はじめての始まり
家に帰ると、全員との抱擁が待っていた。泣き笑いのような顔でお疲れ様、と言い合う。魔法をずっとかけ続けていたシャル先生とオーガスト先生、リオはリルたち以上にくたくたになっていた。
ふう、とソファに腰を下ろしたオーガスト先生に、遠慮がちに声をかける。さきほど自分がしてしまったことについて、やってしまったあとに後悔した。あれはオーガスト先生にもらった大事なものだったのに。
「あの、オーガスト先生。謝らなければいけないことがあるんです。魔法石のペンダントなんですが……」
「ああ、良い、良い。大して高価でもないものだ、また調達して贈ってあげよう」
「でも」
オーガスト先生の言葉は嘘で、実はすごく高価な魔法石だということをリルは知っている。
「魔法学校の生徒でもよくいるのだよ。在学中になくしてしまう者がな。そういうときは再度贈る決まりだから、遠慮することはない」
「ありがとうございます……」
「自分の大事にしているものでないと、家族に渡す意味がないからな。それに選んでもらったことが、むしろ私は嬉しいのだよ」
リルはびっくりしてオーガスト先生を見た。昔の家族に会ったことは、アークしか知らないことなのに。
「オーガスト先生、聞いていたんですか」
「君たちの後を追う家族がいたから、念のため魔法で音を聞いていた。安心しなさい、シャルルには話していないから。この家に戻ってきてくれたこと、シャルルにかわって礼を言うよ」
「そんな、お礼なんて……」
自分がここにいたかったから、そうしただけなのに。お礼を言うべきなのは、こちらなのに。
「もし家族に会いたくなったら、その時にシャルルにちゃんと話しなさい」
「はい、そうします」
あの国が落ち着いて、リルが一人前になったら。そのときは胸を張って会いに行こう。もちろんそのときは、シャル先生も一緒に。
「みんな、ありがとう。本当にお疲れさま」
リオとお茶を淹れてみんなにカップを配り終えると、シャル先生が深々と頭を下げた。
「無事に成功して本当に良かった。いくらお礼を言っても足りないよ」
「わたしからもお礼を言わせてください。わたしの故郷を救ってくれて、本当にありがとうございます」
いくら頭を下げても、言葉をつくしても、足りない気がする。一歩間違えたら危険な作戦だったのに、みんなは躊躇することなく協力してくれた。
「俺はシャル先生の使い魔だから当然のことだ」
「僕だって弟子なんだから、ふたりのために動くのは当たり前だよ」
「これであの国と同盟を組めるということで、こちらにも利があるからな。気にすることはない。どうしても礼を言い足りないというなら、その際にはシャルルにたっぷりと働いてもらうことにしよう」
「そのくらいは、頑張ります」
みんなが、穏やかに微笑みながらお茶を飲んでいる。こんなにゆったり流れる時間は久しぶりのこと。
「これでぜんぶ、終わったんですね」
「うん」
しみじみとつぶやくと、シャル先生がやさしい瞳でリルを見つめていた。
「リル。君が生きていてくれて良かった。髪は短くなってしまったけれど、似合っているよ」
「あ、ありがとうございます」
顎くらいの長さになってしまった髪の感触には、まだ慣れない。すーすーする首元に手を当てながらお礼を言った。
シャル先生の口調も、目線も、なんだかいつもより甘い……気がする。もじもじしていると、人間の姿に戻ったアークが力いっぱい肩を組んできた。
「今日は祝勝会だな。ごちそうを囲んで宴会しようぜ」
「誰が作ると思っているの? アークは」
「今日くらいは外食しても良かろう。私が御馳走しよう」
「いいんですか、オーガスト先生」
「無論。街へ出るから、みんな支度しなさい」
みんながわいわい各々の部屋に戻る中、シャル先生の袖をそっとつかんだ。
「……シャル先生」
「リル、どうしたの? 早く着替えないと。そのドレス、寒いでしょ?」
白いドレスは生地が薄いので、上にマントを羽織っていた。アークと一緒に飛んでいるときは寒さを感じなかったのだが、きっと気分が高揚していたせいだろう。
「だいじょうぶです。その前にシャル先生と、やりたいことがあって」
「わかった。じゃあ、私の部屋に行こうか。今回リルにはいちばん活躍してもらったから、なんでもお願いをきいてあげないとね」
もう鍵のかかっていないシャル先生の部屋に入ると、ぱたんと扉をしめた。
「それで、やりたいことって何かな」
決行の前から、ずっと決めていたこと。ぜんぶ終わったけれど、やり残したことがひとつだけあった。
「シャル先生、時計を壊しましょう」
「え……?」
リルの言葉を聞いて、シャル先生が絶句する。
「それは……できないよ。これを壊してしまったら、何かあったときにやり直せなくなる……。またいつか戦争が起きるかもしれないし、誰かが危険な目に合うかもしれない。だから」
「シャル先生」
不安な顔で唇をぎゅっと噛む先生の手を取る。もう時計を使いたくないと言っていたことも、手放すと不安なことも、どちらも本当なのだろう。でも。
「世界も、みんなも、ずっと先生に守ってもらわなければいけないほど弱くありません。失敗してもそこから新しく始める強さを、みんなが持っているから」
「リル……」
「もう、シャル先生が世界を背負わなくてもいいんです。自分だけのために生きていいんです。悲しいことがあったら物語を書き直すんじゃなくて、続きから始めましょう。みんなを手助けできる力を、シャル先生も私も、持っているのだから」
世界はきっと、シャル先生のためにも微笑みたいと思っているだろうから。シャル先生には自分の荷物だけ持って生きていってほしい。誰かの荷物を、肩代わりするのではなくて。
「誰かのためじゃなく、自分のために……。私にできるだろうか。もうずっと、そんな生き方はしていなかったから」
「わたしがお手伝いします。時計があったことを忘れるくらい、シャル先生のやりたいことをたくさんしましょう」
思えば、シャル先生には自分の時間なんてほとんどなかった。空いた時間は授業の準備をしているか、魔法道具の発明をしていたし、読む本だって、教科書か魔導書ばかりだった。
読みたい本とか、行きたい場所とか、ちいさなことからでいい。シャル先生が自分だけの楽しみを見つけてくれたら、いくらだってそれを大きくしてみせる。
「そうか……そうだね。君が……、君たちがいてくれるなら、そういうふうに生きていけるのかもしれない」
まぶたを閉じて考え込んでいたシャル先生が、意を決したように目を開けた。
「壊そう。これはもう、私には必要ないものだ」
シャル先生が、時計を机の上に置く。髪を切ったナイフを再び取り出し、シャル先生に手渡した。
「いっしょに、やります」
シャル先生の震える手を包み込むように、ナイフを二人で持つ。
「だいじょうぶですか?」
「――うん。心の準備はできたよ。思いきりやろう」
うなずくと、シャル先生は大きく息を吸い込んだ。
「いくよ。いち、にの、さん――!」
時計に向かって力いっぱいナイフを振り下ろす。がちゃん、という音がして破片が飛び散った。
金属とガラスのかけらが、星くずのように机の上に散らばっている。文字盤はひび割れて、秒針も止まってしまった。シャル先生と一緒に長い時間を旅してきた時計が、今その役割を終えたのだ。
「これで、本当の本当に、終わりだね」
はあはあと、走ってきたような呼吸を繰り返し、シャル先生は途切れ途切れにつぶやいた。
「シャル先生、それは違うのかもしれません」
すべてが終わると、リルもそう思っていた。でも今胸の中には、やり終えた安堵感とは別に生まれた、新しい気持ちが芽吹いていた。
「きっとここが始まりなんです」