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魔法道具店のラプンツェル  作者: 栗栖ひよ子
第九話 シャル先生の記憶
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はじめての絶望

「――ル、リル」


 シャル先生の声が聞こえる。目を開こうとするのに、まぶたが重くて動かない。


「リル、目を覚まして」


 手のひらに感じていたシャル先生の体温が、リルの頬に移動した。


「リル、お願い。目を開けて……」


 耳元にシャル先生の懇願するような声と息づかいを感じ、リルは目をぱちりと開けた。


「ああ、良かった……。このままリルが目を覚まさなかったら、どうしようかと思った」


 ものすごく近い距離に、シャル先生の顔がある。金色のまつげの本数が、数えられそうなくらい。さらさら動く長い髪が、カーテンのようにリルの上に垂れていた。


「え、えっ」


 尋常ではない状況に、ぼやけていた頭が一気に覚めた。なんだか、背中の感触がやわらかい。どうやら、地面に座ったシャル先生の膝の上に、リルが寝かされているらしい。


「シャル先生、お、おろしてください」


 一気に体温が上がるのが、自分でも分かった。沸騰魔法よりも早いくらいかもしれない。赤くなった顔を見られるわけにはいかないのに、シャル先生の腕と胸の感触に硬直してしまって、自分から動くことができない。


「あっ……、ごめんね。床に寝かせておくわけにいかなくて、つい……」

「い、いえ。あの、ありがとうございました……。重くなかったですか?」

「全然。軽すぎてびっくりしたくらい」


 少しふらついたけれど、シャル先生に支えてもらいながら立つことができた。時計を使ったときのような吐き気もなく、ほっとする。


「あの、シャル先生、ここは……?」


 固くてつやつやした、石の床。全体的に白くて、大きな柱が何本も立っている、廊下のような場所。


「うまく私の記憶の世界に飛べたみたいだ。ここは王宮の外廊下だね。私が官僚になってしばらくたった頃だと思う」


 廊下の片側には壁がなく、中庭に面していた。噴水のそばではドレス姿の綺麗な女の人たちが談笑していて、陽の当たらない廊下では豪奢なローブを着た人たちがせわしなく歩いている。


「ここが、王宮……」


 国の偉い人たちの住む場所。きらきらした所だと思っていたけれど、なんだかここには昼と夜が同時に存在しているみたいだ。


「リルがリオの記憶に入ったときみたいに、私たちの姿は周りの人には見えないし、干渉もできないみたいだけど、私たちの間では触れるみたいだね」


 王宮の人たちは、リルたちを気にも留めずに通り過ぎていく。ためしに人の前に腕を突き出してみたけれど、やはり空気のようにすり抜けてしまった。


「ね?」

「そう、みたいですね」


 シャル先生に触れるのは、確かめなくても先ほど身を持って体験したばかりだ。

 さっき――、気を失っている間に感じたぬくもりは、シャル先生がリルの頬に触れたのだろうか。顔が熱くなりすぎて、シャル先生のぬくもりが飛んでいってしまった。


「リル、あそこを見て。過去の私が通るはずだ」


 シャル先生が指差した方向を見ると、皆と同じような装飾のある白いローブを着たシャル先生がいた。今より若くて身体の線も細いけれど、ふわふわした歩き方も、足元を見ない癖も、変わってない。いや、今が変わっていないのか。髪はまだ短く、肩につく程度。一番違うのが顔つきで、今の落ち着いたシャル先生とは違って、好奇心に満ちていた。

 目に映るものすべてが楽しい、というような生き生きした表情で、リルたちの目の前を足早に通り過ぎていく。


「懐かしいな。この頃はまだ、仕事も楽しくて、何の不安もなくて……。人生はこのまま過ぎていくものだと信じていたよ」

「髪、昔は短かったんですね」

「伸ばし始める前だからね。なんだか恥ずかしいな」


 リルがシャル先生の家に来た日に、願掛けで伸ばしていると言っていた。このあと、願掛けをしたくなるような出来事も、夢で苦しむような出来事も、シャル先生を襲ったということだ。


