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魔法道具店のラプンツェル  作者: 栗栖ひよ子
第四話 シャル先生の魔法レッスン
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はじめての眠れぬ夜

「マナを受け取りすぎて、知恵熱!?」


 寝室までミルク粥を運んできたリオが、先生の話を聞いて呆れた声を出す。


「しーっ。リルは熱でもうろうとしているんだから、静かにしてあげて」

「でもさ……。そんなの子どもでも聞いたことないんだけど。お前、どんだけ馬鹿なの?」

「それは私も油断していたから悪いんだよ。私がしっかり自分のマナを管理していれば、リルが倒れることもなかった」

「シャル先生のマナでっていうのが余計、むかつくんだけどっ」

「リルは性質的に、他人のマナの影響を受けやすいんだろうね。すべての物事に対して、素直な子だから」

「……明日からは僕も一緒に授業を受ける」

「時間を分けるよりはそのほうが私も助かるけれど、リオは退屈かもしれないよ?」

「べつに、いい」


 むっとしたままお盆を置くと、リオはばたんと扉を閉めて出て行ってしまった。


「リル、ミルク粥と絞ったオレンジだよ。少しでも食べられる?」

「……はい」


 先生が、身体を起こすのを手伝ってくれた。クッションを腰に当てて、ベッドにもたれやすくしてくれる。


「自分でスプーンを持つのは難しそうかな」


 ミルク粥を掬うものの、お盆の上にこぼしてしまうリルを見て、先生がスプーンを受け取った。


「……じゃあ、はい。あーんして」


 親鳥のように、口元にスプーンを運んでくれる。唇を開いて受け入れると、ミルク粥のやさしい甘さが口いっぱいに広がった。なんとか全部食べきって、背中を支えてもらってオレンジジュースを飲んだら、だいぶ人心地ついた気がする。


 再び横になりながら、こんなこと子供のことにもあったなあと思い出す。先生にポプリをもらってから、毎日いろいろな夢を見るようになった。忘れてしまった六歳までの記憶も、だいぶ思い出せた気がする。


「……小さいころ熱を出したとき、お母さんがこんなふうに食べさせてくれました」


 先生は魔法で冷やしたタオルをリルのおでこに置いてくれた。


「そういえば、私はお母さんに似ているって言っていたね。私ではお母さんの代わりになれないかもしれないけれど、少しでもリルが落ち着ければ嬉しいよ」

「先生……」

「ん?」

「迷惑かけて、ごめんなさい」

「リル……」


 泣きたい気持ちでいたのはリルのほうだったのに、どうして先生がさびしそうな顔をするのだろう。


「迷惑だなんて、思ってないよ。リルは私の――私たちの、大切な家族なんだ。具合が悪ければ心配するし、元気でいてくれれば安心する。それは迷惑になんてならないんだよ。だって、家族は助け合うものだろう?」

「先生も、家族だと思っていてくれたんですか」

「そんなこと、当たり前じゃないか。アークだって、口には出さないけどリオだって、そう思っているはずだよ」


 視界がじわっとにじむのを感じた。自分が大切に思う人たちに、同じように思われていたことがとても嬉しかった。


「先生、ありがとう。リオくんにミルク粥のお礼を……、アークさんにも心配かけてごめんねって伝えてください」

「うん、伝えておくよ。おやすみ、リル。ゆっくり休むんだよ」


 先生が出て行ったあと、森での出来事を思い出す。早く眠らなきゃと思うほど顔がよけいに熱くなって、なかなか寝付くことができなかった。

 一人きりで良かったと思うのに、一人でいることがくるしい。こんな夜は、はじめてだった。



 次の日も大事をとって一日寝かせてもらうことになり、リルが魔法授業に合流したのは二日後のことだった。


「先生、リオくん、今日はよろしくお願いします」

「くれぐれも僕の足を引っ張らないでよ」

「がんばる」

「それぞれに合わせた授業をするから、二人とも心配しないで。リオはこの前教えた魔法陣を復習しようか」

「はい」


 リオは少し離れた場所で魔導書を見ながら呪文のようなものを詠唱し始めた。足元にぼんやりと円形の光が浮かび上がる。空に浮かんだ魔法陣を通ってここまで来たけれど、地面に描くのはどんな魔法陣なんだろう。


「リルも、今日は簡単な魔法を実践してみよう。最初は得意な魔法から始めるといいんだけど、今まで集中したときに不思議なことが起こったことはある?」


 塔にいたときに、街の人たちの会話を聞いていたこと。遠くの人たちの声まで聞こえるのが不思議だったこと。もしかしてこれが魔法なのかと思っていたこと。それらをすべて、先生に話した。


「なるほど。やっぱり、リルに感情がちゃんと残っていたのはそのおかげだったんだね。結界があっても遮れなかったリルの魔法が、リルを助けてくれていたんだ」

「あと、ここに来てから、人の感情が色や温度で分かることがあって……。それは魔法使いなら普通のことなんですか?」

「それは、集中していない普通の状態で?」

「はい」


 先生はしばらく真剣な顔で考え込んでいたが、


「それは私も聞いたことがないな。触れることで感情を読み取る魔法はあるけれど……」

もしかしてそれはすごいことなのかも、とその表情のままつぶやいた。

「そうなんですか?」

「うん。リル、得意な魔法ってね、その人の性質が一番現れるものなんだよ。攻撃的な人は攻撃魔法が得意になるし、人を守りたいと思う人は守護魔法が得意になる。リルは人を知りたい、人と関わりたいと思っていたから、人の心に関わる魔法が得意になったんだね。すごくリルらしいと思う」

