はじめてのお洋服
「本当に、いいの?」
大通りにはたくさんの出店が並んでいて、焼き立てのお菓子を売っている店もあった。カスタードパイや棒にささった飴、瓶に入ったりんごの炭酸水などを、アークは次々に買ってリルの腕に積み上げてゆく。
「おう、金ならシャル先生にたんまりもらってあるから、じゃんじゃん食え」
「でもそれは、アークさんのお給料なんじゃ」
「リル。俺に金の使い道があると思うか? せいぜいうまい肉を買うくらいよ」
そういえばアークは鳥だった。やっと人間の姿に慣れたのに、なんだか頭がこんがらがってくる。
「一度に食べ切れなかったら、持ち帰ればいい。ああ、この瓶に入った飴玉は保存食に良さそうだな――ほれ」
「アークさん、もう大丈夫だよ」
「そうか? リルが欲しがりそうなものがあったらいろいろ買ってやってくれって、シャル先生に頼まれているからな。何かあったら言うんだぞ」
「先生が?」
「ああ。自分がいると落ち着いて街を見物できないだろうからって、今回は俺にお役が回ってきたってわけだ」
「そんなこと、気にしないのに」
「シャル先生は気にするんだろうよ。目的の店まではまだ少し歩くから、焼き立てのパイは食べちまったらどうだ? 行儀は悪いけどな」
アークが山盛りの荷物をかわりに持ってくれたので、あつあつのカスタードパイにかぶりついた。さくさくの生地の中からとろっとしたカスタードが顔を出して、口の中をコクのある甘みで満たしてゆく。
「んん……っ!」
「そうか、うまいか。良かったな」
アークと連れ立って歩きながら、いろいろな出店をひやかしていく。小物やアクセサリーの店もあって目を奪われたが、買ってやるという申し出は丁重にお断りした。
「着いたぞ、この店だ」
リルのカスタードパイと棒つき飴がなくなる頃に、一軒のお店の前に着いた。看板には「テーラー・三本の針」と書いてある。
「なじみの店だから、緊張しなくても大丈夫だ。入るぞ」
アークが扉を開けると、カランカランというベルの音といっしょに、よく通るまろやかな女性の声が飛んできた。
「あらあら、アークちゃん! 久しぶりねえ! 今日はシャル先生とリオちゃんは一緒じゃないの?」
丸い身体を転がすようにして出てきたのは、人のよさそうな中年の女性。黒髪を頭のてっぺんでお団子に結いあげて、紺色のドレスにエプロンをつけている。
「ああ、今日はこいつの服を注文しに来た」
「あら、かわいい女の子! ……なんだか、シャル先生にちょっと雰囲気が似てるわね。アークちゃん、まさかこの子シャル先生の」
「娘じゃねえよ。新しい弟子だ」
「ああ、そうよねえ。びっくりした。シャル先生も、こんな大きい子がいるような歳じゃないものね」
「マダム、一応言っておくけれど、リルは幼く見えるけれどこれでも十六歳だ」
「十六……」
マダムは一瞬絶句したが、すぐに姿勢を正すとやわらかな微笑みを浮かべた。
「リルちゃんっていうのね。男所帯で大変でしょう。おばさんにまかせなさい、うんと可愛いお洋服を作ってあげるからね」
瞳の奥に気遣うような優しさが見えて、リルはあたたかい気持ちで頷いた。この女性になら、すべてを委ねても大丈夫だと思える。
「じゃあまずは、採寸ね。あっちの小部屋に行きましょう。アークちゃんは一応男だから、ここで待っていてちょうだい」
「一応ってなんだ。俺は男というよりはオスだが」
アークは文句を言いつつもソファにどかっと腰を下ろした。
「リルちゃんは、どんな服が好みなんだい?」
マダムは会話をしながら、目盛りのついた巻尺をリルの腕や腰、肩に沿わせていく。本当にサイズを測っているのだろうか、と思うほどの素早い動きで、魔法を見ているようだった。それとも本当に魔法なのかもしれない。人口の半分が魔法使いらしいけれど、見ただけでは誰が魔法使いなのかちっとも分からない。
「ええと、家事をするので動きやすい服がいいです」
「なら、エプロンドレスはどうかねえ。下に着るドレスもエプロンも何着か作って、自由に組み合わせられるようにするのさ。エプロンは、紐で縛るスタンダードなもの、半袖ワンピースタイプのもの、腰から下だけのもの……なんてどうだい? もちろん、ドレスはお出かけにも兼用できるように、単品で着てもおかしくないデザインにして」
「すてき……楽しそう」
「サイズを見た感じだと、サンプルに作ったドレスがちょうど着られそうだね。着てみるかい?」
