はじめてのお出かけ
「そういえば、シャル先生が助けを必要としているのって、家事のことだったんですか?」
シャル先生と自分のティーカップが空になるのを待って、リルは切り出した。リオに食後のお茶の淹れ方を習ったので、飲み干したアップルティーはリルが淹れたものだ。
「いや。それなら魔法使いでなくてもできるし、もっと別のことだよ」
別のこと。見当もつかずシャル先生をじっと見つめると、シャル先生はその目線を受け止めながら立ち上がった。
「――そうだね。リルがこの家に慣れたら教えようと思ったんだけど、もう大丈夫かな。ついておいで」
昨日から気になっていた、外廊下でつながっている小さな離れ。外廊下から通じる扉と、正面玄関がある。看板はないけれど、佇まいからすると何かのお店のよう。
あとをついていくと、シャル先生は扉の前で立ち止まり、振り返った。
「リル。開けてごらん」
シャル先生に促されて、やや緊張しながら扉を開ける。瞬間、飛び込んできたのは古い書物のにおい。そして、たくさんのふしぎな小物に埋め尽くされた薄暗い部屋の姿だった。
天井まで伸びる本棚には分厚い書物がぎゅうぎゅうに詰め込まれていて、背表紙には見たこともない記号のような文字が書いてあった。壁にはサイズがばらばらの柱時計が掛かっていて、天井からは見たことのない草の束やランプシェードが吊り下がっている。たくさんの棚には瓶や小物が雑然と並んでいて、中身がぼんやり光っているものや、ぽこぽこ沸騰しているものまであった。
おそるおそる、部屋の中に足を踏み入れる。部屋の中央にある大きなテーブルの上は、何に使うのか分からない道具でひしめきあっていた。天井のランプをつけても店内は薄暗く、昼間なのに夕暮れのようなオレンジ色に照らされている。
「魔法道具店シャルルにようこそ」
シャル先生が両手を広げて、芝居がかった仕草でおじぎをする。
「魔法……道具?」
「うん。私は昔から道具を発明するのが好きでね。隠居したらお店を開くのがずっと夢だったんだよ」
なんだかこのお店にいると、シャル先生がいつもより生き生きしている気がする。
「わたしは、何を助ければいいんですか? 店番?」
「それは……」
シャル先生が言いづらそうに口ごもると、アークがばさばさと飛んできて、テーブルの上に止まった。
「ぜんぜん売れてないんだよな、この店」
「アークははっきり言うなあ」
「この先生、センスも接客もからっきしダメで、お客がほとんど入らない。これなんて、何だと思う?」
アークが嘴で示したのは、皮ひもで口が縛られている茶色い袋と、缶に入ったふしぎな色の葉っぱだった。缶を開けてみたけれど、かいだことのない独特の匂いがする。
「う~ん……。や、薬草?」
「いちおう、女性向けに作ってみた、いい夢が見られるポプリとよく眠れるお茶なんだけど……」
シャル先生がショックを受けたような顔で弁明すると、
「な?」
アークが物言いたげに首を傾けた。シャル先生には悪いが、アークの言ったことが納得できてしまう。
「十二時になると魔女の笑い声がする柱時計だとか、ローレライの歌声のオルゴールだとか、マンドラゴラの笑い袋とか、変なものばっかり作ってるんだ。リルは女の子だし、可愛いものとか若いやつらが好きそうなものとか、分かるだろ?」
「うん……。たとえばポプリはレースの袋に入れてリボンをするとか、お茶には花びらを入れて可愛い色の角砂糖と一緒に売るようにしたらどうかな。お茶の香りも工夫したほうがいいかも」
リルが遠慮がちにアイディアを伝えると、シャル先生の目が輝き出した。
「なるほど……! そのリボンにも魔法効果を与えたら良さそうだね。それに、その売り方だったら角砂糖とお茶の組み合わせで何種類も効能が作れる……。考え付かなかったな」
雑然としたテーブルの上から羊皮紙と羽ペンを見つけ出すと、シャル先生はぶつぶつ呟きながら何かを書きつけ始めた。
「リル」
ペンを置き、ふぅーっと息をつくと、シャル先生は期待のこもった眼差しでリルの手を握りしめた。
「は、はい」
「アークの人選は間違っていなかった。リルがいればまともにお客さんが来る店にできそうだよ。……リル、この店を手伝ってくれるかな」
「もちろん」
シャル先生のためにできることがあるのが、幸せだと思う。だれかの役に立ちたい。たくさんの人の役に立てたら、それはとても素敵なこと。――だけど、いちばんにシャル先生の役に立ちたい。
「よし、そうと決まれば今日は街に出かけよう」
シャル先生がぱちんと手をたたいた。
「月に一度の買い出しは、もう少しあとじゃないのか?」
「うん、でもリルの服も作らないといけないし、お店の模様替えに必要なものもあるしね。いつまでも私のおさがりのワンピース一枚じゃ、リルがかわいそうだろう? さすがにサイズが分からないものは事前に用意しておけなかったし」
「まあ、女の子はいろいろと物入りだしな。そういうことならいいんじゃないか?」
「じゃあ、私はリオに声をかけてくるよ。リルとアークは、準備ができたらここに集合してくれるかな」
頷いたけれど、何を準備したらいいのかも分からない。そもそもリルには持ち物がないし、お金だって持っていない。結局、みんなが集まるまでお店の中で待っていることにした。
しばらくすると、外廊下から足音がして、扉が開いた。シャル先生かリオだと思ったのだが、現れたのはそれよりも大きな人影。
「だ、誰……ですか?」