「わたしらしい……」


 ひとりぼっちで塔にいた十年間を思う。街の人たちの会話を聞くと楽しくて、幸せそうで、自分がそこにいられなくても、人って素敵なものだなって思えた。もっと知りたい、もっと聞きたい、その素敵なものにずっと触れていたいと思っていた。

 その人の性質が魔法になるのだったら、きっとリルの願いが魔法になって、遠くの街まで飛んでいったんだと思う。

 リルが魔法のことを知らなくても、魔法はずっとリルのそばにいて、守ってくれていた。リルの心に呼応して、願いを届けてくれていた。


「わたし、自分の中のマナに、ありがとうって言いたいです」

「うん。――きっとリルの気持ちは伝わっているよ」


 胸にそっと手を当ててみる。マナが身体のどこにあるのかは分からないけれど、先生にそう言われると本当に伝わっているような気がする。


「じゃあ、リルの得意魔法も分かったことだし、それを伸ばしていくことにしようか? 訓練すれば、そのうち人の考えていることがはっきり分かるようになったり、物や場所に残った誰かの記憶を読み取る、なんてこともできるようになるかもしれないよ」

「それは……」


 そうなってしまったら、先生がなぜリルに嘘をついているのか、隠している事実までリルに分かってしまうということだ。先生が望んでいないのにも関わらず。

 人の心を読むことがいいことなのかどうか、リルには分からないけれど――。先生に抱きとめられたときのように、最近では自分でも説明のつかない感情も増えている。誰にも知られたくない気持ち。自分の心に鍵をかけて、大事にしまっておきたい思い出。それが分かるようになってきたから、自分以外の人の心も大切にしたいと思える。


「わたし、人の気持ちがぜんぶ分かってしまうのは、やっぱりすこし怖いです。もし、その人が知られたくないと思っている気持ちを知ってしまったら、わたしはそれを嬉しいとは思えないから」

「うん。……そうだね、リルの言うとおりだ。私は少し無粋なことを言ってしまったかもしれないね。じゃあ、この魔法についてはリルの自然な成長にまかせよう。リルがそう思っているのだったら、魔法のほうも必要以上に成長しないと思うから、心配しないで」

「はい」


 珍しい魔法だと言っていたし、本当は訓練したほうが先生のためになるのかもしれない。でも先生は、リルの気持ちを尊重してくれた。


「じゃあ、これからは基本的な魔法を覚えていくことにしようか。火をおこしたり、物を動かしたりっていう、生活に役立つ魔法だね」

「それはとっても、お料理やお掃除に役立ちそうです」

「だろう? 魔法学校でも最初のほうに習う初歩的な魔法だからね。じゃあ、私は参考になりそうな教科書を取って来るよ」

「あ、わたしも行きます」


 リオに声をかけてから、家の中に作られた書斎まで一緒に行く。本棚だけでぎゅうぎゅうになっていて、人が二人入るとすれ違えないくらいの小さな部屋だ。自由に使っていいよと先生が言ってくれたので、最近はここから読み書きの教科書や料理本を借りて読んでいる。


「え~っと、確かこの棚だと思うんだけど……」

「先生」


 書斎の扉が閉じないように押さえたまま、本棚を探る先生に声をかける。


「ん?」

「先生とリオくんは、どんな魔法が得意なんですか?」

「ああ、そういえばさっき話してなかったね。私は自然界にあるものを操る魔法かな。さっきみたいに風を操ったり、雨を降らせたり。水や火もそうだね。あとは植物の成長を促すのも好きだから、畑いじりが楽しくてね。……ああ、あった。この本だ」


 にぎやかな街にいるより、静かな森に住むことを選んだ先生らしいと思った。


「リオくんは?」


 先生は、高いところに伸ばした手を一瞬止めた。


「リオは……、治癒魔法だよ」

「治癒? 人や動物を治すってことですか?」

「ああ」

「そういう魔法なら、すごくたくさんの人の役に立てそうですね」

「――そうだね」


 先生は、それ以上返事をしなかった。いくつかの教科書を抱えてリルに歩み寄る。


「先生?」

「教科書、見つかったよ。初歩的なものをいくつか見繕っておいたから、今日使うもの以外はいったん部屋に置いておくといい」

「はい」


 とさとさと、腕の中に一冊ずつ分厚い教科書を落とされる。


「じゃあ、私は先に行ってリオを見ているから」


 リルの返事も待たずに、先生は背中を向けて行ってしまった。


 一人で自室に戻り、書き物机の上に教科書を置く。ついでに羊皮紙の束と羽ペンも教科書に挟んで持っていくことにする。

 用意をしながら、リルは先ほどの先生の様子を思い出す。表情は変わっていなかったけれど、声がわずかに硬かった。そして、リルの視線をかすかに避けた先生の瞳が、これ以上訊かないでくれとリルに懇願しているみたいだった。


「リオくんの治癒魔法……」


 単純に、すごくいい魔法だと思った。そう言い切れない何かが、先生にはあるのだろうか。

 先生の心が戸惑いに揺れていた。リルの魔法がなかったら、分からなかったくらいのわずかな色の変化。それが分かってしまった自分が悲しい。先生をそうさせてしまったのが自分だということは、もっと悲しい。

 魔法があっても、なくても。人の気持ちに触れることは嬉しいことばかりじゃない。それでも、自分の心も大好きな人の心も大切にしたいと願うのは、わがままなことなのだろうか。


「人の心って、むずかしいな……」


 そのことを、リルはだんだんと分かり始めてきたのだった。

 その日、リオが完成させた魔法陣の中では、カエルがゲコゲコ鳴いていた。

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