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アキラ火花を散らす

 『わかば』の入口付近の床は濡れてしまったので、静江は店を一時クローズにした。

油大福を一番奥の四人掛けのテーブル席に座らせ、奈美とアキラは三メートル以上離れた入口の二人掛けのテーブルから話かけながら、緑子を油大福の隣に座らせた。モテ効果が現れない現象を確認することにしたのだ。

店内の端と端でヨーロッパの王族の食卓のような距離感で会話が始まった。

奈美はアキラの濡れた髪をタオルで拭いてやりながら聞いた。


「緑子ちゃん、どんな気分なの?」


「そうですわね、特に何も感じません。普段と同じですわ、わたくし恋愛対象が女性ですもの、もし、まじないが効いて男性といちゃいちゃするなんて考えただけでもおぞましいです」


「恋愛対象が女性……?」


 油大福は大きな肩幅を小さくしながら、隣に座る緑子を凝視した。


「そうなんですの、ごめんなさいね。……でもですね、不思議なんですが、いつもの嫌悪感だけは油大福さんを見ても無いような気がします。

それは、おまじないの効果なのか、油大福さんが柔らかで滑らかだからなのか、私自身も分りませんわ」


 油大福はガッカリしたのか、うな垂れて大きな身体は小さくなっていった。


奈美に濡れた髪と身体をタオルで拭いてもらっているアキラは、濡れて良かったと思っていた。この時間が長く続けばいいなと思ったが、コレだけは確かめておかなくてはと話に割って入った。


「まだ、特異体質の有効時間は残ってるはずだよね、奈美ちゃん。油大福さんの効果が緑子ちゃん以外に効くかどうか確かめないといけないんじゃない?」


「そうね、アキラ! そうしないと、緑子ちゃんが男嫌いでまじないが効かない特別な事例だって証明しなくっちゃね」


 奈美はアキラの頭をタオルで拭きながら愛犬家がするグッジョブのように、ぐしゃぐしゃと掻きまわして褒めた。タオルをテーブルの上に置くと、入口の床をモップで拭いている静江の方を見た。


「母さん、緑子ちゃんと交換して油大福の隣りに座ってくれない?」


 静江は「はいよ」と緑子にモップを渡し油大福の隣りに座った。


「油大福ちゃん、すまないね、こんなババアが隣に座っちゃってさ、奈美と同級生のよしみでもう少し付き合っておくれね?」


「油大福さん、私からもどうかお願いしますわ」


 緑子はもう一度油大福のテーブルに近寄り、とびっきりの笑顔を作って首を傾けた。

奈美とアキラは流石、元メイドだと感心した。

ファンである油大福が断るはずもなかったからだ。


「わ、分かりました。ヒメネコちゃ……あ、違った、緑子ちゃん」


『わかば』の店内の全員が暫し動きが止まりその時が来るのを待った。五分も経過した頃だろうか、静江がもぞもぞと身体を揺すり始めた。油大福にジリジリと身体を寄せ、顔を近付けとろりとした目で油大福を見ると腕を取り、柔らかい肩に頭を乗せた。


「油大福ちゃん……かわいいねえ、何か食べるかい? 好きなものを作ってあげるよ」


 奈美とアキラは顔を見合わせた。


「やっぱり、モテ効果は出てるね、奈美ちゃん」


「そうね、緑子ちゃんが特別効かないタイプだったってことね」


「まじないの注意書き増やすんでしょ?」


「勿論よ、そうねえ……なんて書こうかしら」


「お姉さま……こんなのどうでしょうか? 

意中の相手の嗜好が特殊な場合、まじないが効かない場合がございます」


「いいわね、緑子ちゃん。それ、いただくわ」


 緑子は嬉しそうに「はい、お姉さま」と言い。奈美は緑子がメイドだったなんて驚いたこと、どうりで接客が慣れている事などを褒めた。

そして、あらためて緑子にまじないの仕事の時に手伝って貰いたい旨を告げた。


「ま、待ってよ、どうしてなの? 僕と奈美ちゃんで十分じゃないか?」


 奈美には緑子に手伝って貰いたい理由があるのだ。まじないはアキラが身体を相手に擦ってから、約十五分で効果が現れる。その間に細かな相手への説明の補足と質問など、十五分という時間はあっという間に過ぎ、奈美は時計を見ながらモテ効果が現れる前にまじないの客から三メートル以上離れ、後のフォローをアキラに任せていた。

まじない客の質問にはアキラでも答えられていたが、素直なアキラは客の突っ込みに度々しどろもどろになり、離れて見ている奈美は心配だったのだ。アキラのフォローをする為にも緑子のモテ効果が効かない体質は都合が良かった。

それにアイドル系の可愛い緑子が仲間に入れば、モテない男達からのまじないの評判も上がるってものだ。その事を拗ねない程度に言葉を変えて説明すると、アキラは渋々承諾した。


「毎回じゃなくてもいいのよ緑子ちゃん、わかばにバイトに来ているタイミングが合ったついでの時だけでいいからどうかしら?」


「わたくし、お姉さまのお役に立てるのですね? はい、喜んでお引き受けしますわ」


 そう言うと、アキラを見て宣戦布告の微笑みを見せた。アキラは勝てる気がしなかったが、奈美を取られまいと、ありったけの目力を込めて目を合わせ続けるのだった。


「あのう……これ……どうにかしてくれないかな」


 店の奥から声を掛けてきたのは、首に静江の両腕を回された油大福だった。

静江の唇は今にも油大福の頬っぺたに付きそうだ。


「あ、ごめん! 忘れてた。アキラお願いね!」


 やっぱり頼りにされているのは僕なんだぞという態度で緑子を見返すと、静江を油大福から引き剥がしカウンター内の椅子に座らせた。油大福の元へ戻ろうとする静江を押さえて、モテ効果が去って行くのを見届けてから奈美の元へ戻った。

奈美は緑子に一万五千円を渡し油大福に返金して欲しいと頼んだ。

緑子は油大福の正面に座り、一万五千円を差し出した。


「油大福さん、今回は残念でしたけど、わたくし『わかば』でバイトをしているんですの。よろしかったら、そのお金でお食事にでもいらしてくださる? 恋愛は男性とは無理なんですが、お話なら楽しめますわよ」


 そしてまた、とびっきりの笑顔で微笑むのだった。


「小悪魔だ……」


アキラは敵ながらあっぱれと思った。


「流石だねえ、緑子ちゃんは仕事となると容赦ないね」


 正気に戻っている静江が感心しきりに呟いた。

店を出る時に油大福は入口で振り返り言った。


「また、来ます。それと……僕は油大福じゃなくて後藤聖也という名前がありますから……」


 その問いかけに間髪を入れず答えたのは緑子だった。


「聖也くん。また来てくださいね、お待ちしておりますわ」


 元メイドは、元ご主人様に深々と頭を下げた。


油大福こと後藤聖也はこの日から『わかば』の常連になったのだった。

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