アキラ戸惑う
翌朝、アキラは頭の痛みで目が覚めた。
ここは何処で自分はなぜ見覚えのない天井を眺めているんだろう? と思っていた。
瞬きもせず天井を見つめながらアキラの脳細胞は少しづつ動き始めた。起き上がろうかと頭を動かすと襲う割れるような頭痛に二日酔なのがわかった。
目だけで、周囲を見回すと壁もこの部屋も見覚えがない。どうやら、自分が寝ているのは誰かの家のリビングに置いてあるソファーのようだ……。
この部屋が女性の部屋である事は、掛けてある事務のスーツがスカートである事から分かる。
(え? …………女性?)
そこまで理解できたアキラは頭が割れそうなのも忘れて飛び上がり半身を起こした。
目を何度も擦ってみたが夢ではなかった。
八畳ほどのリビングの先には出入口があり、長い暖簾のような洒落た布で装飾してあるので奥の全貌は見えないが、わずかにスリッパを履いた足元だけが見え隠れしている。細い足首の主は料理を作っているのだろう油のジューッという音がする。
夕べの記憶が途中から無かったアキラは、急いで記憶を辿った。
アキラは酒に弱い。居酒屋に入りカウンターに座って良心的に濃い三杯目のウーロンーハイを頼んだまでは鮮明に覚えていた。
四杯目を頼んだとき、椅子一つ空いた場所に事務スーツを着たいかにも仕事が出来そうな女性が座り慣れた口調でビールを頼んだ。
一人でビールを飲む横顔をカッコイイと感じ眺めながら気が付いたら四杯目は空になっていた。
奈美は整った顔立ちをしている。俗にいう美人顔である。だがクールな印象は近づきにくい雰囲気を漂わせていた。
五杯目を注文したアキラは
(最近、何もかも上手くいかないしどうせ僕なんかダメだろうけど、……声をかけたいなぁ……この街ともお別れだし、思い出作っとくのもいいかもしれない)という思いが膨らんだ。
酔っている今なら出来るかも知れないという言葉が頭の中を何度も駆け巡り
心臓が今にも爆発しそうになった所で
五杯目のグラスを一気に流し込んだ。
「あの……今晩は、少しお話してもいいですか?」
やっと聞き取れる震える声で言った。
チラッっと一瞥した奈美は口を付けていたビールジョッキをドンッと周囲に響く大きな音を立てて置いた。
「はぁ?」尻上がりに返された返事に怖気づいたアキラの脳内は数秒で沸騰した。
(な、なんだい!気取っちゃってさ、自分が美人だからって天狗になってんじゃないの? あぁ……自分、最後まで上手くいかなかったなぁ……ちくしょー!)と怒りに変換された。
ここまでは、なんとか覚えていた。でもなぜこの部屋に泊まったのかは頭をフル回転させても見当がつかなかった。
痛む頭を抱えて考えていると、暖簾をくぐり部屋着姿の奈美がトレーを持ってリビングに入ってきた。
「あら、起きたのね。おはよう」
そう言いながらハムエッグを目の前のテーブルに置いた。
「今、トーストが焼けるから」
まるで以前からアキラが同居しているかのように言った。
襟元の広く開いた身体にフィットしている部屋着を着ている奈美を見て、まずい事になったと思った。
いくらムシャクシャしていて泥酔していたとはいえ、普段のアキラにはあり得ない行動で、自分から女の人に声をかけるなんて考えられなかった。
足元に丸まった毛布の皺が、声をかけただけじゃないだろお前はここに泊まったんだよと笑っているように見えた。
それにこのシチュエーションは何時かの映画で見た事がある。この後、サングラスに派手なシャツの男が帰って来る。
「おまえ!何をやっているんだ!!」
まず、女の襟首を掴んで往復の平手打をし、女は泣きながら訴える。
「違うのよ許してちょうだい……あの男が無理やり私を……」
男は足にしがみついた女の蹴とばし、視線はこちらに移動する。
「なにぃー、お前が!……コノヤロー!!」
胸ぐらをつかまれボコボコに殴られる。顔は青痣だらけになり口の中が切れて血が流れたところで正座をさせられ、最後にたんまり金を取られるあのお決まりのシーンそっくりじゃないかとアキラの想像は広がった。
(こんな美人に男がいない訳がないじゃないか……ヤバイ……)
トーストの焼き具合を見に行った奈美にアキラは声をかけた。
「あ、あのう……朝ご飯は結構です……す、すぐ帰りますので……」
立ち上がり、そっと一歩を踏み出したとき、自分のシャツのボタンが一個ズレている事にアキラは気が付いた。
居酒屋に着いた時はズレてなかったはずだ。ということはその後何処かで脱いだ事になるのだ。
アキラは必至に思いだそうとしたが記憶は戻ってきてはくれなかった。
(ま、まさか……ここで……あの美人とHな関係になっちゃったのか……絶対絶命だ、言い逃れができない、まさに今、サングラスの男が玄関のドアに手をかけているかもしれない)
「まぁ、いいから座りなさいよ、朝食を食べたら昨日の話の続きを聞くんだから」
強面の男が入ってくる予感と、シラフでは絶対に話しかけないであろうクールなお姉さんに一体何を話たんだろうという困惑で動けないでいると、
両肩に手を置かれ女性にしては強い力でアキラはソファーに戻された。
はいっ食べて! と奈美はバターを塗ったトーストを手渡した。
「あの……彼氏とか……その……夕べ僕……貴女とH……とか……」
飲んでいたコーヒーを吹き出した奈美は、さも可笑しそうに
「アハハッそんな事考えてたんだ。彼氏はいないわよ、それにあなたと私はそういう関係になってないわよ」
笑いながら早く食べなさいよと言った。
少しは安心したアキラだが女性との二人っきりの食事に慣れていないし頭も痛いしムカムカするしで、味なんて分からなかった。
トーストと、周りの少し焦げたハムエッグをコーヒーで流し込むように急いで食べた。
そして、数回むせながら食べ終わり、お礼を言った。
「ご馳走様でした。有り難うございます。じゃあ、僕はこれで失礼します」
深々とお辞儀をし、痛む頭を押さえながら立ち上がろうとした。
奈美は、皿を重ねる手を止め睨むように見つめた。
「ダメ、あなたの特異体質の話を聞かせてもらうまで、帰さないわよ」
そう言う奈美の言葉には有無を言わせない強さがあったのだった。