アキラ滴る
緑子の接客は見事なものだった。上品な立ち居振る舞いと言葉遣いに加え、愛嬌も気遣いも申し分なかった。男嫌いの緑子を心配して、静江が大丈夫なのかい?と聞いた。
「わたくし、仕事になりますと、男性を物としか認識しないように切り替えますの。人形に話しかけているのと同じですわ」
緑子は当然だという素振りで言ってのけた。
静江は、こりゃ、『わかば』の客の中で勘違いする男が出てきそうだね。増々、商売繁盛だね!と緑子の仕事ぶりを見つめ、嬉しい悲鳴を上げるのだった。
喫茶『わかば』も『まじない』の商売も順調に進む中、突然、問題が起きた。
まじないにクレームがついたのである。
奈美とアキラは昨晩まじないを施した。
その客からのクレームだった。モテ効果が現れないと言うのだ。
モテ効果が現れなければ誓約書の意味は無い。
三メートル以内に近付かなかったのだろうと奈美は思ったがどうやら違うらしい。
まじないの効果は今晩まであるはずだと説明すると、もう一度トライしてみると客は言った。
客の名前は、後藤聖也、奈美の高校時代の同級生である。
奈美と高校時代に特別親しかった訳でもなく、普通なら忘れてもおかしくない存在だったが、後藤聖也には忘れられない特徴とあだ名があった。
聖也はクラスでは性格的には大人しく目立たないアニメヲタクたったが、体型が目立っていたのだ。
身長は百七十位であろうか、百二十キロ越えの巨漢は冬でも汗をかき、色白の肌は滑らかで顔がテカっていたので、油大福と呼ばれていた。
どうやら、油大福はアニメのヒロインから、メイド喫茶のメイドに好みが移行したらしく、あるメイド喫茶に通っていたが、ファンになったメイドが突然辞めてしまい落ち込んでいたところ、高田駅前でそのメイドを発見し、度々この商店街付近でみかけるようになったと言った。
そして、噂を聞きつけ奈美の実家とは知らず『わかば』に辿り着いた。
まさか高校の同級生がまじないをやっているとは知らない油大福は、最初は恥ずかしがり断ったが、奈美の押しの強さに負けてやってもらう事になったのだった。
初めてのクレーム、しかも特異体質が効かないという非常事態に、奈美とアキラは『わかば』で作戦会議をする事になった。
二人はいつものようにカウンターに座り、アキラはキョロキョロと店内を見回した。
どうやら、ライバルはバイトに来ていないようで、ほっと胸をなでおろした。
「油大福は今日も、チャレンジしてみるって言ってたから、まだわからないけどモテ効果が現れなかった事を想定して、今後の仕事をどうするか対処法を考えておかないとね」
「でも、変だよね。今まで男では百発百中だったのに、それにさ、油大福さんは面積が広いから、僕いつもより時間を掛けて念入りに擦りつけたつもりなんだけどなあ」
「油大福は実は女だったってことはないのかい?」
奈美とアキラは声を揃えて「ナイ、ナイ」と手を振った。
原因が分からないのでは良い案も浮かばす、作戦会議は開始の時点で暗礁に乗り上げた。
腹が減っていたのでは頭も働かないやね、少し早いけど夕飯たべちゃいなよと静江に言われ、奈美とアキラはオムライスを頼んだ。
出て来たオムライスにはパセリの脇にチューリップに飾り切りした苺が二つ付いていた。デミソースは皿の底に敷いてあったが卵部分には可愛いクマちゃんの顔がケチャップで書かれている。
「わっ、どうしちゃったんですか? クマちゃん?」
「母さんこれは、ないわよ……しかもチューリップって……」
「そうかい? 緑子ちゃんがこの方が可愛いって言うもんだからさあ、どうやら私は絵の筋がいいようだよ」
それにしても、サラリーマンや年配者にクマちゃんオムライスを出すのは頂けないと、奈美とアキラに猛反対された静江は、わかばの魔女らしくなくガッカリと肩を落とすのだった。
奈美は外見に似合わず静江が乙女チックな事を知っている。フリルやレースが大好きなのだ。
それに可愛い縫いぐるみやキャラクターグッズも好きで、何体ものそれらに囲まれて寝ている。
「まさか、他のメニューにはやっていないでしょうね?」
「や、やってる訳ないじゃないか」
その返事で、奈美は理解した。
「もう、まったく、止めなさいよ」
いつもかっこ良くカウンター内で煙草を吸うわかばの魔女のしょげた姿が、ちょっとだけ可愛らしく見え、可笑しくてアキラは笑った。
アキラちゃんに笑われちゃお仕舞だねと言って静江は一緒に笑った。
クマちゃんの顔を半分程食べた時だった。
入口のドアが、ドアベルが千切れる勢いで開き、また同じ勢いで閉められた。
肩を上下させ、息を切らした緑子が青い顔で立っている。奈美に気付くと一直線に走り寄った。
「ああ、お姉さまっ! 助けてください。変な男が後をつけてくるんです」
三人が一斉に入口を見ると、ドアに格子状にはめ込まれた分厚い擦りガラスに、ウロウロと動き回る人影が透けて見える。
「母さん! 大きいボウルに水!!」
奈美が叫ぶと静江が直ぐにボウルに水を張って、はいよ、と渡した。
奈美はボウルを受け取り、アキラに目配せした。
アキラは、わかったよ奈美ちゃんと小さく頷くとドアノブにそっと手をかけた。
「いくよ! 奈美ちゃん、ゴー、ヨン、サン、に……あっ!」
カウントが終らないうちにドアが開いた。
タイミングが狂ったせいで奈美の手元も狂い、ボウルの水はアキラの上に降り注いだ。
水の冷たさに飛びあがったアキラだったが、入口に立っている人物を見て冷たさを忘れた。
「油大福さん!」
アキラの髪の毛からは、粒になった水滴がポタポタと落ちている。
「え? ストカーは油大福だったの?」
「ストーカーって……酷いなあ。僕は本間の言う通りにしただけなのに」
「えー? じゃあ、好きなメイドさんていうのは……」
奈美とアキラと静江は声を揃えて振り返った。
「……緑子ちゃんなの?」
緑子は訳が分からない様子で胸に手を当てキョトンとしている。
「緑子ちゃんて名前だったのか? ヒメネコちゃん……」
油大福が顔を赤くして言うと、緑子は何かを悟ったように営業スマイルになり、頷いた。
「失礼しました。おまじないのお客様だったのですね……元ご主人様」




