アキラ下がって、上がって、また下がる
油大福が『わかば』を去り際に言った遠野俊介とは、奈美が高校二年の時に付き合った初めての彼氏だった。
俊介には、俺に任せろ的な父性を感じさせる所があるが、けして威張らず気遣いのできる男だった。
奈美が不愛想なのに対し、俊介はいつも奈美を笑わせようと皆の前でもオープンに付き合い、からかわれても気にも留めずに接してくれる男らしいところにも、奈美は惹かれていた。
奈美の父親は静江が妊娠中に仕事中の事故で亡くなったので、無意識に父親像を求めるせいなのか、父性の強いタイプに惹かれるのだ。
俊介との始まりは付き合おうとの、告白もなくいつのまにか自然に二人で行動を共にしていた。
周りのクラスメートはそんな二人を付き合っていると思っていたし、
告白こそなかったが本人たちもそう思っていた。
その頃の『わかば』では毎日のように、制服のまま仲良く課題や受験勉強をする二人が見られたのだった。
大学がバラバラになると新しい環境に慣れるのに忙しく、奈美は俊介の事を忘れた訳ではなかったが、お互いに合う機会が減り合わない事が日常になった。
つまり始まった時と同じように自然消滅ってやつだった。
大学三年になる頃友人の一人から、俊介に彼女が出来た事を聞いた。
噂では小柄で可愛らしく、守ってやりたくなる典型的な女性だということだった。
「奈美はさあ、あのタイプに弱いんだよね。ま、俊介君とが一番長かったからね。その後は似たようなタイプを連れて来たけど、ハズレだね、全部三か月でお仕舞さ」
「そうね、一緒にいて一番楽しかったのが俊介かもね。だってさ、後の男達は親密になる前に衝突して終わりなんだもの、彼氏って言わないわ」
「俺に任せろのあのタイプはさ、風に飛ばされそうな儚そうに見える女が好みなのさ」
「そうなのよー! それ私も分かってて天邪鬼だから、反抗して段々こんな性格になっちゃた! 私だって、あの頃は少しは儚げだったと思うわよ! ハハッ、母さんビール飲もう!」
「あーあ、アキラちゃんが奈美の元彼の話が出てショックで黙っちゃったね。アキラちゃんも飲もう!」
「あ、はい」
アキラの気分はどん底だったので二人の会話に相槌を打つこともできず、話に耳を傾けるしかなかった。
自分が奈美が好きなタイプとは真逆な『俺を任せますタイプ』なのは周知の通りだし、自分自身が一番良く知っているよと、落ち込む以外にすることが見つからないアキラだった。
注がれたビールに手を付けず、グラスの底から出ている気泡の糸を眺めていると、既に二杯目を飲み終わった奈美に帰るわよと言われ、まだ夜も早い商店街を駅に向かいローターリーを超え、アパートに向かう途中も奈美と会話をする気持ちになれなかった。
出会った居酒屋の前で、奈美の足はピタリと止まった。
「ね、アキラ、飲んでいこうか!」
奈美はアキラの手を掴み居酒屋の暖簾を潜り、出会った時と同じカウンターに座って二人分の生ビールを注文した。
ビールを運んで来たのは、あの時のむさ苦しい熊みたいな店員だった。ヒゲを整えているせいだろうか?何故か以前よりこざっぱりと見える。
奈美とアキラを見ると気付いたかのように、アレ?という表情になった。
「もしかしたら、前、裸になって俺にしがみついたお客さん?」
アキラの方を窺い話しかけてきた。
「あ、あの時は、本当にごめんなさい。今日はしませんから大丈夫です」
「俺、あの後噂聞いてさ、抱きつく妙なまじないで女にモテるっていう噂なんだけどね? 君がもしかしたらそうなのかなと思ってさ」
アキラと奈美は顔を見合わせクスッっと笑い合った。
「さあ? そうかもしれないわねー」
奈美が意味を含ませたように言い、もう一度アキラを見て笑う。
