日記17
電脳世界
「彼女が実家の近くの病院の勤務を希望していた」のが通って、引っ越す事になり、私も一緒についていくつもりだった。
だが彼女の父親から「絶対にダメだ」と反対を貰い、同棲は解消される事になった。
私は、そこの街に留まる理由も無いので、実家に戻る事にした。
「生活費を入れるなら置いてやる。」
高慢な父の態度に苛立ちがあったが、行く所も無く、自衛隊も車でそれほど掛かる場所でも無かったので、「月2万入れる」という約束で、実家に戻った。
30歳を過ぎ、転職を繰り返していて、愚連隊の訓練に参加しつつ、就職するのには、少々年齢を重ねすぎたようで、どこも雇ってくれなくなった。
面接に行くと「今まで何をやってたんだ。お前みたいな奴、普通の所は雇わないよ。」などと、散々理不尽な説教を垂れられて、結局職がないという現状になって、社会的に死が近いと感じていた。
そんな事を愚連隊でグチっていた。
愚連隊の先輩がパソコンのお古をくれた。
愚連隊の後輩が小物作りのやりかたを教えてくれた。
私は考えた。
小物作りで50万ぐらい稼ぐ事が出来たら、愚連隊の給料を足して、何とか食べられるぐらいの稼ぎに出来るのではないか?と。
先ずはパソコンをネットに繋ぎ、ウェブカメラを買い、小物作りをしている所を見せて、興味を持った人が依頼してくる。
そして依頼された小物を作っている所を、ウェブカメラで配信して、それを他の人も見て、俺も私もと依頼は殺到するのではないかと思った。
こういう仕組みを考えた。
実際にやってみると、ひやかしも多かったが、何とか成功して年収が120万円程になって、家を出て行くためのお金を得る事に成功した。
私が稼いでいる事を父が知ると「毎月10万円を家に入れろ」と、理不尽な事を言い始めたが無視した。
配信を始めた当時は、父が「遊んでいないで働け!」と配信に割り込んできたり、テレビのローカル番組を爆音で流すなどの嫌がらせをして、配信を中断せざるを得ず、その度に父と口論になった。
配信中継中の父の嫌がらせもまた、私が身の上を話す言葉に真実味を増して、依頼者が報酬に色をつけてくれて、「家から出られるようにがんばれ」と涙が出るような言葉をくれた。
私は必死に小物作りに精を出して、世間様に向かっても恥ない仕事が出来るようになっていった。
ただ、日に日に父の様子が変になって行くのに、私はあまり気がつかなかった。
「収入の全てを寄越せ。家に置いてやってるのだから。」
私はお金に汚い父が、疎ましくて仕方なかった。
そして周りの誰にも見えない、私にしか見えない、腐ったような臭いを放つ、笑顔の母も、疎ましくて仕方なかった。
2017.7.29 土曜日 平成29年




