アキラ頑張ってこする
真理子は今の時間店番を閉店の二十時まで任されている。お茶屋はすでに兄夫婦が継いでおり、幼稚園の子供が二人いるので夕飯時は真理子が店を手伝っているのだ。
それでも、用心に越した事はないと奈美はアキラに真理子が写っている例のポスターを見せ、アーケード商店街のお茶屋の場所を教えて覗いてきてもらう事にした。
その間にアキラの特異体質の事を“まじない”という表現で簡単にヒロに説明した。
息を切らして走って帰ってきたアキラは、ポスターの人がいたよと言った。
「じゃあ、始めましょう。あと一時間二十分でお茶屋の閉店になっちゃうわ、アキラ急いで脱いで、ヒロさんもね上半身だけでいいから」
ヒロは一瞬戸惑ったが、決めたことはやる男らしい性格も持ち合わせていたので従った。
「アキラ、始めてちょうだい」
わかったよ奈美ちゃんと言い、アキラはヒロに抱きつくと丁寧に身体をこすりつけ始めた。決心が固かったヒロも流石にアキラの行為に驚いた。
「……な?……これ、なにしてるの?」
男に抱きつかれている気持ち悪さと、くすぐったいのに加え、素肌が触れ合う生理的な快感で身体をよじらせた。
静江は、なんのプレイなのこれ?とタバコの灰が落ちるのも気づかず大笑いしている。
「いいから、強力なおまじないなのよ! とにかく信じて……」
真剣な奈美の問いかけも消えるほどの大声で静江は笑い続けている。
アキラはヒロの幸せの為に、そして奈美の全裸を防ぐ為に必死でしがみついている。
今度はヒロの後に回り込み背中に抱きつき、こすり始めた。
我慢ができず笑い始めたヒロは、更に身体を捩じらせた。
突然入口のドアベルが鳴った。ドアを開けた途端、動きが止まった客は常連の源だった。
「おいおい、いつからここはショーパブになったんだい?」
男二人の痴態を見てコレじゃ金は取れないなと言い、蛸のようにくねり合う二人を見て笑いだした。
奈美はついていた。身だしなみの整ったこの初老の紳士は高田商店街のドンと呼ばれる人物で、駅前の一等地で不動産業を営んでいる。商店街組合の会長を何年も務め信頼も厚く、源の一声で組合員が従う光景をヒロも静江も幾度か目にしている。
今回の計画が成功して源が何処かで話せばアキラのまじない行為に信憑性が生まれるに違いない。
「一体何が始まったんだい? ヒロはついに女を諦めて男に走ったのかい」
「ち、違うんだよ源さん……」
説明しようとするがアキラが抱きついたまま離れないので、アキラを引きずりながら源に数歩近づいた。
「俺、今から一世一代の勝負に出るから、源さん成功したらご祝儀くれよ!」
ふーん、内容にもよるなあとカウンターに腰掛けた。
「今から、マドンナに告白する」
店内の全員が「え?」と口をそろえて言った。余程意外だったのか一番大きな声を出したのは源だった。
奈美が言う。
「ヒロさんそこまでやっちゃうのね!」
静江が続く。
「ヒロちゃんそうこなくっちゃ!」
源が最後に後押しをした。
「よし、マドンナと付き合う事が出来たら五万円祝儀を払おう……
だが、それとヒロにくっついているコバンザメは何の意味があるんだい?」
その質問には奈美が答えた。
「この子はアキラって言うんだけど、モテるまじないが使えるのよ。ま、こんな変なまじないなんだけどね、強力な力なのよ。マドンナだっていちころよ!
だだし、付き合いを続けるまでの責任は持てないんだけどね……」
アキラは源の威厳のある雰囲気に圧倒されていた。無言でヒロから離れペコリとお辞儀をした。
「なんだか訳がわからんが、まあいい、ヒロ! 成功したら、デートに誘ってここにマドンナを連れてくるんだぞ」
「よし、行ってくる!」
ヒロは気合を入れ服を着た。
奈美のさぁ行きましょうの一声で、ヒロと奈美が『わかば』を後にした。
「頑張りなよー!」と静江がヒロの背中にエールを送った。
アキラはもぞもぞとシャツを着ながら源と静江に深々と頭を下げ後を追った。
静江は源にコーヒーを淹れながら、相変わらず源ちゃんはいい男やってるわね五万円かフフッと笑った。
「ヒロは思い切ったことしたなぁ……俺は絶対無理だと思うけど。静ちゃんはマドンナを連れてくると思っているのかい?」
「連れて来るさー、奈美がついてるよ、あの娘のあんなに真剣で楽しそうな顔久しぶりに見たからね」
「あのアキラって若い子は、奈美ちゃんの彼氏なのかい? 静ちゃんはあんなタイプが好きだろ?」
「一緒に住んでるってさっき聞いたから彼氏なのかしらね、タイプか……そうだね私は変わりものだからね、弱っちくて可愛いじゃないのさ子犬みたいでさハハッ。でも、奈美のタイプは違うんだよね……」
『わかば』の店内は二人の会話によって普段の落ち着いた空間に戻っていった。
ヒロの報告を待ちながらそれぞれ違う事を思い、ゆったりとコーヒーを飲むのだった。
源はどうやって慰めようかと……。静江はどうやって応援しようかと……。
そして、源が2杯目のコーヒーをすする頃には二人は同じ事を思っていた。
ヒロは両親を早くに亡くし高校卒業後すぐに花屋を継いだ、そして、自己流ではあるがフラワーアレンジメントを学び、落ちぶれかけていた花屋をあそこまで盛り上げた。
辛さなど表面には出さないヒロだが大変な苦労だったろう。
幸せになってもらいたいと……。
「私が若けりゃねー、ヒロちゃんの所に押しかけてでも嫁に行っちゃうんだけどさ」
「看板娘が年増の魔女じゃ、客が逃げるな。花も萎れそうだ」
もう!と言って静江は源の肩をピシャリと叩いた。
「上手くいくように、応援してやろうよ源ちゃん」
「勿論だろう」
やっぱり源ちゃんはいい男だねーと言って静江は豪快に笑った。
『わかば』に残された二人がそんな会話をしているとは知らず、ヒロの心は萎れていた。
店から出た途端十一月の冷たい風と路地の寂れた雰囲気がヒロを包んで、温められたヒロの希望の炎は徐々に弱まっていった。
そしてアーケード商店街の明るい照明の中に出て行き交う人々を見た瞬間に、一気現実に引き戻され冷静になった。
なんてバカな事を引き受けてしまったんだろうと、後悔の念が足取りを重くさせていた。
奈美とアキラを見ると自信ありげに意気揚々と歩いている。
そんな姿を見て引き返せないと、もう一度腹をくくり直すのだった。
そして、すぐ左手に見える自分の店にちょっと寄っていくからと声をかけた。