はじめての二人店番
「頭が、痛い」
朝、遅く起きてきたオーガスト先生のために冷たい紅茶と軽めのサンドイッチを出した。オーガスト先生はサンドイッチを手に取ってくれたが、頭を押さえてしまってなかなか食が進まない。
「あれだけ飲めば当然です。いい加減、身体に悪い量を飲むのは控えてくださいよ。これ、飲んでください」
シャル先生は薬草を煎じたものをカップに入れて、オーガスト先生の前に置いた。底なし沼のような色をしている。
「うっ、ひどい匂いだな……」
オーガスト先生は顔をしかめながらも、鼻をつまんで一気に飲み干した。
「私は、一人のときは飲まないようにしている。ぽっくり逝ってしまっても困るからな」
「またそういう縁起でもないことを言う……」
「君たちも、迷惑をかけてすまなかったな。もう少し滞在するつもりだったが、今日帰ることにするよ」
カップをことんと置きながら、何でもない話のようにオーガスト先生は言った。
「……え、こんな急に?」
予想していなかった台詞だったのか、シャル先生は一瞬言葉につまっていた。
「なんだ。来て欲しくなかったんじゃないのか。私が帰るのは嬉しいはずだろう」
「来て欲しくなかったわけじゃ……」
シャル先生だって本当はもっと一緒にいたいはずなのに、本当の気持ちを言わない。オーガスト先生だって引き止めて欲しいはずなのに、シャル先生の気持ちを試すようなことをする。
大人たちはどうして、気持ちと言葉があべこべなのだろう。
「ま、待ってください」
リルが二人の会話に口を挟むと、リオが「余計なことを言うんじゃない」というような表情でこちらを睨んできた。目線だけでごめんね、と謝る。リオには悪いが、シャル先生とオーガスト先生にこのまま別れて欲しくない。
「わたしはもう少し、オーガスト先生にいて欲しいです」
リルの言葉を聞いてシャル先生はほっとしていたが、オーガスト先生は怪訝そうに顔をしかめた。
「何でだ? 君も自分の部屋に戻れるじゃないか」
「あの、オーガスト先生がいてくれたほうが、シャル先生一人で授業しなくてもすむし、それに……。えっと、あの、オーガスト先生が、わたしのおじいちゃんみたいで……」
「お、おじい……?」
オーガスト先生は面食らった顔をしていた。年齢も確認していないのにおじいちゃん扱いして、不快な思いをさせてしまっただろうか。
「あ、あの。失礼だったらごめんなさい。おじいちゃんは厳しい人だったけれど、わたしのことをすごく可愛がってくれて、大好きだったんです。オーガスト先生を見ていたら思い出しちゃって、その……。もう少し、一緒にいたいなって……」
「……そうか、大好きなおじいちゃんか……」
そわそわしながら髭をなでつけるオーガスト先生を見て、シャル先生が目を丸くしている。
「まあ、そこまで言うのだったら、もう少しだけいてもいいか……」
「ありがとうございます!」
「うむ。君には特別に、みっちりと魔法の授業をしてあげよう」
オーガスト先生から、ほわほわした湯気のようなものが出ているのが見える。とてもあたたかい感じがするから、機嫌を直してくれたということなのだろう。たぶん。
「えっと、それもありがたいんですけど……。わたし、オーガスト先生とやりたいことがあるんです」
*
「やりたいことと言うから何だと思ったら、ただの店番ではないか」
魔法道具店シャルルの椅子にオーガスト先生が座っている。普通の椅子なのにオーガスト先生が座ると豪華に見えるのはなぜだろう。店が魔法学校の学長室になったみたいだ。
「それにしても……」
オーガスト先生が顎に手を当てて、店の中をぐるっと見回す。
「以前一度来たときとだいぶ見た目が変わっているな。前は小鬼が荒らした倉庫みたいだったのに。君がやったのか?」
「シャル先生と相談しながら模様替えをしたんです。お掃除はリオくんが手伝ってくれました」
「ふむ……。あれは昔から魔法以外能のない男だからな。君たちがいてくれて良かったのだろう」
オーガスト先生は整理された魔導書の棚や、薬草の束をしげしげと観察している。
「あの、シャル先生の学生時代って、どんな感じだったんですか?」
「今とさほど変わらないよ。ずば抜けて優秀だったのにぼんやりしているから、よく周りの生徒に世話を焼かれていたな。何かに夢中になると寝食を忘れるから、よく倒れていた」
制服を着た、今より幼い顔のシャル先生が目に浮かぶようだった。
「尊敬も集めていたけれど、それ以上に愛されてもいた。シャルルを見ていると、何かをしてやりたい気分になるんだそうだ」
