見てきたものをリルに教えたいと思う。リルはマナ、という言葉を聞いたことがあるかい?」

「マナ?」


 知らない言葉だった。あの国では人々の会話にも、本の中にも出てこなかった。


「マナというのは、この世界のありとあらゆるところに存在する魔法の源みたいなものなんだ。そうだな……私たち魔法使いにとっては空気のようなものかな」

「空気、ですか」

「うん。自然、植物、生き物、人間……。すべてのものにマナは宿っている。自分に宿っているマナが大きい人が魔力を持ち、周囲のマナを集めて魔法に変えられる人が魔法使いとなるんだ」


 たとえばこういうふうに、と言いながら先生が手を振り上げると、周囲に風が巻き起こってリルのみつあみを揺らした。


「魔力を持っていても、魔法が使えないということもあるんですか?」


 自分に宿っているマナが大きくても、マナを魔法に変えられなかったら魔法使いにはなれないのだろう。たとえば、リルが練習しても魔法が使えないということもあり得るのだろうか。


「ごくまれだけど、そういう人もいるね。リルみたいに、魔力はあっても使い方を知らなければ、魔法を使わないで一生を終えることもある。そして、逆もある。自分のマナは生まれつき持っているものだけど、マナを使う能力は訓練することができるから、魔力は少ないのに魔法はうまく使えるという人もいる。魔力は生まれ持っての才能、魔法は努力、と考えると分かりやすいかな?」


 リルはもともと運動神経がそれほど良くはないが、昔近所の男の子にかけっこで負けたのがくやしくて、毎日走る練習をしたことがあった。結果、その子には勝つことができたのだが、先生が言っているのはそれに近いことなのかなと思う。


「自分に宿ったマナは、器に入った水のようなものなんだ。器の大きさは人それぞれだけど、上限を越えて使い続けると肉体は枯渇してしまうし、抑圧されると水が溢れてしまう。リルは塔を出てから、何か変化を感じなかった?」


 そういえば、あの日脱出した瞬間、身体が軽いと感じた。ずっと気持ちの問題だと思っていたけれど、もしかして。


「うん、それは結界が張られていた環境から抜け出せたからだね。私はね、リルがここに来てから成長期が始まったのも、結界の影響がなくなったせいなんじゃないかなと思っているんだ。結界が張られていたから、リルは周囲のマナを受け入れることができなかったし、自分のマナもうまく放出することができなかった。だからどんどんリルの中でマナが(よど)んでいったんだね」


 確かに、食べものだけの影響と考えるには、リルの成長は目ざましすぎている。一か月前より高い棚に手が届くようになったし、見上げていたリオとは目線が合うようになった。

 袖が余らなくなった自分の腕を見下ろして、思う。ここに来る前の自分は、窮屈な箱に入れられていた植物と同じなのかもしれない。遮るものが何もなくなって、思いきり深呼吸ができるようになった。安心して、手足を伸ばして眠れるようになった。

 結界の影響と先生は言うけれど、リルにはそれだけじゃないと思える。先生の家に来てからは、今まで感じていた息苦しさがなくなっていた。シャル先生がいなかったら、自分はこんなに楽に呼吸ができていない。


「先生、マナを見たり感じたりすることはできないんですか?」


 空気のようにいつもそばにあって、今まで知らないうちに影響を受けていたもの。でも、そう言われてもなかなかピンとこない。


「――リル、森の中に入ってみよう」


 先生について森の入り口に入ると、視界が急に薄暗くなる。木漏れ日が梯子のようにまっすぐ降りていて、大地に水面のような模様を揺らしていた。


「きれい……」

「この森はマナの濃度がとても高いんだ。リル、目を閉じて深呼吸してごらん。そのまま、指の先まで集中して」


 言う通りにすると、まぶたの裏に緑がかった金色の光が映った。びくりと身体を揺らしてしまうけど、


「大丈夫」


 と先生は手をつないでくれた。


「今の感覚を忘れないで、目を開けてみて」


 そっと目を開けると、森の至るところに、光の球が浮いていた。まあるくて、あたたかい、金色の光。


「すごい……」


 こんな美しい光景は見たことがなかった。触れてみようとするけれど、手の中で泡のように消えてしまう。夢中になって地面を見ないで歩いていたら、木の根っこに足をとられてしまった。


「リル、危ない!」


 転ぶ――と覚悟して目を閉じる。しかし、リルを受け止めたのは地面ではなくシャル先生だった。


「――大丈夫?」


 リルをすっぽり包み込む、広い胸。身体を支えてくれる、意外にたくましい腕。リルの首すじに先生の長い髪がサラサラかかる。


「……っ」


 同じようなことが、アークともあった。あのときは何も感じなかったのに、今はなぜか顔が熱くなってしまうのを止められない。


「間に合って良かった。足をひねったりはしていない?」

「は、はい」


 先生がリルから手を放そうとしたとき、離れないで、と思ってしまった。その瞬間、触れあっている場所からあたたかさが広がり、先生の中に光が見えた。強くて深い、翡翠色の光。太陽よりも輝いて、月の光よりも優しい。これがきっと、先生のマナ――。


「リル? どうしたの?」


 先生のマナに、無意識に手を伸ばしていた。途端、急激な眠気とめまいがリルを襲う。


「せ、んせい……」


 しまった、と思ったときにはもう遅かった。操り人形の糸が一本ずつ切れるように、身体の力が抜けていく。


「リル!」


 リルは先生の腕の中に倒れ込むと、そのまま意識を失ってしまった。

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