「抱きつかれた後さ俺モテちゃって、今、その時の子と付き合ってるんだ」
「ああー、おめでとうございます。女子大生捕まえちゃったんですね?」
「そうなんだよ、初カノなんだ。ありがとな」
二杯目の生ビールを運んで来た時、照れながらこれ食べてよと牛スジ煮をカウンターに置いていった。
「なんだか、嬉しいわねアキラ……」
「そうだね、奈美ちゃん。僕たちがあの人を幸せにしたんだもんね」
「そうよー、アキラは凄いのよ。ヒロさんだって、アメンボとミズカマキリだって、モテ効果が効が無駄になちゃった油大福だって……ね、そうでしょ?」
アキラのどん底だった気分は、奈美の言葉でいっぺんに吹き飛んだ。
「奈美ちゃん、飲もう! はい、カンパイ!」
二人がジョッキをカチャリと合わせた時だった。
「本間じゃない?」
カウンターの後ろを通り、帰る途中の客が声をかけてきた。
「俊……遠野君?」
聞き憶えのある名前にアキラはガッツリ後ろを振り返った。
遠野と呼ばれた男の横には、小柄で可憐な女性が腕に手を添え立っていた。
花で例えるなら寄り添う事で引き立つカスミソウだ。
「久しぶりだね? 元気だった?」
「ええ、この通りよ。それより油大福から聞いたわよ、ご結婚ですってね? おめでとう!」
「ありがとうございます」
女性が小鳥のような声で礼を言った。
遠野は、奈美を高校時代の同級生だと女性に説明した。
「えっと、そちらは?」
奈美はアキラの腕を取った。
「私の恋人なの」
「一緒に住んでいます」
アキラは背筋を伸ばし胸を張った。
「そうなんだ、お幸せにね。本間、じゃあ、お先……」
「遠野君も、お幸せにー!」
細身の三つボタンのスーツをカッコよく着こなした遠野は、彼女の手を取り、身重の女性を守る仕草で居酒屋を出ていった。
「アキラ、飲もう! 乾杯やり直しね!」
「おう! 奈美ちゃん乾杯だ!」
奈美と元彼との再会はあまりにもあっけなく終わり、拍子抜けしたアキラだったが。
「私の恋人なの」と紹介されたのにもかかわらず少しも嬉しくなかったのは、奈美の強がる心の声に触れたような気がしたからだった。
(あなたは幸せなんでしょうけど、私だって負けてないわ)と……
酒に弱いアキラはすぐに酔った。
酒に強いはずの奈美もこの日ばかりは酔いが回るのが早かった。
二人でアパートに着いたアキラと奈美はふらついた足を引きずりながら、同時にアキラの布団に倒れ込んだ。
「まったくさあ、好きでこんな性格になったんじゃないっていうのよ。好きになった男は皆、あーゆー、ヨワッチイ女がいいんでしょ? だからね、コッチはひねくれちゃう訳よ! わかる? アキラ?」
「わかるよう、奈美ちゃん。好きな人のタイプじゃないっていうのは、辛いよねえ、ヒック。分かりすぎるよ」
「私だってね、ヒラヒラしたワンピースを着て、小鳥のような声で囁けばね。あのくらいの可愛さは出せるわよ」
「僕だってね、びっしっとスーツでキメてね、ヒック、んと、なんだっけ? そうだ奈美ちゃんをこう、危なくないようにエスケープして、ヒック、守るんだから!」
「逃げてどうすんのよ、エスコートにしなさいよ!」
奈美は布団の上で身体を折って大笑いしている。
アキラが突然横を向き、ガッシっと奈美の頭を両手で掴み、オデコをくっつけた。
「笑っちゃダメでしょ! 奈美ちゃんは今、可哀そうなんだからっ!」
怒り口調で言い終わると同時に、オイオイと泣き出した。
「なんでアキラが泣くのよ? 私も泣きたくなっちゃうじゃないの……」
奈美も涙が溢れてきて、アキラの泣く声に合わせるように泣き始めた。
酔っ払いの深夜のテンションは意味もなく、
いや、それぞれに意味は有ったのかもしれないが、
布団の上で向かい合い、二人を子供のように泣かせるのだった。




