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魔法道具店のラプンツェル  作者: 栗栖ひよ子
第一話 塔の上の魔法使い
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はじめての名前

 鳥の背中はもふもふしていて、意外にも乗り心地が良かった。どこを掴んでいいか分からなかったので頭のてっぺんに生えている長い毛を掴んだのだが、「そこじゃない。首に手をまわせ」と嫌がられてしまった。準備ができたところで、少女は疑問に思う。


「でも、どうやってここを出るの? 扉には錠前がかかっているし、塔には結界も張ってあるって……」

「こんなの、うちの先生から見たら結界でも何でもない。いいか、しっかりつかまっていろよ」


 鳥が両方の翼を大きく広げると、今まで自分がいた部屋がすっぽり羽毛に埋まってしまった気がした。羽毛に隠れた筋肉がむくむく動くのを、しがみついた全身で感じる。


「こう――するんだよ!」


 鳥が弾みを付けて、窓に向かって跳ぶ。無理だ、あんな小さな窓からじゃ出られない。――ぶつかる! と目を閉じた瞬間、感じたのは衝撃ではなく風と光だった。

 太陽が、頭の上にある。地面も、壁も、天井もない。なんだか身体も軽い気がする。


「空、飛んでる!」

「ははは、盛大にぶっ壊してやったぞ」


 振り返ると、窓のあった一面が壊れて、壁が崩れ落ちていた。遥か下にある地上では、兵士たちが右往左往している。


「罪人が逃げるぞ!」

「あ、あの大きな鳥はなんだ?」

「まさか、ロック鳥じゃないか?」

「あの、伝説の? まさか」

「それより、塔が崩れる!」


 兵士たちの声も、塔の姿も、どんどん遠くなってゆく。街もお城もあっという間に通り過ぎて、目の前に広がるのはどこまでも続く青い海だった。


「すごい……。外って、こんなふうになっていたんだ」

「世界はもっと広いぞ。お嬢ちゃんのいた国なんて、俺の身体で言うと羽毛一枚にもならない」


 大きな世界の中の小さな国の、ちっぽけな部屋。自分が知っていた世界がどれだけ狭かったのか、少女には初めて分かった気がした。


「鳥さん、ありがとう。外の世界を見せてくれて」

「お礼を言うのはまだ早いぞ。あそこにある魔法陣が見えるか?」


 空の先に、金色に光る円形の模様が浮いていた。


「あれが、まほうじん?」

「そうだ。いまからあそこに飛び込むぞ。ちょっと変な感じがするかもしれないが、我慢しろよ。最初だから、目は閉じていたほうがいいかもな」


 鳥が速度をあげたので、目をつぶる。光る輪の中に飛び込んだ瞬間、空間が歪んだような、重力が変わったような、不思議な感じがした。


「もう、開けていいぞ」


 目を開けると、眼下には緑色が広がっていた。さっき見た海くらい大きいのではないか、と思ってしまうくらいの深い森。


「もう、着くぞ。急降下するから気をつけろよ」


 鳥が着地したのは、森の中の拓けた一角。絵本で見たようなかわいらしい木の家と、こぢんまりとした畑と井戸があった。そして、森に寄り添うように佇む、すらりとした金色の人影。