「昔の私を追いかけよう。この日、重大な会議があったはずだ」


 過去のシャル先生は、立派な扉のある部屋に入っていった。後について一緒に入ると、大きな円卓と、それを取り囲む大勢の老人の姿があった。シャル先生に声をかけて隣に座らせているのは、昔のオーガスト先生だろう。


「オーガスト先生は、あまり変わっていませんね」

「私の学生時代から変わっていないような気がする。あの人も不思議な人だな……」


 過去のシャル先生が着席すると、すべての席が埋まった。一番豪華な席に座っている人が、木槌のようなもので机を叩く。


「あの人が議長だよ。官僚の中で一番偉い人で、この国の魔法使いの中で一番権威のある人だ」


 重々しい雰囲気で、会議が始まる。老人たちがみんな眉間に皺を寄せているから、リルでも深刻な話し合いだということが分かった。話していることは難しくて、あまり理解できなかったが。


「冷戦状態だった隣国の挙動が、あやしくなってきたときだね。何かあったときのために、迎え撃つ準備をしておいたほうがいいんじゃないか、ということを話しているよ」


 シャル先生が分かりやすい解説を入れてくれるのがありがたかった。


「――シャルル」


 急に名前を呼ばれて、隣にいるシャル先生も、過去のシャル先生も、同時に身体をびくっとさせた。


「そうだった。ここで自分の名前が呼ばれたんだった。忘れていたからびっくりしてしまったよ」


 過去のシャル先生は、議長に何かを言われて身を硬くしている。ややあって、「分かりました」と緊張した面持ちで返事をした。


「隣国に攻め込まれた際には、私がリーダーになって魔法軍の指揮を取れと指名されたんだよ。魔法軍というのは、攻撃魔法が使える魔法使いで編成された軍隊のことだね」


 うつむいて顔色をなくしている過去の自分を、シャル先生は複雑そうな顔で見つめていた。


「正直、指名されて動揺はしたけれど、そこまで深刻には考えていなかった。隣国よりもこの国のほうが魔法使い人口が多いし、戦力にも差がある。作戦を考えれば、犠牲を出さずに制圧できると思っていたんだ。……この時はまだ」


 シャル先生が過去の自分を見るまなざしは、憎んでいるようにも見えた。


「会議が終わる。きっと次の過去に飛ぶと思う」


 入ったときと同じように昔のシャル先生に続いて部屋を出ると、血のにおいが充満した凄惨な光景が広がっていた。


「……っ」


 胃から酸っぱいものがこみ上げてくる。舌がしびれて戻しそうになるのを必死でこらえたが、駄目だった。

 身体を痙攣させながら、胃の中のものを何度も何度も戻してしまう。すっかりからっぽになって吐くものがなくなっても、吐き気は止まらなかった。


「リル、大丈夫?」

「は、い……」


 シャル先生が背中をさすってくれるけれど、うまく呼吸ができない。目の前がちかちかする。


「無理しないで。こんな光景を見せてしまってごめん。私が、リルの目を押さえていようか?」

「いえ、大丈夫です。見ます……」


 シャル先生は実際に、この光景を体験したのだから。吐いても、倒れても、目に焼き付けると決めた。呼吸が落ち着くのを待ってから、リルはシャル先生の隣に並んだ。

 ここは、荒野なのだろうか。建物だったであろう瓦礫と、血を流して動かない人たちであふれかえっている。


「ここ、は……?」

「信じられないかもしれないけれど、城下町だよ」

「そん、な……」


 倒れる人たちの中で、顔も髪も返り血でべたべたになった過去のシャル先生だけが立ち尽くしている。壊れかけた人形のように、表情も顔色も失っていた。


「こんなの、嘘だ……」


 つうっと、光となくした瞳から涙が流れる。


「みんな、死んでしまった……。私だけが、生き残ってしまった……」


 膝をつき、涙をぬぐうこともせず、過去のシャル先生は遠くを見ていた。


「こんなことは、あってはいけない……。やり直さないと……。やり直せるはず……」


 過去のシャル先生が狂ったように呟きはじめると、ぶつんと世界が途切れ、気付いたときには次の過去の世界にいた。

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