シャル先生よりは年上だと思われる、茶色の髪のたくましい男性。うしろに流された短めの髪は、どことなく鳥の羽を思わせる。赤茶色のベストにズボン、ブーツと着ている服はきちんとしているのに、筋肉質のせいか兵士や猟師に見える。
「ああ、そうか。リルはこの姿を見るのは初めてだったな」
男は気さくな様子で声をかけてくる。その首の傾げ方、そして低い声には覚えがあった。
「まさか、アークさん?」
「当たり。よく分かったな」
アークはリルの頭をわしゃわしゃと撫でてくる。今まではリルが撫でる側だったのでとても妙な感じだ。
「人間になれたの?」
「まあ、長い間生きていればこういうこともできるようになる。もともと魔力のある鳥だしな」
「すごいね。でも、どうしていつもは鳥の姿でいるの?」
「それはな、疲れるからだ。街へ行くときは鳥の姿だと目立つから仕方ないけど、なるべく人型にはなりたくないんだ。この姿になってもあまり手は器用に使えないしな」
そうかあ、と納得したところで、微妙なことを思い出してしまった。
「虫……」
「うん? 何か言ったか?」
「……ううん」
なんとなく、アークがこの姿でも虫を食べていたら嫌だなあ、と思う。これはあまり追及しないほうがいいことだろう。
しかし、アークが人間の姿になったということは、飛んで出かけるわけではなさそうだ。昨日空から見たときには家のまわりは見渡す限りの森で、街なんて遠くにも見えなかったのだが、どうやって移動するのだろう。
「ああ、先生とリオも来たみたいだぞ」
ニットのベストとハンチング帽でおめかししたリオと、ベストの上に長いジャケットを着たシャル先生がやって来た。髪は朝と変わらずひとつにまとめているが、正装のせいでなんだか違う人みたいだった。
「どうしたんだい、リル。私の恰好、やっぱり変かな」
シャル先生が手袋をはめた指で、窮屈そうにループタイを巻いた襟元を正す。
「いえ、あの、その恰好をしていると、魔法使いっていうより王子様みたいだなって」
「お、王子? それは褒めすぎじゃないかな、光栄だけど」
シャル先生は照れくさそうに頬をかいた。
「本当はいつものローブのほうが楽なんだけどね。人目があるとそういうわけにもいかなくて……。じゃあ、みんな扉の前に」
お店の、玄関扉のほうへみんなが集まる。しっかりした木の扉についている、鳥の頭の形をしたドアノブ。そのまわりに、円で囲むように絵が描いてある。なんだか、ダイヤルみたいだ。
「今、鳥の嘴が森のマークを差しているだろう? これを街のマークまで回す」
シャル先生がドアノブに手をかけると、カチカチ音を立てながら鳥の頭が回転した。
「じゃあ、リル。扉を開けてごらん」
「え、わたし?」
一番後ろから覗くように見ていたリルを、シャル先生が前に引っ張ってくる。
「驚いて腰ぬかさないようにね」
リオがにやりとした笑みを浮かべている。なんだか、こわい。
ドアノブに手をかけたままシャル先生を見上げると、優しい微笑みを浮かべながらリルを見ていた。途端に、こわがっていた気持ちが嘘みたいに消えてしまう。シャル先生の瞳にも、何か魔法がかかっているのだろうか。
ぐっと、手に力をこめる。
「――行きます!」
思いきり扉を開け放つと、そこは大勢の人と馬車が行き交う大通りだった。
ぽかんと立ち尽くすリルを前へ押しやるように、三人が扉から出てくる。後ろはどうなっているんだろうと振り返ると、建物と建物のせまい隙間に、壁とお店の玄関扉があった。
「驚いたかな? 説明するより見せたほうが早いかなと思って何も言わなかったんだけど……。こわかった?」
気遣うようにリルの顔を覗きこむシャル先生に向かって、首をぶんぶんと振った。
「こんな入口を、いろんな国のいろんな街に作ってあるんだ。向こうからは、魔法道具が必要になったときにしかこの扉は見えない。私たちは、必要があるときにだけ街に出られる。便利だろう?」
「便利は便利だけど、そこまでして森の中に隠れ住まなくてもと思うがなあ」
「隠れているつもりはないよ。ただ、人が多いところは苦手なんだ。アークだって、ずっと鳥の姿でいられたほうがいいだろう?」
「それはそうだが」
シャル先生より頭半分背の高いアークとの会話を、不思議な気持ちで聞いている。
「リル、私は必要なものを買いに行くから、アークと一緒に仕立て屋に行ってくれるかな。終わったらこちらから迎えに行くから、ゆっくり楽しんでくるといいよ」
「リオくんは?」
きょろきょろと周りを伺うが、リオの姿はいつの間にか消えていた。
「リオは……。実家に顔を見せに行ったよ」
ということは、ここがリオの生まれた、半分以上が魔法使いの国なのか。
「じゃあアーク、頼んだよ」
シャル先生は何かに追われているように足早に去って行ったが、すぐにたくさんの人に囲まれていた。
「ああ、しばらく動けないな、あれは」
「みんな知り合いなの?」
「いや――シャル先生はこの国では英雄だからな。こちらが知らなくても向こうは知っている」
「リオくんが言っていた、戦争を止めた有名人、っていう話?」
「ああ。シャル先生はかつてこの国で働いていた。生まれはどうだか知らないが、ある意味シャル先生にとってもここが故郷なのかもな」
故郷。シャル先生にもリオにも、生まれた場所がある。それはリルとはあまりにも違う故郷で、街の人と言葉を交わす先生の姿に、なぜだか少しだけさびしさを感じた。
「じゃあ、リル、行くか。――その前に、何か食べたくないか?」