はじめての決意
後日、リルとリオの冬服が大量に届いた。厚手の生地の長袖ドレス、冬用のネグリジェ、ガウン。コートは深い緑色で、ケープとフードがついていた。若草色のドレスにもよく合いそうだ。
「アークさん、どうかな? コートの着方ってこれでいいのかな?」
夜。ちょうどリルの部屋に遊びに来ていたアークの前で、届いたコートを羽織ってみる。新しい服をすぐに着てみたくなるのはどうしてだろう。最初に袖を通す瞬間は、心がとてもうきうきする。
「おお、色もデザインもいいじゃねえか。試着はいいけど、暑くないのか?」
「うん、まだちょっと着るのには暑いね。でも、冬になって着るのが楽しみ。このへんは寒いのかな?」
「リルがいた国とそう変わらないと思うけど、雪は多いかもな」
「雪……」
塔にいた頃にも、たくさん降った年があった。空から降る白くてふわふわの、あたたかそうなのにつめたい、不思議なもの。手を伸ばしても触れられなくて、子どもたちが雪で遊ぶ声を聴いているだけだった。
「雪で遊んでみたいな。こんなに冬が楽しみなのって、はじめて」
寒いし、お腹は減るし、ベッドの隅で震えているだけの季節だった。でも今は違う。あたたかい部屋も、食事も、いつだってそばにある。それに何より、あたたかい家族がいるから、寒い季節だってもうこわくない。
「そろそろ、暖炉も掃除するか。冬は薪割りがあるから人間になる時間が増えて大変だ」
「暖炉は魔法でつけられないの?」
「火はつけられるけれど、火を持続させるのには薪が必要だろ。それまで魔法でやっていたら、逆に面倒だからな」
「あ、そっか」
「リルはそのコート、シャル先生に見せなくていいのか?」
「う、うん。先生、まだリビングにいるかな? 行ってみるね」
秋に入ってから、シャル先生は家を留守にすることが増えた。「オーガスト先生のところに行く」と言って出かけることもあるが、オーガストから定期的に届く手紙には何も書いていない。シャル先生の嘘に気付いてしまうと、どこで何をしているのか気になってしまうが、追及するつもりはなかった。
こんなに好きで、近くにいても、リルにできることは少ない。せいぜい、疲れているシャル先生のためにおいしい食事を作ること、魔法道具店の店番を頑張ることくらいだ。
もっと一人前の魔法使いになれたら、立派な大人になれたら、いつかシャル先生が本当のことを話して、頼ってくれるかもしれない。それを願って魔法の勉強を頑張ることが、今のリルの希望にもなっていた。
「シャル先生? いますか?」
リビングに人の気配はするのに、姿がない。見ると、ソファにすっぽりと隠れるように、シャル先生が眠っていた。
ローブの裾から見える、投げ出された手足。警戒なく閉じられたまぶた。普段目にすることのない寝姿に、ドキッとしてしまう。
(起こさないほうが、いいよね)
しかし、このまま寝ていると風邪をひいてしまう。忍び足で部屋まで戻って、毛布をとってくる。シャル先生を起こさないように、そっと掛けた。自分も部屋に戻ろうか迷ったけれど、もう少し寝顔を見ていたくて、ソファの前におそるおそる座った。
長い、まつげ。優しくカーブを描いた眉。長い金色の髪がひと房、顔にかかっている。除けてあげたいけれど、手が伸ばせない。起こしてしまいそうだからじゃなくて、シャル先生のすべてが愛しい気持ちになってしまって、触れてはいけないと思ってしまうから。
触れたところから気持ちがあふれ出して、止められなくなる。たいせつだから、気持ちを伝えられない。悟られてもいけない。シャル先生はリルの聖域だから、どんなに大好きでも、心に触れてはいけない。
「う……ん……」
シャル先生の唇からうめき声が漏れる。呼吸もあえぐように早くなって、苦しげに眉根を寄せている。
「シャル先生……?」
悪い夢でも見ているのだろうか。起こしてあげたほうが、いいのかもしれない。
「リル……」
「えっ」
名前を呼ばれ、何かを探すように手を伸ばされる。思わず、手を取ってしまった。
「シャル先生、だいじょ……」
「ごめん……。許して……」
苦しい。つらい。助けて。ごめんなさい。許してください。これは罰だ。
心を読もうとしていないのに、先生の感情がリルの中に流れ込んできた。
「嘘、どうして」
止めようと思っているのに、止められない。頭の中に、おぼろげな映像が映し出される。きっと、シャル先生が夢で見ているもの。そこには、見慣れた景色があった。
(塔……? そこにいるのは、シャル先生と、わたし……?)
リルの姿は、この家に来た頃と変わらないように見える。やっぱり、先生とは以前会っていた。それはごく最近であるはずなのに、どうして覚えていないのだろう。
夢の中の会話は聞き取れない。先生の感情だけが、声になって響いてくる。
――私には、何もできなかった――
悲痛な叫びがこだまして、記憶は霧散するように消えてしまった。
「……リル?」
握られていた手が緩み、シャル先生がゆっくりと目を開ける。
「先生……」
「寝ちゃっていたみたいだね。毛布、かけてくれてありが……。ど、どうして泣いているの?」
「え……?」
頬に触れてはじめて、自分が涙を流していたことに気付いた。あとからあとから、決壊したようにあふれ出てくる涙を止められない。
どうして、シャル先生が苦しまないといけないの。どうして、こんなに優しい人が、罰を受けなければならないの。どうして、自分は先生に何もしてあげられないの。
「リル、大丈夫? どこか痛いの?」
あわてふためきながらリルを心配してくれる先生を見て、思う。先生がそれを望んでいなくても、自分が苦しむことになっても。
(――真実が、知りたい。わたしはこの人を、助けたい)