はじめての手紙
冬になった。アークが準備してくれた暖炉には火が灯り、森の木々たちはおそろいの雪の帽子をかぶっている。
リオは来年になったら、魔法学校入学のための試験を受けることになった。試験に合格すれば入学の許可がもらえるらしいので、リルの授業はしばらくお休みして、シャル先生はリオにつきっきりになっている。
たまに空いた時間があると思えばどこかに出かけているし、魔法道具店のほうにも顔をあまり出さないし、シャル先生とはなかなかゆっくり話す時間がとれないまま時間だけが過ぎていた。
あの日、シャル先生の夢をリルが見てしまった日からずっと、何をすればいいのか分からないまま寒さだけが鋭くなっていく。シャル先生の顔色が日に日に悪くなっているのは分かっているのに、何もできない自分が歯がゆかった。
リオは自分の勉強に集中しているし、アークはまわりの空気を感じ取って大人しくしているし、なんとなく家の中がぎくしゃくしている。
リルがここに来てから四つ目の、最後の季節。そろそろ年が明けようとしていた。
「リル。大先生から手紙が届いたぞ。リル宛てなのは珍しいな」
「アークさん、ありがとう」
転移魔法でポストに届いた手紙を、アークに手渡された。封筒には、オーガスト先生のきっちりした癖のない字でリルの名前が書いてある。早く読みたい気持ちをおさえて、エプロンのポケットにそっとしまった。
「じゃあ、俺はハタキで上のほうの埃を落としてくる」
「うん、おねがい」
年が明ける前に家の中をピカピカにしたくて、今日は人間の姿のアークに大掃除を手伝ってもらっている。最近は家事をリル一人でこなしているので、アークが手伝ってくれることも増えた。鳥の姿のまま洗濯物を干す姿はかわいいけれど、今日だけは無理を言って大きくなってもらった。なにしろ、背の高い本棚など、この家にはリルの手が届かない死角が多いのだ。
「ええと、ペーパーナイフは……」
風の魔法で封が切れれば便利なのだが、そこまでの力加減はまだリルには難しかった。ペーパーナイフで慎重に開けてから手紙を取り出すと、何枚もの便箋にぎっちりとオーガスト先生の字が並んでいた。
『そちらはだいぶ雪がつもっているようだな。君たちは元気でやっているか? 風邪を引いた者はいないか?』
文字を目で追うだけでオーガスト先生の声で再生されるので、くすっと笑ってしまう。オーガスト先生が筆まめで、文章だと饒舌になるのは最近分かったこと。
『風呂に入ったら濡れた髪をそのままにしないこと、寝る前には生姜入りの薬湯を飲むようにシャルルに言いなさい。あれは昔からずぼらだからすぐ風邪を引くんだ』
なるほど、お風呂上りは気をつけてシャル先生を見ているようにしよう。薬湯は嫌がって飲んでくれないかもしれないから、はちみつを入れたジンジャーティーはどうだろう。今夜から淹れてみることに決めた。
『リオの入学試験には私も立ち会うことになった。入学自体は問題ないと思うが、うまくいけば三年生から編入できるかもしれないので、勉学に励むように伝えなさい』
三年生ということは、リオと同い年の子たちと一緒に勉強ができるということだから、リオにとってはとてもいいことなのだろう。シャル先生も、二年間授業をしてきたことが報われることになる。
『前置きが長くなったが、君が前回の手紙で質問してきたことに対して、私の見解を書こうと思う。しかし、君が私にこんなことを訊くということは、シャルルは自分から説明していないのかね? そして、君はシャルルを気遣って訊けないでいるのだろう? まったく面倒な弟子たちだ。君はシャルルの弟子なのだから、遠慮なく何でも質問しなさい。師にはその義務があるのだから。いいかね? これからは私を通すのではなくシャルルに何でも訊くこと。シャルルに師としての自覚をさせてやりなさい』
やっぱり質問は迷惑だったのか、と一瞬しょんぼりしてしまったが、どうやらオーガスト先生はシャル先生のほうを心配しているらしい。
『まず、魔法戦争に関してだが、君が教科書で読んだ通りだ。それだけかと思うかもしれないが、実際のところ、シャルルがなぜ戦争を事前に止められたのか、誰もよく分かっていないのだよ。我が国と隣の魔法国家が冷戦状態にあったことは皆が知っていたことだが、隣国がこちらを攻めようとしていたことは、まだ向こうの国のごく一部でしか話し合われていないことだった。決定事項ですらなかったのだよ。なのに、なぜかシャルルはそれを嗅ぎ付け、隣国の上層部と自ら話し合いに行った。たった一人で』
