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魔法道具店のラプンツェル  作者: 栗栖ひよ子
第六話 リオの過去
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はじめての禁忌

「姉さん! 姉さん!」


 リオの前で少女が喀血している。とうとう、隠しきれなくなったのだ。


「……やっぱり、風邪じゃなかったの? 姉さんは知っていたの?」


 ベッドにもたれかかったまま、苦しげに呼吸する。息をするたびいやな音がして、胸が大きく上下していた。


「ごめんね、リオ。隠していて」

「どうして? どうして本当のことを言ってくれなかったの?」

「たぶん死ぬと思ったから。あなたには最後まで笑っていて欲しかったから」

「死ぬなんて嘘だ!」

「嘘じゃ、な……」


 再び、少女が咳き込む。


「姉さん!」


 ふらついた少女は、そのままリオの腕の中に倒れ込んだ。


「……姉さん? しっかりして、姉さん!」


 口の周りを赤くした少女は何かを訴えようとするが、その言葉は声にならなかった。


「いやだ、死ぬなんて嫌だよ……!」


 リオの身体から光があふれる。それは少女の身体を包み込んだあと、すうっと消えていった。

 やがて、少女の顔色に赤みが戻り、その目が驚きに見開かれる。


「……リオ、今の」


 腕の中から起き上がった少女を、リオはぽかんと見つめている。


「これって、治癒魔法……? 僕、使えるようになったんだ……」

「リオ、ダメよ。魔法は病気や寿命を延ばすのに使ってはいけないって、国民ならみんな知っていることでしょ」


 軽く咳き込みながらも、少女は必死でリオを説得している。


「かまうもんか! 内緒にしておけばいいんだよ。どうして使ってはいけないの? これで姉さんを助けられるかもしれないのに」

「リオ……」

「姉さん、安心して。僕が絶対、姉さんを死なせないから」


 リオは少女の手をぎゅっと握る。その日リオは一晩中、少女のそばから離れなかった。自分が目を離したら死んでしまう、と思っているかのようだった。

 朝が来て、うつらうつらしていたリオが少女のベッドに倒れ込む。表情は険しいけれど、規則正しい寝息が聞こえてきてほっとした。少女も起きる気配はない。

 二人の寝顔を見届けてから、リルは扉を開けた。


 次の部屋の空気は、とても澱んでいた。

 ベッドの上で動かない少女はひどく痩せ、骨と皮だけの姿になっている。顔色も、土気色と言っていいほど生気がない。心臓だけがかろうじて動き、魂がやっとのことで繋がっている状態だと、リルにもすぐ分かった。最初の美しい姿を知っているだけに、この状態になった少女を見ているのはつらい。


「死なせない……姉さんはまだ生きている……」


 ベッドのそばでは、目のまわりを黒くしたリオが、少女に治癒魔法をかけ続けていた。リオ自体が病人なんじゃないかと思ってしまうほど、やつれきっている。

 目を逸らしたくなってしまうほど、痛々しい光景だった。けれどリルだけが逃げるわけにはいかない。リオの痛みを知りたいと思ってしまった自分への罰だと思った。

 ノックの音が響き、扉がカチャリと開く。そこには、今と変わらない姿のシャル先生が立っていた。

 人が入ってきたのに、リオは少女から目を離さない。シャル先生は迷いなくリオに近付いていった。


「――もう、やめなさい」


 シャル先生がリオの手を少女から引き離す。


「……っ、離せ! 勝手に入ってきて、誰だよお前っ!」


 やっと、リオの目がシャル先生をとらえる。その目が一瞬だけはっと見開かれたのをリルは見逃さなかった。リルが初めてシャル先生と出会ったときと、同じ表情だった。


「私の名前はシャルル。君のことを迎えに来たんだ」

「シャルル……って、もしかして魔法戦争の」


 シャル先生が静かに頷く。


「そんな偉い人が何の用? 迎えって、僕たちのことを病院にでも入れる気? 嫌だよ、僕は絶対にここから動かない」

「お姉さんに治癒魔法をかけるのは、もうやめなさい。苦しみを引き延ばすだけだ」

「このまま死なせろって言うの!?」

「ちゃんと人としての尊厳を保ったまま、安らかに眠らせてあげなさいと言っているんだ」


 シャル先生の声が厳しくなる。リオがびくりと身を硬くしたのが分かった。


「なんだよ、人としてって……。死んだら全部終わりじゃないか……。姉さんはまだ、生きてるんだ……」

「分からないのかい?」


 実体のないリルの身体まで鳥肌が立つくらい、つめたい声だった。シャル先生は、怒っている。そしてそれ以上に、とても悲しんでいる。


「お姉さんの身体は、もう生きていられる状態じゃない。それなのに、君が魂を何度も何度も呼び戻しているせいで、お姉さんは死際の苦しみを無限に味わうことになっている。何もしなければ一度ですんだはずの苦しみを、君が何度も与えているんだ」

「そ、んな……」


 シャル先生の言葉は、ナイフのようだった。容赦なく降ってくる事実が、リオの心をずたずたに引き裂いていく。そして、その言葉を発したシャル先生自身も、心から血を流していることをリルは知っていた。


「治癒魔法の使い手なら知っておくべきことを、君は知らなかった。人が人でなくなるから、人の寿命を延ばしてはならない」


 魔法使いの禁忌。人が人でなくなる。以前シャル先生が言った言葉が“今”ぴたりと重なった。


「……あ……」


 リオは、身体をがたがたと震わせながら、大粒の涙を流していた。そうなっても少女の手を握ったまま離せない姿に、シャル先生は悲しそうに顔を歪めた。


「――最後のお別れをしなさい。もう、できるね?」


 そっと、リオの手を先生の手で包み込む。しゃくりあげながら震えていたリオは、やがてかすかに頷いた。

 リオが、少女から手を放す。治癒魔法が止まると、少女の生命の色がだんだんと薄くなっていくのが見えた。最期の瞬間、少女の身体はオレンジ色の光に包まれる。先生とリオの表情は変わらない。二人には見えていないのだろうか。

 オレンジ色の光は、小さなボールくらいになると、リオの身体に吸い込まれて消えた。


「……安らかに、眠ったみたいだ」


 少女の首筋に手を添えた先生が、リオに告げる。


「姉さん……。姉さん……、ごめんなさい! ごめんなさい……!」


 リオは少女の亡骸にすがりつくと、大声で泣いた。声もマナも枯れ果ててしまうのではないかと思ってしまうほど、全身全霊で泣いていた。

 シャル先生はリオが泣きやむまでずっと、静かに二人のそばに佇んでいた。


「君の魔法学校入学資格が、取り消されたよ」

 

 泣き疲れて抜け殻のようになったリオに、シャル先生は告げた。リオはちらりとシャル先生を見上げたけれど、その表情が動くことはなかった。


「一年か、二年……。君が本当に治癒魔法をコントロールできるのか、様子を見るそうだ。君に魔法教育の資格があると判断されたら、そのときまた入学資格がもらえるだろう」


 リオは何も言わない。虚ろな目をずっと少女に向けているだけだ。シャル先生はリオの顔をつかんで、むりやり自分のほうに向かせた。


「その間、私のところに来なさい。君は知るべきだ。自分の力も、自分の罪も」


 どこを見ているか分からなかったリオの瞳に、シャル先生のまっすぐなまなざしが映る。


「君は今日から私の弟子だよ、リオ」


 リオが先生の手をとる。手をつないだまま、二人は部屋を出て行った。

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