 半ばすべり落ちるようにして、鳥の背から降りる。裸足で触れる地面はひんやりしていて、でも石の床とは違う柔らかさと力強さを感じた。


「ここが、その先生のおうち?」

「ああ。――おおい、シャル先生!」


 鳥が呼びかけると、金色の人影がこちらを振り向いた。

 背の高い、まだ若い男性だった。陽が当たるときらきら輝く、腰までの金色の髪。やわらかくこちらを見つめる、翡翠色の瞳。丈の長い白いローブを引きずるように着ている。

 とても、綺麗なひと。少女は一瞬で、その人物に目を奪われた。そしてなんだか、懐かしいような気持ちになる。


「アーク、戻ってきたんだね。その子が、例の?」

「ああ。シャル先生に頼まれた、魔法が使える助っ人さ」


 シャル先生、と呼ばれた人物は静かに少女のそばまで寄ってくると、ひざまずいた。一瞬びっくりしたのだが、どうやら目線を合わせてくれているらしい。


「いきなり連れてきて、すまなかったね。はじめまして。私の名前はシャルル。ここではシャル先生、と呼ばれているよ。そして、君を乗せてきた鳥がアーク」

「一応、この先生の使い魔ってことになってる」


 アークはいつの間にか小さいサイズに戻っており、シャル先生の肩に乗っていた。


「私は友人だと思っているんだけどね」


 シャル先生は困ったように肩をすくめ、立ち上がる。


「あと、紹介したい子がもう一人いるんだけど――」


 その言葉とほぼ同時に、家のドアがばん、と開いた。


「シャル先生、アーク! 僕、新しい奴が来るなんて認めてない!」


 掴みかかりそうな勢いでこちらに走ってくるのは、小柄な少年。金色の巻き毛がくるくるしていて、シャル先生と同じ翡翠色の瞳は猫みたいに大きい。チェック柄のベストとズボンがよく似合っていて、その表情が怒りに燃えていなければ可愛い少年だと感じただろう。おそらく。


「リオ。ちょうど良かった。君のことも紹介したいと思っていたところなんだ」

「――シャル先生、僕の話聞いてる? 僕は弟子が増えるの嫌だって言ったよね! しかも、こいつ、お、女だし!」


 リオは少女をびしっと指差すと、唸りながら睨みつけてきた。縄張りを荒らされた野良猫ってこんな感じかしら、と少女は思う。


「失礼なことはやめなさい、リオ。」

「シャル先生、大丈夫だ。リオは女の子の前で照れているだけだ」


 アークは先生の肩から離れ、リオのまわりを飛び回る。リオはそれをうっとうしそうに手で払った。


「照れてなんかいない! おいお前、歳はいくつなんだ? 名前は?」


 ずずい、と迫ってこられたので、思わず後ずさる。鼻先をリオの匂いがかすめた。芽吹いたばかりの若葉に似ている。


「たぶん、十六歳だと思う。――名前は、ない」


 昔、塔に連れてこられる前は名前があったのだと思う。けれど、人に呼ばれることなどなかったから、忘れてしまった。自分の名称なんて、あの場所では必要なかったから。


「嘘だろ、僕の四つ上? どう見たって同い歳か年下だよ。よっぽど発育が悪――」


 リオの口をシャル先生が手でふさいだ。


「やめなさい、リオ。あまりに口が過ぎるなら、私も怒るよ」


 穏やかなのに、有無を言わせない口調。シャル先生のまわりの温度が、変わったような気がした。リオが分かりやすくしゅんとなる。


「ごめんね。リオの変わりに謝るよ。許してくれるかな」


 頷くと、シャル先生は「ありがとう」と微笑んだ。その笑顔を見たとき、胸の奥の扉を誰かがノックしたような気がした。懐かしくて、やさしくて、あたたかい。ずっとずっと昔、同じような気持ちになったことがあった気がする。あれは、いつのことだろう。


「あの……。昔、わたしと会ったことがありますか?」

「私がかい? ――いや、今日が初対面だよ」


 シャル先生は、嘘をついている。なぜだか分からないけれど、直感的にそう感じた。これも魔法の力なのだろうか。でもなぜ、隠す必要があるのだろう。


「それより――。名前がないのは由々しき問題だね。君を呼ぶときにとても困る」

「シャル先生……が、つけてくれませんか」


 誰かの名前、を呼ぶのも久しぶりだった。この呼び方で大丈夫だったろうか。


「えっ、それでいいの?」

「先生、そいつは責任重大だぜ。大丈夫か?」

「お前、大人しそうな顔して割とずうずうしいんだな……」


 シャル先生は、顎にこぶしを当てながら、たっぷり長い時間考えこんでいた。


「そうだ、私がシャルルでこの子がリオだから、リル――っていうのはどうかな。響きもかわいいし」

「僕がこいつとお揃いの名前? ぜったい、嫌だ」

「じゃあ、アークとシャルルで、シャークっていうのは?」

「シャル先生、俺が言うのもあれだけど、それは女の子にはひどい。リオは揃いの名前くらい我慢してやれ」

「くっ……いいよもう、リルで!」


 シャル先生は二人のやりとりを複雑そうな顔で聞いていたが、


「じゃあ、きまり。君は今日からリルだ。よろしく、リル」


 リル、リル。その名前を、何度も心の中で転がす。ぽかぽかするような、くすぐったいような、ふしぎな気持ちだった。

 名前。はじめての、自分だけのもの。

 

 その日から、少女はリルになった。

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