アキラ妄想する
『わかば』に向かうヒロと真理子の後ろ姿を見送りながら、奈美はスマホを取り出し静江に電話をした。
「母さん、ヒロさんがマドンナを連れてそっちに向かったからね」
スマホの向こう側で静江と源が驚き、喜んでいる声が聞こえる。奈美は二人の興奮が納まってから話を始めた。
「ヒロさんの為に頼みがあるんだけど、母さんいいかな?」
アキラの特異体質のモテ効果の事でヒロに言い忘れたことがあったからだ。
静江はヒロちゃんの事だったら任せときなと言い、なんだい?と聞いた。
まじないの持続時間が約三十時間だということ、
明日の今頃の時間は未だまじないが効いているはずだから、明晩も真理子をデートに誘って欲しいこと。
それと、明日のデートが終わるまでは、モテ効果が消えてしまうから風呂に入らないようにと伝えて欲しいと言った。
「母さん、明後日にはモテるまじないの効果は消えちゃうんだよね、どうしようか……」
「わかったよ、後は私と源ちゃんにまかせなよ。ヒロちゃんの為に一肌脱ごうじゃないか、ね、源ちゃん?」
電話の向こうで源が、奈美ちゃん任せろと言っているのが聞こえた。
奈美は安心して振り向くと、
アキラは涙ぐんで鼻をすすっていた。
「よかったね……ヒロさん……う……」
ほら、鼻水拭きなさいよとポケットティッシュを取り出した。
「モテ効果が無くなってからが、ヒロさんの本当の勝負なんだから泣くのは早いのよ! アキラ!」
奈美はアキラの鼻水を拭いてやり、背中をバンッと叩いた。
「明日から早朝コンビニバイトでしょ、帰るわよ!」
二人は高田アーケード商店街を後にした。
アパートに向かいながら奈美は思っていた。確かに二晩はいい感じになるだろう、可哀そうだけどモテ効果が終われば真理子とはそれっきりになるかもしれないが、仕方がない。
三十五年間モテなかった男が、二日間マドンナといい感じになった結果は事実として、それでも効果はあるだろうと踏んでいた。
脳天気にヒロの幸せを予感してスキップするアキラを後ろに感じながら、今後どうするかを考え家路に着くのだった。
この時、静江に言い忘れた注意がある事に奈美は気づいていなかった。
ヒロに仕方なく近付く時は一瞬にしなさいと……そして三メートル以上離れるようにと……。
寂れた『わかば』にはこの時間は客が来ないだろうと安心して、
母、静江が一応女である事を忘れていたのだ。
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コンビニバイトは公共料金振り込み、宅配便、チケット販売やバックヤードの仕事など、思いの他覚える事が多く、アキラは一週間を長く感じていた。
今日は金曜日でバイトは休みだったが、アキラは週間になりつつある朝の早起きでいつも通りに起きてしまい、
仕事に向かう奈美にトーストと目玉焼きを焼いて、いってらっしゃいと送りだした。
彼女との同棲生活ならば、いってらっしゃいのキスとか、お帰りのキスとか……その他のキスとか……。
期待していたアキラだったが、転がり込んでから今日までそんな気配は感じられないのでガッカリしていた。
「こんなもんなのかなぁー」いや、これは普通ではないだろう。いや、こんなもんだと思考をぐるぐる巡らせながらグラビアアイドル誌を眺めてた。
相変わらず寝床はソファーのままだし、勿論、身体で返してもいない。
「これって、同棲っていわないよね。どう思うアリスちゃん?」
雑誌の中のアイドルアリスちゃんは、冬にもかかわらずコートの下はビキニだった。
ファーの付いた合わせ部分を自ら開き、Fカップを惜しげもなくアキラに見せながら誘っている。
「可哀そうね、アキラ君。私が温めてあげましょうか?」
「アリスちゃんわかってくれるんだね、そうなんだよ可哀そうでしょ? だから、温めてー」
アキラはガバっと雑誌を顔にくっつけた。
頬っぺたを付けた時のツルッっとした紙面の思った以上の冷たさに、反射的にアリスちゃんを放り投げた。
「君のほうが冷たいじゃないか、やっぱり、奈美ちゃんがいいや……」
アリスちゃんとの長時間に渡るデートに飽きたアキラの、一人芝居は終わった。
つまり、ヒマなのである。
アイドル誌をソファーの下に差し込んで隠している時、玄関のインターホンが鳴ったのでドアを開けると、宅配便のお兄さんが大きな包みを床に置いていた。
奈美宛ての荷物だったがサインをし、キッチンの前を引きずりながらリビングまで運び入れる途中で、
中身が何であるのかが分かった。
柔らかい感触と、大きさに反した軽さは……布団だ。
「やったー、多分、僕のだ!」
リビングは今、ベット替わりにしているソファーがあるのできっと置けないだろう。
いや、絶対に置けないとアキラは喜び、飛び跳ねた。
一緒の部屋で布団に寝れるかもしれないと思うと胸が高鳴って、奈美の寝室のドアを少しだけ覗いて見ようと、ソーッと開けた。
隙間に顔を近付けた時もう一度インターホンが鳴り、飛び上がった。
また、別の宅配便のお兄さんだった。今度の荷物は背丈より少し低い大きい薄い箱で、リビングまで運ぶのが重く何度か足の指にぶつかり、悲鳴を上げながら運び入れた。
固く重い荷物の中身は想像したが分からなかった。
奈美の寝室を隙間から覗きつつ布団の包を眺めながら、暫く妄想を繰り返し楽しんだアキラだったが、それにも飽きてきてふっとヒロの事を考えた。
特異体質のモテ効果はとっくに切れているはずだ。奈美は「なるようになるでしょ」なんて言っていたが、急に気になりだした。
そして高田アーケード商店街に行ってみようかと思い立ったのだった。