そこまで読んで、リルは鳥肌が立ってしまった。思ったよりもシャル先生が危険な行動をしていたからだ。犠牲者が出なかったのは良かったが、一歩間違えたらシャル先生が死んでいたかもしれないと思うと、こわくて体温が下がってしまうのを止められなかった。
『そこでの話し合いがどんなものだったのか、どうしてシャルル一人で隣国の意思を変えられたのかは、分からない。シャルルと隣国の話し合いの中で、他言しないことに決めたらしい。なので、私たちが言えることは、シャルルが魔法戦争を事前に食い止めた、という事実だけなのだよ』
そうだったのか、と腑に落ちる思いと、シャル先生のイメージとはかけ離れた事実に困惑する思いがあった。いつものんびりしていて、戦争のことなんてひとつも考えなさそうなシャル先生が、どうして事前に気付けたのだろう。そして、無茶な行動をした理由も、きっとあるはずだ。
『それしか言えずに申し訳ない。むしろそれだけ言えばいいことなのに、どうしてシャルルは黙っているのかね。まあ、ここに書いてもシャルルには届かないので、今度直接、師としての心得をみっちり説いてやることにしよう。そして、君が書いてくれたシャルルの行動で気にかかることなのだが――』
どきり、と心臓が鳴って、手紙を持つ手が動いた。ここからが、手紙の本題だった。
『シャルルは本当に、私のところに行くと言って出掛けているのだね? いや、私のところには、月に一度の買い出しの日しか来ていないのだよ。最近はそれが頻繁だとも書いてあったが、シャルルが街に来ていれば、あれは目立つので私の耳に入るはずだ。それなのにまったくその気配がないというのは、よっぽどこっそり行動しているか、この国以外のどこかに出掛けているのか、どちらかだ。まあ、普通の男だったらお忍びでどこかの女と逢引きしていることを最初に考えるだろうが、シャルルにその可能性は皆無だろうな。そんな器用なことは百年たってもできないと断言する』
やはり、オーガスト先生のところではなかった。それは概ね予想していたことだったのだが、女性と会っている可能性は考えていなかった。アークにだってあることなのだから、シャル先生が女性に好かれることだって、充分にあるはずだ。あんなに素敵な人なのだから。もしそうだったらリルはとても複雑な気持ちになるところだったが、オーガスト先生がそれはないと断言してくれたのでほっとする。
『シャルルは強情なところがあるので、この件に関して君が尋ねてもはぐらかすだろうな。なので、私のほうでも探ってみることにする。君は自分のことに専念しなさい。弟子の心配をするのは師の役目なのだから、君がシャルルのことで胸を痛める必要はない。ただ、帰りが遅かったり、体調を崩すことがあれば、思いきり怒ってやりなさい。顔色が悪いことが気にかかるなら、心配をかけるなとなじってやりなさい。それでシャルルには通じるはずだ』
やはりオーガスト先生は、シャル先生のことをよく分かっている。心配していることが伝われば、シャル先生だって自分の行動に気を付けてくれるはず。心が少し軽くなるのを感じた。
『また、何か心配事があるなら遠慮なく手紙を出しなさい。私も年が明けたらそちらに会いに行くことにする。また君たちに会えるのを楽しみにしているよ。
君のおじいちゃん オーガスト』
最後の署名のところだけ、すごく迷った筆跡で書かれていた。
「オーガスト先生……」
きっとリルを元気づけようとして、書いてくれたのだと思う。
いつもはシャル先生宛てで届くオーガスト先生からの手紙。リルたちへのメッセージも書いてあるので毎回読ませてもらっているけれど、今回は正真正銘、リルだけに宛ててくれた手紙だ。自分宛ての手紙をもらったのは、初めてのこと。ずっとたいせつにしまっておいて、オーガスト先生に会いたくなったときには読み返そうと思った。
(おじいちゃん、大好きです。ありがとう)
恐れ多くて直接は言えないその呼び名を、何度も心の奥でつぶやいてみた。