「はい」
マダムが持ってきたのは、半袖の若草色のドレス。胸元にはくるみボタンが一列に並んでいて腰には切り替えがあり、ブラウスとスカートをセットアップで着ているようなデザインになっている。袖もひらひらしていて愛らしい印象だ。
「かわいい……」
「まだ肌寒いから、下に立ち襟のブラウスを重ね着しても合うんだよ。それも持ってきたから、一緒に着てみるといい」
身に付けてみると、リルの亜麻色の髪や瞳の色としっくり合っているような気がした。みつあみに結んでもらった翡翠色のリボンとも、まるで揃えたよう。だけど。
「ああやっぱり。リルちゃんは瞳の色が緑がかったヘーゼルだから、似合うと思ったんだよ。緑色は好きかい?」
「昔はピンクが好きだったんですけど、今は……」
シャル先生の瞳の色。自分で選んだリボンの色。身に付けていると、なんだか心があたたかくなる色。
「緑色がいちばん好きです」
「そうかい、それなら良かった。胸元や腰回りがゆるいし袖も余っているけれど、すぐぴったりになると思うよ。そしてこれはあたしの予備のエプロンなんだけど……」
縁にぐるりとフリルが施された、腰下だけのエプロンを巻いてもらう。
「うん、可愛いねえ。どこからどう見てもすてきなお嬢さんだよ」
姿見の中の自分が、自分ではないようだった。昨日からずっと見た目の変化が目まぐるしくて、どの自分もまだよそよそしい。この服はとても可愛いし、好きだと思う。でも、自分にこんな素敵な服はもったいないと思ってしまう。
「わたし、こんな服が似合うようなお嬢さんじゃ……」
「大丈夫」
不安な声でつぶやいたリルの肩を、マダムが支えるように叩いた。
「リルちゃんはいい女になるよ。おばさんが保証する。そんなにいい目をしてるんだから、間違いないよ。すぐに胸も腰も大きくなるし、背もどんどん伸びる。半年後には、あの男どもは腰を抜かしているんじゃないかね」
「……本当に?」
「いろんな女の子を見て来たあたしが言ってるんだ。そうだね、この服が着られなくなる頃にはちょうど衣替えだから、そのときはまたうちに服を作りに来るといい。楽しみに待ってるから。う~ん、あたしったら商売上手だねえ」
マダムが茶目っ気たっぷりに身をよじるから、リルはくすくすと笑ってしまった。
「どうしたら、早く大人になれますか?」
尋ねると、マダムは静かな表情でじっとリルを見つめてきた。
「リルちゃんは大人になりたいのかい?」
「はい。そのほうが、みんなの役に立てると思うから」
「そうだね……」
マダムと鏡の中で目が合う。と、先ほどの表情が嘘みたいに、マダムはにやっと笑った。
「やっぱり、女が大人になるにはね、恋をすることだよ」
「恋?」
「ああ。好きな人を作るってことさ。手近なところに男が三人もいるんだ、あの中に気になる男はいないのかい?」
好きな人。それは、家族として好きという気持ちとは違うのだろうか。
「シャル先生……」
名前を出した瞬間、マダムは「おおっ」という顔で身を乗り出した。
「も、アークさんも、リオくんも、みんな大好き」
「……うぅん。まあそれはそれで、いいことだね」
残念そうに肩を落とされると、こちらも期待に添えなくて申し訳ない気持ちになってくる。
「その服はリルちゃんにあげるから、そのまま着て帰るといいよ。残りの注文は出来次第取りに来てもらうからね。うちのお針子は腕のいい魔法使いがそろっているから、一週間くらいで完成すると思うよ」
「ありがとうございます。あの、着てきた服は」
「ああ。もちろん持ち帰るように包んであげるよ」
リルがほっとして鏡に向き直った瞬間、マダムは口に手をあてて大きなあくびをした。見えなければ良かったのだが、ちょうど鏡に映る角度だったので、ばっちり目に入ってしまった。マダムが気まずそうに手をエプロンにこすりつける。
「ああ、すまないね、お客さんの前で。いや、どうも最近寝つきが悪くてね。なんだか夢見も悪いし。あたしも年には勝てないのかねえ……」
マダムがため息をつきながら額を押さえた。頭の中に、シャル先生との会話が思い起こされる。今から自分がすることは、もしかしたらマダムにとってもシャル先生にとっても、余計なことなのかもしれない。でも、優しくしてくれたこの人に、無性に何かを返したい気分になっている。
「あの。それだったら――」