アキラ引きずられる
奈美は早くしてよと、ヒロに声をかける。
「すぐ終わるから、待っててくれ」
そう言うと花屋の店内に消えていった。
アーケード商店街の中央にヒロの店はある。狭い店構えだが全面がガラス張りになっており、
ショーウィンドウの中央には人間がスッポリ入ってしまう程の大きな花瓶が設置してある。
季節の花だけでなく、木まで飾れるように天井が高いのだ。
それだけでも圧巻なのだが、花瓶の周りはヒロによる個性的なフラワーアレンジメントの作品で彩られ、道行く人の足を立ち止まらせていた。
ショーウィンドウに貼りつくようにアキラは見入っている。
「綺麗だね、奈美ちゃん……」
問いかけに気もそぞろな奈美は「そうね」とだけ返し、落ち着かない様子で店内を覗き込んだ。
奥ではヒロがバイト君に手伝わせながら作業をしている。
五分も経たないうちに戻って来たヒロは、綺麗にラッピングされたフラワーアレンジメントを抱えていた。
グラデーションの美しい青い花々でまとめられたそれは、清楚な真理子をイメージさせた。
入口から店内に向かって、二十時になったら店を閉めて帰ってねとバイト君に指示し「お待たせ」と言った。
「素敵……」と呟くと、奈美はヒロに近付いた。
奈美の視線は手に持っている花ではなく、ヒロを見つめていた。
「ねえ、マドンナじゃなくて、私にしない? ヒロさん……」
艶っぽい声を出した奈美に、腕を握られたヒロは驚き、
どうしちゃったんだい? と、後ずさった。
突然、アキラが声を張り上げた。
「あわわわ! 始まっちゃったよ! ヒロさんお願い、奈美ちゃんから三メートル離れて!」
慌てたアキラは後ろから奈美を羽交い絞めにした。
そう、モテ効果は始まっていたのだ。
「ヒロさん、おまじないの効き目は三メートル以内だからね! 先に行って!
一瞬だけなら大丈夫だけど、できるだけマドンナ以外の女の人には近付かないように気を付けてね」
「あ、あぁ、これが、まじないの効果なのかい?」
疑心暗鬼のままのヒロだったが、心の中は玉砕の覚悟ができていたので、よしっと、小さく気合を入れ直しアキラと奈美を残して歩を進めた。
「なにするのよ! アキラ離しなさいよ! ヒロさんが行っちゃうじゃないの!」
後ろから動きを封じられた奈美は身体を解こうと、踵でアキラの向う脛を蹴り上げている。
脛の痛みにアキラの腕が少し緩み、奈美は肘で背面のアキラに向けて、パンチを繰り出した。
「ダメだよ! ヒロさんはマドンナに会いに行くんだから、しっかりして……アウッ!」
奈美の繰り出した肘パンチがみぞおちにヒットした。
「待ってよお、ヒロさぁん! 私の方がいいってばー」
振り払い走りだそうとする奈美の両足を、腹を抱え倒れ込みながら両手で片方ずつ掴んで、
路面に突っ伏した。
心配そうに振り返りながらお茶屋に向かって歩いていくヒロに向かって
「がんばってよー!」と倒れたまま、頭だけを持ち上げた。
ヒロはアーケード街を行き交う女性を蛇行歩行で避けながら遠ざかって行く。
両足を掴まれた奈美は床にうつ伏せに寝そべったアキラを引きずりながら、
一歩、また一歩と足を前に出した。
商店街の通行人達は、野球練習のタイヤ引きよろしく進む二人を怪しむように、
遠巻きに避けて通り過ぎて行った。
五歩も進んだだろうか、奈美の動きが止まった。
「……うそ……私、モテ効果にやられてたの? ……凄いわ、ヒロさんの事が急に魅力的に見えて、なんか、こう、ポーッとして…………? どうしてこんなところで、寝そべってるのよアキラ!」
「なんで寝そべってるのかって? そりゃないよ、奈美ちゃん……」
立ち上がったアキラの手を、行くわよと引っ張り、二人はお茶屋に向かった。
お茶屋の手前で足を止め、二人は身を隠せる場所を探した。
隣の薬屋の角に置いてある小学生程の大きさのピンクゾウのマスコットの影に隠れると、
覗き込んでヒロを見守った。
お茶屋の店先ではヒロがお茶を物色しているように見える。
真理子はというと奥のレジで伝票でも整理しているのだろうか、下を向いている。
二人の距離は三メートル以上離れていた。
奈美とアキラはヒロだけが分かるようにピンクゾウから身を乗り出し、ブンブンと手を振りゴーサインを出した。
ヒロはそれに気ずいたが、尚も袋詰めされたお茶を吟味しているフリをしている。
「あんたたち、何やってんのさ!」
突然背後から声をかけられた。
声をかけてきたのは白衣を着た薬屋のさっちゃんだった。さっちゃんはおしゃべりで有名な地声の大きいおばちゃんだ。
人差し指を口にあてた二人に、シーッと言われたさっちゃんは普通の声で話し出した。
「わかばの奈美ちゃんじゃないか、そっちは新しい彼氏かい?」
面倒なので、そんなもんかしらねと奈美は言い。そうですとアキラは言った。
二人の視線の先を追ったさっちゃんは、ハハン、成る程ねと腕を組んだ。
「へぇ、花屋のヒロちゃんが真理子ちゃんにね……真理子ちゃんは無駄だよ、どんな男でも無理だと思よ……」
「どうしてよ、さっちゃん?」
さっちゃんの話によると、言い寄る男達の中の何人かと真理子は付き合った。
だが男達は真理子を腕時計かアクセサリーように扱った。つまり、友人や知人に見せびらかし、自慢するような態度を取ったのだと言う。
「つい最近も、私の中身を好きになって近づいて来る人はいないのねって嘆いていたからね、
暫く誰とも付き合う気がしないって言ってたよ」
そんな話をしている間にヒロは真理子に接近していた。どうやらヒロはお茶を買ったらしい、
レジの前で真理子と話をしている。
お釣りを差し出した真理子の手はヒロの手に添えられ、ヒロをジッと見つめている。
ヒロの顔が首まで赤くなっているのがわかる。
そしてヒロはフラワーアレンジメントを手渡した。
差し出された手は、もう一度真理子の両手でしっかり覆われた。
ヒロは真剣な顔つきになり何かを真理子に話している。
真理子は頷き、ヒロの手を取り店先から外に出てお茶屋のシャッターを下ろした。
そして真理子は、ヒロの左腕を両腕で抱え、ピッタリとヒロに寄り添ったのだった。
奈美はガッツポーズをし、アキラはピンクゾウのおでこに、やった!と言ってキスをした。
さっちゃんは「こりゃ、たまげたねー! ちょっと、お父さん大事件だよ!」と薬屋の中に走って消えた。