「すごく分かります」
リルも、リオも、アークも。この家のみんなはいつもシャル先生のために動いている。
「まあ、そんな男だから私も柄でもないことをしてしまったんだろうな」
「シャル先生のご両親が亡くなったときに、引き取ったことですか?」
「それもそうだが、それからもずっと……」
オーガスト先生の言葉を遮るように、お店の扉がノックされる。
「……あ、お客さんが来たみたいです。オーガスト先生、接客してみてくれませんか」
「わ、私がかね?」
「はい。わたしも隣で見ていますから」
「しかし……」
ふさふさの眉毛が困ったように下がり、もじもじそわそわしている姿は貴重だった。孫に初めて対面した時のおじいちゃんみたいだ。
「あ、入ってきましたよ。いらっしゃいませ!」
置物になっていられても困るので、オーガスト先生の袖を引っ張って無理やりお客様の前に連れて行く。
「い、いらっしゃい」
口髭はひくついていたが、なんとか笑顔は作ってくれたようだ。オーガスト先生に対峙したお客様の顔のほうが強張っていた気がするけれど、リルの気のせいかもしれない。
そして、オーガスト先生の一日店番体験が始まった。
一人目。
「なに、赤ん坊の夜泣きがひどい? ……ふむ、ならこのオルゴールはどうだ? よく眠れそうじゃないか」
「オーガスト先生、それはセイレーンの歌声のオルゴールなので、だめです。このお客様の旦那様、船乗りなので沈没しちゃいます」
「なんでそんなものを置いておくのだね!」
「す、すみません。この、つけると動物の声が出る動物耳シリーズはどうでしょうか。これをつけてあやしたら泣きやんでくれるかも」
「ならば、猫にしなさい。古代から猫は魔法使いの優秀な相棒だった。その鳴き声には我々魔法使いを癒す効果がある」
二人目。
「魔法試験でライバルに勝ちたい? ならこの魔導書を読みなさい。難しいが君の学年なら一歩リードできるはずだ。……なんだと、古代文字が読めないから無理? 馬鹿者、そんなことだから試験に勝てないのだ! この辞書もつけるから、勉強しながら読みなさい」
三人目。
「最近暑いせいでローブを着ていると汗疹ができる? ならば私の着ている特注のローブをおすすめする。特殊な魔法繊維を使っているから着るだけで涼しい」
「そうだったんですか? すごい。でもうちの店にはローブを置いていなくて」
「そうなのか? ならばせっかくだから作りなさい。シャルルならできるだろう」
「は、はい。でもこちらのお客様にはどうすれば」
「出来上がったら届けることにして注文を受けておけばよかろう。君、それでいいな? うむ、ではこの羊皮紙に送り先を書いてもらいなさい」
夕方、閉店するころにはオーガスト先生はぐったりして椅子にもたれかかっていた。
「オーガスト先生、ありがとうございました。とても助かりました」
「……疲れた。いつもこんなに忙しいのかね」
「最近お客様がすごく増えたので……。でも、今日のお客様みんな喜んでくれましたね」
「……そうかね」
「はい。みんな、オーガスト先生の言葉に納得して購入してくれました。わたし一人だったらこんなにうまくできなかったです」
お客様の安心した顔、嬉しそうな顔、決意を秘めた顔を思い出す。オーガスト先生も一日を思い返しているようだった。
「昔、教壇に立っていたときには見られないような顔ばかりだったよ。国の仕事をしているときも、まわりにいるのはしかめ面をした爺ばかりだからな。……シャルルが欲しかったものは、こういうものだったのかもしれんな」
目の前にいるお客さんを笑顔にできる、しあわせ。遠くの誰かじゃなく、手の届くあなたのために何かできる、喜び。人の役に立つことで、自分のことも好きになれる。
シャル先生の魔法道具に触れた人は、みんなシャル先生が好きになる。ここに来た人はみんな、このお店が好きになる。オーガスト先生もきっと――。
「今日一日、私は君の願いをきいてあげたな?」
オーガスト先生がくるりと振り向き、薄紫色の瞳でリルをじっと見つめる。
「は、はい」
「ならば今度は、君が私の頼みをきいてくれてもいいはずだな?」
口髭を片方だけ持ちあげて。オーガスト先生がにやりと笑う。なんだか嫌な予感がして、背筋に棒を差し込まれたみたいに固まってしまった。
「わたしができることなら……」
びくついたリルを見て、オーガスト先生はふっと表情をゆるめた。リルのおじいちゃんが、甘いお菓子をくれるときの顔に似ていた。
「大丈夫、悪いようにはせんよ。私から君へのお礼だと思ってくれればいい」